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威厳と呪縛

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 というものであったり、
「それを取り巻く社会現象:
 ということではまったく、
「苛めによるもの」
 ということでは違っているといってもいいだろう。
 苛めによるものとしては。前述のとおりだが、
「積み木くずし」
 というものでは、子供の
「やり場のない怒り」
 というものが、爆発して、家族や学校で当たるということであった。
 これは、そもそもの原因として一番考えられることとして、
「教育問題」
 というものが挙げられる。
 というのは、
 戦後の時代に、日本国において、復興のために必要で、さらに、そこからの、
「経済成長に対応できるだけの頭脳を持った子供の育成」
 というのが、急務であるという時代になっていた。
 高度成長期というのがその時代であり、そこから、
「詰込み教育」
 というものが、生まれてきた。
 それが、
「受験戦争」
 というものを生み、そのため、
「子供の頃からの、競争社会ができてくることになった」
 ということである。
 子供の数から考えれば、その学力に、
「天と地ほどの差がある」
 ということは分かり切っていることであり、だとすると、
「どちらにその重点を置くか?」
 ということになる。
 つまり。
「成績の悪い子に合わせてしまうと、落ちこぼれというものは防げるかも知れないが、そうなると、せっかく、優秀な生徒のさらなる成長を妨げてしまうことになり、そもそもの教育方針が変わってくるということになる」
 というものである。
 だから、
「落ちこぼれというのはしょうがない」
 として、
「成績優秀な生徒のために、落ちこぼれは捨てていく」
 というような学校方針になっているのではないだろうか。
 そうなると、
「優秀な生徒は、優秀な学校で、ちやほやされながら、社会に出ていく」
 ということになり。落ちこぼれた生徒は、
「落ちこぼれ」
 と言われる学校に入るしかなく、そこには、同じような落ちこぼれがたくさんいることで、皆。
「社会から落ちこぼれた」
 という意識と、それに対して、
「社会から、一切の救済がない」
 ということで、そのストレスのもっていき場所を周りの社会にぶつけるのであった。
 だから、
「不良」
 というのは、
「落ちこぼれ」
 という言葉と同意語のように見られていた時代もあった。
 もっとも、
「エリートだからと言って、彼らに、まったくの不満はなにも尾ない」
 などということもなく、逆に、
「落ちこぼれたからといって、皆が皆、不良になる」
 というわけではないが、ほとんどが、
「この公式にあてはまる」
 ということであれば、
「おかしな世の中になった」
 と思ったとしても、しょうがないと感じている人も少なくはないだろう。
 それが、
「昭和の頃の構図」
 といってもいい。
 当時としては、
「これが当たり前」
 ということであり、今のような時代が、
「おかしな時代になった」
 と考えていたとすれば、
「昭和の時代が終わりを告げた」
 ということで、
「こういう時代が無限ではない」
 と理解したことで、平成以降の時代も、
「そのうちに終わりを告げる」
 ということで、昭和を知っている人は、真剣に思っているかも知れない。
 もちろん、
「昭和の昔に戻る」
 ということを考えているかどうか分からないが、少なくとも、
「時代は変わる」
 と、ずっと思い込んでいるとすれば、それは、
「今の時代というものを、甘く見ている」
 ともいえるだろう。
 少なくとも、
「今の時代のことは、今の時代に対応して考えなければいけない」
 ということなので、
「いくら時代が変わるかも知れない」
 と考えていたとしても、
「時代錯誤も甚だしい」
 と言われて、そう判断されて終わりではないかということになるだろう。
 実際に、今の時代に、
「昭和の、古き良き時代」
 といっている人は、
「時代に乗り遅れている」
 ということであろう。
 それが、文化であったり、風習であったりするのであれば、別に問題ないのだが、それは、
「教育方針」
 などというものであったとすれば、それは、
「時代錯誤」
 と呼ばれても仕方がないということになるであろう。
 そんな、
「人と関わりをもちたくない」
 と思っている人に降ってわいたような、
「巻き込まれ事故」
 といえるような世界、それがいよいよこのお話の展開となってくるのであった。

                 目撃

「この街に勤めるようになってから8年近く経った」
 ということを感じたのは、数日前に、三十歳という誕生日を迎えたからだった。
 彼の名前は、
「坂口俊太郎」
 と言った。
 坂口は、大学を卒業してから、都心部で就職した。
 高校時代までは、地元にいたのだが、
「一人暮らしをしたい」
 という理由と建前として、
「どうしても、大学生活を都心部で過ごしたい」
 と思っていた。
 そもそも、都心部にこだわることはなかった。
「一人暮らしができればそれでいい」
 と思っていたのであって、その本当の理由は、
「親と暮らしたくない」
 というものだったからだ。
 さすがに、それが理由だということになれば、許してはくれないだろう。
 まだ高校を卒業してすぐであれば、当時としては、未成年である。
 ということになれば、法律的に、
「いろいろな契約は、親権者の同意がなければいけない」
 ということになるのだ。
 つまりは、
「親が、子供の契約を代理する」
 ということで、親はこの場合は、
「法定代理人」
 ということになる。
 だから、
「親が反対している」
 ということであれば、
「一人暮らしをしたい」
 といっても、部屋を借りることもできないというわけである。
 それを考えると、
「高校生というのが、どれだけ力がないか」
 ということになる。
 これは法律的にいえば、
「子供を守る」
 ということで、社会が決めたルールということになるのだろうが、実際にそういう理屈ではないだろう。
 いくら、大学に合格しても、親に逆らってしまうと、何もできないということになり、「大学生は、まだまだ子供」
 ということになるのだった。
 ただ、当時の法律は、
「未成年の場合は、刑法でも、少年法というものが適用される」
 ということであったが、今は、成人年齢が、
「飲酒喫煙以外は、18歳」
 ということになった。
 これは、ありがたいということでもあるが、実際には、
「犯罪の低年齢化によって、少年法だけでは補えない社会になった」
 という皮肉な結果ともいえるだろう。
 もっとも、本当の、
「成人年齢の引き下げ」
 という理由は、別のところにあり、
「選挙権を下げる」
 ということにあったのではないだろうか?
 18歳から」
 ということにすれば、有権者が増えて、投票数も増えるだろうという考えである。
 ただ。これは、
「投票率が増える」
 というわけではない。
「選挙権を得たとしても、選挙に行くとは限らない」
 からだ。
 特に、今の時代のように、
「今度こそまともなソーリ」
 と思って期待して就任したソーリが、
「どんどん亡国に導いていく」
作品名:威厳と呪縛 作家名:森本晃次