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威厳と呪縛

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 そんな、昭和の時代から、平成に変わった頃、まだ、バブルと言われていた時代であったが、ちょうどその頃だったのではないか?
 それが、
「国有企業の民営化」
 というものであった。
 かつて言われていた、
「三公社五現業」
 という言葉である。
 特に三公社と呼ばれるものは、
「国鉄」
「専売公社」
「電電公社」
 と言われるもので、鉄道以外は、完全に、独占企業であった。
 つまり、電電公社であれば、
「電話電信業界に、民間は立ち入ることができない」
 ということだったのだ。
 つまり、国が一手に握り、独占企業となっていたということだ。
 特に、大日本帝国時代には、逓信省というものや、鉄道省というものが存在し、かつては、
「省線電車」
 などという言われ方もしていたという。
 そんな昔ながらの時代であるが、
「国家を担ってきた産業を、敢えて国から切り離す」
 ということになったのは、やはり、政府が、
「バブル崩壊を予期していた」
 ということなのかも知れない。
 もっとも、実際に、国鉄などは、
「もう、国家では担いきれないというほどの累積赤字を抱えていた」
 という事実もあったからで、いまだにその赤字が続いているかどうかは、騒がれないだけで、静かに続いているということであろう、それは、国鉄の後見会社である、JRというものを見ていると分かるというものだ。
 そんな時代が今の、
「住みにくい日本」
 そして、
「政治家が腐敗させた日本」
 というものを作ってきたということになるのであろう。
 戦後というと、敗戦後の大混乱の時代から、
「占領軍による、占領政策」
 というものもあり、さらには、
「朝鮮戦争による軍事特需」
 というものがあったことで、国家が新たな道を歩むだけの力が得られたという、
「奇跡的なこともあった」
 という時代であった。
 それ以降の時代には、
「東京オリンピック」
 などの経済傾向と同じように、
 イベント前には、
「イベント特需」
 に湧くが、イベントが終わると、その反動で、
「一気に、不景気になる」
 ということで、
「好景気と不景気を周期的に、交互に繰り返してきた」
 というものであった。
 それが、バブル経済で一気に、国が大きくなり、
「世界に企業ランキング」
 という中に、日本企業が、
「ベストテンの半数以上を占めていた」
 という、今では考えられないような時代があったではないか。
 そんな時代が、起こったということで、誰も、
「その反動」
 というものを考えなかったのだろうか?
 それが恐ろしいというものではないだろうか?
 そんな時代が、あったのが、今から40年前ということだ。
 今現役で定年前の状態で働いている人は、
「社会人としての、バブルの時代」
 というものをほとんど知らないだろう。
 それを思うと、
「うらやましい」
 というべきか、それとも、
「かわいそう」
 というべきか分からない。
 何といっても、今からの日本は、
「底のない沼に、抵抗する力もない状態で落ち込んでいくだけだ」
 という状態になっているということだからであった。

                 目撃

 そんな時代が、
「日本という国の社会」
 というものを、一変させた。
 家族団欒という言葉がなくなってしまったのもその時代だったであろう。
 会社に残れたとしても、給料は減らされ、ボーナスもカット。
 もちろん、残業などありえるわけもなく、仕事が終わらないのであれば、
「家に持って帰ってやるか」
 あるいは、
「照明を暗くして、こっそり居残って仕事をするか」
 のどちらかであった。
 当時は、まだパソコンもない時代だったので、データを、媒体に入れて持ち帰るなどということはできない時代だった。
 資料などをカバンに詰め込んで持ち帰るということが当たり前の時代だったので、
「会社でやるか」
 それとも、
「家に持ち帰るか?」
 というのは、どっちにしても、楽なことではなかった。
 ただ、今の時代は、それから少し変わってきている。
 というのは、途中から、
「個人情報保護」
 ということが言われ出したことで、それは、
「企業においても言えること」
 ということになり、
「会社の情報を表に持ち出すことはタブーだ」
 ということになってきた。
 というのは、時代の流れの一つとして、便利になったことではあったが、それが、
「パソコンの普及」
 というものであった。
 パソコンの普及というのは、同時に、
「ネットの普及」
 というものであった。
 インターネットが普及してきたおかげで、それまで、電話であったり、ファックスだったものが、
「電子メール」
 というもので、やり取りができるようになった。
 そうなってくると、悪意を持った詐欺師連中が、
「ネットを使っての詐欺」
 を企むようになる。
 それが、
「コンピュータウイルス」
 と呼ばれるもので、
「それに感染してしまうと、いろいろな情報を乗っ取られる」
 というものであった。
 乗っ取られてしまうと、勝手に金が引き落とされてしまったり、勝手な課金をさせられたりと、好き放題にされ、大きな損を受けてしまうどころか、会社の方も、信用問題にかかわり、下手をすれば、倒産に追い込まれてしまったりするだろう。
 そのために、企業側でも、
「ウイルス駆除」
 というものには躍起になっている。
 だから、個人情報にあたるものや、会社の情報を勝手に会社の外に出してしまい、個人のパソコンが、よもや、ウイルスに犯されていたりすることで、情報が抜き取られたりしたら、
「それこそ、その社員一人の問題では済まなくなる」
 ということである。
 しかも、いくら、
「わざとではない」
 といっても、会社に大きな損害を与えると、
「懲戒解雇」
 だけではすまず、
「民事告訴」
 さらには、
「刑事告訴」
 という状況にもなりかねないということになるだろう。
 とにかく、
「時代は、人間が生活がしにくい時代になっていく」
 ということであった。
 特に日本では、
「バブルが崩壊してからこっち、成長がないどことか、沈み続けている」
 ということになっている。
 人間の暮らしも、考え方も、
「まったく変わってきた」
 といっても過言ではないだろう。
 特に今の時代は、
「何もできない」
 と言われる時代であり、それこそ、
「昔の常識が非常識」
 とも言われる時代だろうか。
 特に、子供の世界の苛めというのもその一つの例で、
「昔の苛めは、虐められる側にも理由があった」
 ということで、昔は、
「いじめっ子」
 や、
「いじめられっ子」
 という言われ方はしていたが、
「苛め」
 という言葉はなかった。
 それは、
「いじめっ子側にも、いじめられっ子側にも、それぞれに事情があった」
 ということからではないだろうか?
 今の時代は、
「苛めという行為が問題であり、いじめっ子による一方的で理不尽なものだけに、凶悪であり、理不尽であり、先生も立ち入ることのできない社会現象になってしまった」
 ということであろう。
作品名:威厳と呪縛 作家名:森本晃次