趣味が凌駕するバランス
と呼ばれるものであっても、根底にあるのは、
「人情」
ということでは変わりはないだろう。
「熱血根性もの」
というと、何かのスポーツというものが必須だったりする。
特に、これが、学園ものと結びついたりすれば、そうであろう。
これは、やはり、
「東京オリンピック」
というものの影響かも知れない。
「野球」
というものを中心に、
「テニス」
「バレーボール」
などが、テーマに上がったりしていた。
「あまりにも大げさな演出」
ということで、中には、
「目が燃える演出」
であったり、今では絶対に考えられないような、
「特訓のための道具」
であったり、さらには。
「物理学に真っ向から挑戦している」
というような、ありえないと思われる
「魔球」
なるものを使ったマンガが、続々登場してくるではないか。
以前であれば、
「魔球」
などという方に、興味をそそられるということであったが、今の時代であれば、
「その魔球を開発するための、特訓というものがありえない」
ということになるだろう。
特に、
「プロ野球漫画」
などで、よくあったのが、
「魔球」
の開発ということであった。
信じられないような特訓を行って、
「信じられない魔球を開発する」
ということであるが、
「一歩間違えれば、死んでしまう」
ということを平気で行い、文字通りの、
「血と汗と涙の結晶」
ということで、魔球が生まれるということになる。
生まれたその魔球というのは、
「普通の選手では打ち崩せない」
というものであり、プロの中でも、
「天才」
と言われているバッターが、
「その魔球を打つためだけに、特訓する」
ということになるのだ。
考えてみれば、非常におかしい。
というのは、これが、
「プロ野球という設定で行われている」
ということである。
プロ野球というのは、球団と契約して、大まかな意味で、
「どれだけの成績を収める」
ということから、年棒が決まるということである。
だとすれば、
「何もそんなに必死になって魔球を作ったり、魔球を打つだけのために、特訓をする必要がどこにあるのか?」
ということである。
主人公は、確かに、
「魔球を開発しないと生きていけない」
ということで、魔球開発に特訓が必要なのかも知れないが、魔球が完成して、実際にライバルと対戦した時、
「ライバルがきりきり舞いした」
ということになり、
「主人公の勝利」
ということになるだろう。
しかし、敗れた選手は、
「そこで、チームを離れ、魔球を打つために、秘密特訓に入る」
というのだ。
確かに、
「プライドが許さない」
ということもあるだろうが、
「プロの選手として、球団と契約をしている」
ということであり、その契約には、
「魔球を打ち崩す」
などというのが書かれているわけではない。
つまり、
「魔球を投げる相手を打てなくても、その分、他のピッチャーから打てればいいわけであり、そんな投手は、一つのチームにしかいないだろうから、他のチームで打ち崩せばいい」
ということになる。
しかも、そのピッチャーは、毎試合投げてくるわけではない。つまりは、
「年間、300以上の打席があって、その中で魔球を投げるピッチャーと対戦するのは、多くても、20打席くらいではないだろうか?」
それを考えれば、魔球を打てなくても、他の選手で稼げばいいだろう。
「魔球を打つための特訓」
といっても、どれだけの時間が掛かるか分かるわけではない。
だから、その分の打席に立てないということになると、
「300以上ある打席で、今年は200くらいしか立てなかったということになると。当然。年棒はぐっと下がる」
ということになる。
「プロ野球というのは、何といっても、お金」
ということで、プライドのために特訓するというのは、普通に考えれば、
「バカげている」
といってもいいだろう、
特に、
「監督、コーチが何も言わないのか?」
ということである。
本来であれば、そんな選手がいれば、
「輪が乱れる」
ということになるはずだ。
当然、他の選手も、
「なんであいつだけ」
ということになるだろう。
それを思えば、
「一人の選手のわがまま」
ということになるわけで、その選手が、中心選手であればあるほど、問題が大きいのではないだろうか。
何といっても、
「敵前逃亡」
といってもいい。
昔の軍隊であれば、
「敵前逃亡、銃殺刑」
というのが当たり前だった。
査問委員会に掛けられることも、裁判に掛けられることもなく、
「逃げているところを後ろから、銃殺にする」
ということも無理もないこととして行われていた。
これは日本軍に限らず、他の国の軍隊にも言えることであり、この問題というのは、
「輪が乱れる」
ということが一番大きな問題だったのだろう。
もっといえば、
「士気の低下」
ということである。
戦線離脱の兵が一人でも出ると、他の兵も中には、離脱を試みる人もいるだろう。
そうなると、
「命令系統もめちゃくちゃになり、銭湯どころではなくなり、相手に攻められると、あっという間に全滅する」
ということになりかねないということだ。
それを防ぐために、
「敵前逃亡、銃殺刑」
ということになるのだ。
実際に、
「今まで一緒に、生死の境をかいくぐってきた仲間を、いきなり銃殺にしようというのだから、それこそ、泣いて馬謖を斬るというたとえになる」
ということであろう。
そんな状況を考えると、
「いくら魔球を打つため」
ということであれ、中心選手が、
「いつまでかかるか分からない」
という特訓のために、戦線離脱ということが、
「本当に許されるのだろうか?」
ということである。
そして、実際に、
「死ぬ思いの特訓を重ねて、戻ってきて、相手の魔球を打ち崩した」
ということになれば、
「今度はお互いの立場が逆転する」
というわけだ。
打たれた投手は確かにショックだろう。
しかし、この選手も、同じように、
「新魔球を開発する」
といって、宣戦を離脱し、
「新魔球開発」
というものに専念するということになるだろう。
ただ、これも、
「ちょっと考えれば、おかしい」
といえるのではないだろうか?
というのも、
「撃たれたのは、一人の選手にであり、それも、特訓を重ねてやっと打ったというだけではないか?」
今度は、ピッチャーからの立場で考えれば、
「打ち崩した相手は、その時たまたま打ち崩せたというだけのことである」
つまりは、
「10割バッターなどはいない」
ということだ。
どんなに頑張っても、なれるとしても、年間、
「三割五分」
くらいがいいところであろう。
どんなに頑張っても、日本で四割を打った人はいない。
「つまりは、半分以上が、打ちそこない」
ということになるのだ。
そういう意味では、
「ピッチャー有利」
ともいえるだろう。
しかも、その魔球は、
「一人にしか打たれているわけではない。いくら特訓をしたとはいえ、その打席では、たまたま打てただけだ」
作品名:趣味が凌駕するバランス 作家名:森本晃次