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威厳と呪縛

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 しかし、一方的に虐めている連中だって、そもそも、苛めというものを引き起こすようになった原因はあるわけで、それが、
「親から受ける虐待であったり、家族の離散」
 などという、
「家庭の事情」
 からくるものであろう。
 その家族の事情というのも、元々は、
「勤めている会社で受ける、パワハラというものが原因なのかも知れない」
 ということになると、
「原因追及は果てしない」
 ということになり、
「解決方法の一番」
 として考えられる
「元から正す」
 ということは不可能ではないかと思えるのだ。
 そうなると、
「社会のすべてを正すしかない」
 ということになり、
「それができるくらいなら、とっくにやっている」
 と言われるのがオチだろう。
 そうなると、
「今の時代というものは、結局は、過去からの積み重ねでしかないわけで、それをさかのぼったとしても、答えが分かるわけでもない」
 だから、今の時代は、
「雁字搦めで、暮らしにくい時代になった」
 といってもいいだろう。
 そんな時代なので、
「人を自分の価値観で判断し、その人に押し付ける」
 というのは、パワハラと言われるのだ。
 これは、親子の間でもいえることで、下手をすれば、その感覚が大きくなると、
「幼児虐待」
 ということになってくるのだろう。
 これも大きな社会問題」
 となっていて、この問題は、これからも、ずっと続いていくことになると思われる。
 子供が、学校でのいじめというものに遭うと、
「不登校になり、引き籠る」
 ということが、
「一連の流れ」
 ということになる。
「不登校」
 というものは、昔の
「登校拒否」
 とは違い、
「明らかに、登校できるという状態に、健康的にはあるのだが、学校にやむを得ない事情でいかない場合」
 ということで、この場合の、
「やむを得ない事情」
 というものが、
「苛め」
 ということになるのだ。
 だから、
「苛め」
 というものと、
「不登校」
 というものは、切っても切り離せない関係にあり、そうなってしまうと、家庭崩壊にもなりかねない。
 だが、それが、平成からこっちの、
「バブル崩壊」
 というものを原因とする、一連の悲惨な
「社会現象のひとつ」
 といえるだろう。
 そんな不登校になった子供が、部屋から出てこないという現象を、
「引きこもり」
 という。
「部屋に引きこもって何をしているのか?」
 というと、そのほとんどが、
「ゲームをしている」
 ということになるのだ。
 テレビドラマでも、昔は、そんな引きこもりを社会問題ということでテーマとしているものもあった」
 ということであるが、最近のドラマなどでは、
「引きこもりの子供が出てきても、それをテーマとすることはなく、ただの、家庭での一場面ということで触れることはない」
 それは、時代の流れということで、
「しょうがないことだ」
 として、社会が認識しているのであろう。
 特に、引きこもってしまった人を、力ずくで部屋から引っ張り出すということは、
「一番してはいけない」
 ということであり、
 これが昭和であれば、何とかなったかも知れないが、今の時代であれば、
「引きこもりから強引に表に出されてしまうと、今度は家出してしまう」
 からである。
 昭和に育った大人は、そういう発想はないだろう。
「子供は、親が育てるもので、親にはそれだけの威厳が必要だ」
 ということになるのだろうが、それはあくまでも、父親に本当の威厳があればということであり、その当時の親は、会社では、
「パワハラを受けていたりして、それを家族に当たっていないとも限らない」
 そんな親がいくら家で、威張ったとしても、それは、
「お山の大将でしかない」
 ということで、
「誰も従うわけはない」
 ということになる。
「子供が引き籠ったことで、母親は、精神を病むかも知れない」
 母親は、
「子供の成長だけが楽しみで、母親をしている」
 という人も結構いただろう。
 その子供が引き籠ってしまった。
「その原因がどこにあるのか?」
 ということを、母親が知ってか知らずか、結局は、
「自分が悪い」
 と、最初は自分を責めるだろう。
 そうなると、子供に対して、とにかく気を遣うということしかできなくなるというもので、
「余計なことはいえない」
 として、
「刺激を与えないということが一番」
 と思うようになるだろう。
 そうなると、目は子供にしか向いていないだろうから、父親が、何を考えているか、そして、会社でどのような気持ちになっているかなどということが分かるはずもない。
 しかも、自分のことなど後回しとなると、
「自分が精神的に病んできているということなど分かるわけはない」
 ということになるのだ。
 夫婦間の会話もなくなり、木が付けば、ヒステリックになってしまっている。
 父親にも抑えることができなくなると、父親とすれば、癒しを求めたくなり、不倫などに走ることもあるだろう。
 それは、母親にも言えること。
 自分が精神疾患であるという自覚があるわけではないので。当然、おかしな精神状態になっていて、右にも左にも傾いているにも関わらず、
「自分だけは気丈だ」
 と思っているかも知れない。
 その状態が一番危険で、まわりからの暖かさが、それがいくら見せかけだとしても、敏感になってしまっていることで、
「男に騙されやすい状態」
 ということになるだろう。
 そうなると、
「旦那の不倫」
 よりも厄介なことであり、
「男に貢ぐ」
 という状態になれば最悪だ。
 精神疾患に陥った母親とすれば、
「この人に捨てられたら、自分は終わりだ」
 と思うだろう。
 それだけ、今までは、
「家を守ってきたのは自分だ」
 という意識があったかも知れない。
 しかし、バブルが崩壊したことで、
「旦那だけの稼ぎでは生活できない」
 ということで、
「うちだけではない」
 とは思いながらも、理不尽と感じながら、働きに出なければいけない自分を、
「情けない」
 と思っていたかも知れない。
 しかも、家のことは、すべて自分任せ、これほど理不尽なことはないだろう。
 さらに、追い打ちをかけるように、
「一番の生きがいだ」
 と思っていた子供が引き籠ってしまった。
 そうなると、もう、
「家庭崩壊」
 というものは避けられない。
 もちろん、
「親の都合」
 と、
「子供の引きこもりというものの間に、何ら関係があるというわけではない」
 といえるだろう。
 それはあくまでも、
「どこの家族にも、簡単に陥ってしまうという、家庭崩壊」
 というものに過ぎないということになるであろう。
 そんな家庭崩壊というものが、昭和の時代であれば、形が違っていた。
「子供が不良化する」
 というのが、その一番であり、その代表が、
「積み木くずし」
 というものであった。
 元々は、
「家族が子供の不良化で崩壊していく」
 というドキュメント的な小説だったのだが、
「ドラマ化」
 というのも、
「映画化」
 もされたのだ。
 これは、子供が、
「堕ちていく」
 という意味では同じかも知れないが、
「その原因」
作品名:威厳と呪縛 作家名:森本晃次