威厳と呪縛
ということであれば、
「誰がなっても同じ」
ということであり、
「じゃあ、野党に入れて、政権交代させれば」
ということになるのだろうが、それこそ、一気に滅亡を意味するというくらいにひどい状態なので、
「投票する政党がない」
ということになり、結局、
「いってもしょうがない」
ということになるだろう。
「行ったとしても、結局は、白紙で出すしかない」
ということであれば、
「いっても同じ」
ということだ。
それを思えば、
「選挙権の引き下げ」
というのが理由というのもおかしなものである。
というのも、
「選挙における投票率というものが、下がれば下がるほど、与党に有利だ」
と言われている。
というのは、
「選挙において、投票率が下がるということは、基本的に、有権者数にほとんど変わりはないということである」
そして、前提として、
「与党には、一定数の組織票がある」
ということである。
もちろん、野党と言われるところにも一定数の支持団体があるので、一定数の組織票は存在するだろうが、実際には、
「与党の足元にも及ばない」
ということになる。
特にアンケートにおける支持政党としては、
「野党第一党」
というものであっても、
「一桁しかない」
ということで、
「確かに、野党の政党の数が増えすぎて、割れてしまった」
ということもあるだろうが、ここまで低いと、本当に、
「どこに入れていいのか分からない」
ということになる。
与党はといえば、確かにそれなりに政治手腕はあるだろう。しかし、金と権力におぼれて、国民のことをまったく考えていないというところである、
逆に野党というと、
「与党を攻撃するだけ攻撃するが、それも口だけということで、実際に、じゃあ、どうすればいいのかという代替え案を出すことをしない。こちらも、与党を潰すというところまでは考えているかも知れないが、その後の政権を取ってからのことまでまったく考えていないということになるだろう」
というのが、今の政治であった。
そうなると、結局、
「組織票だけの数」
というものと、それ以外に、一部の投票者の比率が、少々野党に有利だったとしても、もちろんそんなことはあるわけもないので、結局は、
「与党の圧倒的な勝利」
ということで終わってしまう。
であれば、
「与党をけん制する」
という役目を野党が負ってくれているのであれば、それでいいのだろうが、そうではないということで、政治がどれほどひどいというものかと考えると、
「結局は、亡国へとまっしぐら」
ということになるであろう。
確かに、昔から、今の与党は、
「金と権力にまみれることで、いろいろな事件を引き起こしてきた」
とも言われるが、まだ今よりもかなりマシだったといってもいいだろう。
大日本帝国時代の、政府や軍であっても、
「国を憂う気持ち」
ということで、
「愛国心から生まれた戦争」
ということで、今の政府よりも、
「政府としてはいい時代だった」
といえるだろう。
あの時代は、今のような、
「占領国に押し付けられた民主国家」
というものではなく、
「日本国が自らの興亡を掛けて作り上げてきた立憲君主の国」
という違いだったことで、
「戦争から、国土の焦土化や、民族滅亡の危機に見舞われた」
ということであるが、
「その時代には、その時代のルールであったり、モラルというものがあったことであろう」
もちろん、
「それがよかったのか悪かったのか?」
ということは、
「歴史が答えを出してくれる」
ということになるかも知れないが、問題は、
「その出してくれた歴史の答えを、我々人間が、歴史が出した答えが何であるかを理解できるか?」
ということに掛かっているのだろう。
確かに、
「歴史というものは、人間が作る」
ということであるが、
「どこまで、人間の作った歴史」
というものが正しいのかどうか、それを人間が分からないというのは、何とも皮肉なことだといえるのではないだろうか?
そもそも、
「人間というのは、確かに頭がよくて、高等な動物であろう」
と言えるが、逆に、
「本能的なものには、疎い」
と言われるのではないだろうか?
それを考えると、
「歴史の答えがどこにあるのか?」
それを、見つけられないことが、それを証明しているといってもいいだろう。
「過去の歴史というものをいかに解釈するか」
ということが、
「未来につながる歴史」
というものを作っていくことになるのだが、そのことを理解できているのか、
「歴史を毛嫌いする人もいる」
特に、
「政治経済というものを勉強しないといけない」
といっている人の中に、歴史をあまり研究しない人がいる。
「それこそ片手落ちなのではないか?」
と思えるのだった。
坂口が都心部の大学に合格した時、両親は、すんなりと、素直に、合格を喜んでくれた。
だから、最初こそ、
「親は、大学に合格しても、一人暮らしはさせてくれないのではないか?」
という懸念を抱いていたが、それは、思い過ごしだったのだ。
というのも、
「普通に考えて、合格しても行かせてくれないのであれば、最初から都心部の大学受験に賛成してくれるはずもない」
というわけである。
都心部への受験にしても、
「受験する」
と言った時、少しでも怪訝な顔をしたわけでもなく、ただ、
「そうか、頑張れ」
と、口数少なくいっただけだった。
正直坂口とすれば、父親の、
「口数の少なさ」
というものに、嫌悪を感じていた。
というのも、
「面倒くさそうに言っているだけ」
としか思っていなかった。
ただ、それが、
「昭和の時代の男だからだ」
ということに気づいていなかったからであるが、そのことに気づいてしまうと、今度は、
「その物言いが怖く感じられる」
というものであった。
特に、小学生時代の高学年から、ずっと、父親から、
「俊太郎。ちょっといいか?」
と言われた時、ゾッとするものを感じていた。
「恐怖でしかない」
というその感覚を味わった時、言われることは、小言であろうが、下手に逆らうと、こぶしが飛んでくるという意識しかなかった。
あれは、中学時代のことであったが、
その頃、
「正月になると、友達の家で、友達同士が集まる」
ということがあった。
遊びに行く時は何も言われなかったので、皆で集まってゲームなどをして楽しんでいたのだが、そのうちに、
「皆泊まっていけよ。夜通し遊ぼうぜ」
ということになったのだ。
それを聴いた皆も、
「そうだそうだ。それがいい」
ということになった。
そして、友達の母親から、
「じゃあ、皆泊まるということをおうちに話しておいてね」
ということで、電話を借りて家に連絡をしたのだった。
中には携帯電話で連絡をする人もいたが、まだまだ中学生で携帯電話を持っている人も少なかった時代なので、友達の家から連絡するということになったのだ。
皆、一人一人、親から許可を得ていた。
坂口は最後だったので、皆と同じように、
「今日は友達の家で遊ぶので、泊めてもらうね」