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威厳と呪縛

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「SFストーリーになっていて、しかも、世相を斬るというような、世間の社会問題に対しての、挑戦のような話がほとんどだった」
 たとえば、
「宇宙からの侵略」
 ということであっても、
「相手が宇宙船の故障を起こし、宇宙で遭難していたところ、地球に侵入してしまったことで、本来であれば、助けなければいけない相手を、侵略者と決めつけて攻撃をしてしまったりした」
 宇宙からきた正義のヒーローであれば、それを、
「侵略ではない」
 ということを教えなければいけない立場なのに、結局最後は、相手が怒って地球に攻撃を掛けてきた時、
「地球防衛」
 という名目で、かわいそうな遭難民を倒してしまう。
 ということになるのだった。
 これこそ理不尽ではないだろうか?
 この場合は、
「地球人が悪い」
 というわけではない。
 相手が遭難なのか、侵略なのか分からないということで、国防という意味で、やむを得ずに攻撃したわけだ。
 相手はそれに対して反撃したということで、これは、完全に、
「不幸な事故」
 といってもいいだろう。
 それを本当は、
「仲裁に入るか」
 それとも、
「中立の立場で何もしないか」
 というのが、本来の姿勢というものではないだろうか?
 それくらいのことは、正義のヒーローであれば、分かっていてもしかるべきということでなのだろうに、それをこともあろうに、
「相手を攻撃する」
 というのは、本来ならあり得ないことだ。
 そもそも、宇宙からきた宇宙人なので、地球とは何ら関係はないはずだ。
 別に、同盟や条約を結んでいるわけではない。ただ、
「地球が好きになった」
 というだけで、
「勝手に地球は俺が守る」
 といっているだけではないか。
 地球人もおかしなもので、
「確かに地球防衛軍」
 というものを作って、国防に必死になっていた。
 それは当たり前のことであり、
「地球人が地球を守らなくてどうする?」
 ということである。
 しかし、実際には、
「宇宙から来た正義のヒーローが、いつも怪獣や宇宙人をやっつけてくれる」
 ということで、甘えているところが大きい。
 ヒーローが、相手と戦っている時、援護をしようとしないではないか。
 確かに、
「下手に攻撃すうrと、正義のヒーローに当たってしまう」
 ということもあるだろうが、
「助けてくれる人がいるのだから、あとは任せる」
 ということが、普通に考えて、子供向けの番組であることから、あり得ることなのだろうか?
 さらに、ドラマということでフィクションだとしても、
「遭難して、流れ着いた相手に、本当であれば、水や食料を分けてやる」
 というのが、人情というものであろう。
 実際に、各国では、同盟や条約を結ぶことで、
「遭難民の保護というものが条約に明記されることは昔からあったことだ」
 というよりも、
「それが大切なことだ」
 というのは当たり前のことであった。
 そう考えると、
「あの頃のSFチックな話は、SFとして大人が見るなら、いろいろ考えさせられて、面白い」
 と思うが、子供が見る分には、理不尽で矛盾もいっぱい福あれていることで、
「道徳的に、まずいのではないか?」
 ということになるのではないだろうか?
 もっといえば、そもそも、宇宙から来た正義のヒーローは、自分を、宇宙人だと位置づけている。
 そして、宇宙から侵略してきた宇宙人は、出身の星に、
「星人」
 という言葉をつけて呼んでいる。
「我々は、○○星人だ」
 ということを話しているではないか。
 これは、
「人間であれば、皆名前を持っていて。さらに顔で相手を認識できるのだが、宇宙人は皆同じ顔をしている。
 これは、
「昆虫や他の人間以外の動物」
 というものと同じという感覚になるというもので、
「人間から見れば、下等な動物」
 という発想である。
 つまり、特撮ものの中というだけではなく、昔から考えられている宇宙人というものは、
「地球上の別の動物の化身」
 というイメージで描かれている。
 そのいい例が、昔にイメージされた
「火星人」
 というものではないだろうか?
 あれはあくまでも、
「タコ」
 というイメージで、とても、知的生命体には見えない。
 これは、
「宇宙には生命体はいるが、人間が一番高等な動物である」
 という思いを持ちたいという感覚と、逆に、
「広い宇宙には、地球人が想像もつかないほどの科学力を持った知的生命体が、うようよいて、それらが、地球侵略を企んで攻めてくる」
 というのが、
「SF小説」
 であったり、
「特撮ヒーローもの」
 というものの神髄だといえるのではないだろうか?
 しかし、その発想としては、デザイン的にどうしても、地球上の動物からヒントを得たものとなるので、
「皆同じ顔」
 ということになり、無意識のうちに、
「同じ顔をしている動物は、我々人類よりも劣っている」
 という発想から、
「一つの星の星人というものは、十把一絡げで、○○星人と呼ばなければいけない」
 ということになっていることだろう。
  だから、それがもっと、
「地球人が中心」
 という考え方になることで、
「地球人以外は、すべて宇宙人」
 というひとくくりの発想になるのだろう。
 だが、そうなると、
「正義のヒーロー」
 という立場は微妙である。
 地球人ではないのだから、彼も、
「下等な宇宙人の一人だ」
 ということになるだろう。
 そうなると、
「彼が地球を守ってくれる」
 という発想は、どこか矛盾しているということになるのではないだろうか。
「地球人ではないが、心は地球人」
 ということから、普段は人間の姿をしていて、そこから、変身することで、
「地球を守る正義のヒーローということになる」
 だから、
「その地球人が、実は正義のヒーローである」
 ということがバレてはいけないという発想になるのかも知れない。
 ただこの発想は、日本に限らず世界的に存在している、
「見るなのタブー」
 というものではないだろうか。
 これは、おとぎ話や神話などに多くあるもので、
「見てはいけない」
「開けてはいけない」
 という約束事を破ると、
「その後には悲劇が待っている」
 ということになるのだ。
 それにしても、
「特撮ヒーローもの」
 において、最初から、
「○○隊員が正義のヒーローであるということが分かると、彼は地球にはいられなくなる」
 という設定を、
「何かおかしい」
 と誰も感じていないのは、おかしいといえるのではないだろうか?
 それはきっと、
「おとぎ話」
 というもので、散々、
「見るなのタブー」
 というものを思い知らされているのだから、それも当たり前のことだとして、プロデューサーや監督が最初から分かって作っているということであれば、大したものだといえるのではないだろうか。
 そういう意味で、
「特撮ヒーローもの」
 という作品でも、
「大人が見ないと分からない」
 と言われるゆえんはここにあるのかも知れない・
 子供の頭で考えれば、
「矛盾のない、道徳的な話」
 でないとおおよそ理解はできない。
 もっといえば、
作品名:威厳と呪縛 作家名:森本晃次