趣味が凌駕するバランス
直接的なオリンピックにかかわる建物の建造であったりするのは当たり前のことで、それ以外には、
「インフラの整備」
というのが急務だった。
「道路や鉄道」
と言った交通網の整理、当時は、
「三種の神器」
と言われた、
「テレビ」
「電気洗濯機」
「冷蔵庫」
などの一般家庭への普及。
それらのためには、人海戦術が必要だった。
交通網の整備は、
「国家プロジェクト」
として行われ、三種の神器などの普及は、企業努力によるものだったが、そのために、
「田舎の学生の、集団就職」
などというものが行われたり、農村からも、
「出稼ぎ労働者」
ということで、東京に人が集まってきたりした。
しかし、いくら職があるとはいえ、都会では劣悪な環境で働かされていて、
「戦後復興」
といえば、聞こえはいいが、まるで、
「奴隷扱い」
を受けていた人も少なくなかっただろう。
それを思えば、
「社会の大変革」
と言われ、
「高度成長」
と言われた時代だったが、その後の反動というものをどれだけの人が分かっていたというのだろうか?
実際に、
「何とかオリンピック開催」
というものにこぎつけたが、それまで、
「外国の来賓に体裁が悪い」
ということで、それまでの風俗習慣と言われていたような文化が、いくつも失われていた。
レジャーにしても、性風俗業界も、結構ひどい目にあったところも多かっただろう。
また、国家事業ということで、
「土地開発」
などというものが結構行われてきた中で、
「立ち退き問題」
などというものから端を発して、社会問題に発展したものもあった。
それが、探偵小説界において、その派生型として起こってきた、
「社会派推理小説」
と言われるものであった。
特に、社会問題が大きかった、オリンピック前の問題としては、
「ダム工事などで、その受注をめぐっての、談合などにおいて、社会的不正が行われている」
ということが、裏で起こっているというところから始まり、さらに、並行して、
「ダム工事などにおいて、ゼネコンや、その下請けが、そこに住んでいる人の立ち退きのために、飴とムチを使っている」
ということが行われていたりするのだ。
飴としては、
「お金での買収」
ということであり、それでもだめな時は、やくざを使っての、強引な立ち退き対策を行ったりしていた。
結局、立ち退かざるを得なくなり、最後には、住んでいた村が、
「ダム湖の底に沈んでいる」
ということになった。
その二つを同時進行で絡み合わせることで、
「人情というものが、社会の仕組みに切り込む」
という内容の小説が、一種の、
「社会派小説」
というものになるのだった。
昭和の、
「熱血根性」
という発想も、
「根性論で、強引なところがあるが、その根底には、人情というものがあり、人情は、任侠にも通じる」
ということで、そもそも、やくざの世界というのも、
「任侠」
と呼ばれる、
「人情からきている」
といってもいいだろう。
それを考えると、
「昭和は熱血根性のレトロだ」
といってもいいだろう。
それが、
「古き良き時代」
と呼ばれるゆえんでもあるが、決して、平成以降に育った人間には、簡単に理解できるものではないだろう。
特に問題だったのは、
「東京オリンピックが終わった後」
ということであった。
これは、今だからこそ、皆分かっていることであるが、
「何かのイベント」
の前には、
「そのイベント特需」
ということで、経済は大きく発展する。
しかし、問題は終わった後で、
「今度は、せっかく作った競技場や。選手村と言ったものを、いかに運営していくか?」
ということが問題になるのだ。
最近でも、
「オリンピックを開催した国の、数年後」
ということで、特集が組まれていたが、
「かつての競技場に行ってみると、まだ数年しか経っていないのに、競技場の観客席には、いたるところでヒビが入っていて、そこから、草が生えてきている」
というものであった。
実際に、インタビューを受けている内容によると、
「まったく利用しようというところはなく、今では、整備するだけの金もないので、荒れ放題だ」
ということであった。
これは、東京オリンピックの後の日本でもいえたことであり、会場をいろいろなスポーツイベントや、リーグに照会してみたが、どこも、
「利用しよう」
というところは出てこない。
もちろん、
「この会場をフランチャイズに使う」
というところもそんなにはなかったのではないだろうか?
選手村などの跡地には、団地などが建てられたのだろうが、実際には、そこまで入居者があったのかどうか分からない。
そもそも、建物がなかった時代とは違い、その頃に、
「住む家に困っている」
という、
「戦後を引きずっている」
という人はいなかっただろう。
そんな中において、その時代、
「特需で湧いた産業」
というものの、後遺症と言えばいいのか、
「想像もしていなかったであろう問題」
が、巻き起こってきたのだ。
それが、
「公害問題」
というものだ。
「建設ラッシュ」
であったり、
「インフラ整備」
ということから、工場を休む間もないくらいに、フル稼働で、建設に走ったおかげで、
「工場の出す煙突からの煙など」
の影響で、
「空気が汚染される」
ということになり、
「光化学スモッグ」
などというものが出てきたことで、公害問題が沸き起こってきた。
「流してはいけない」
という危険なものを、廃棄物ということで、工場は、垂れ流す。
それを魚が接種したりして、
「食するには危険な魚が溢れることになる」
つまり、
「大気汚染」
と、
「海洋汚染」
というものが、原因で、工場がある地域で、公害問題が出てくるというわけである。
しかも、問題は。
「工場は、廃棄が原因ということが分かっていながら、証明されていないということで、どんどん垂れ流すことになり、その問題が、長く後世において、争われるということになる」
というものであった。
そんな公害問題が、社会問題になった時代、映画でも、小説の世界でも、結構
「社会派推理小説」
というものが問題作品として出来上がっていた。
というのも、それまでの
「探偵小説」
というものとして、
「探偵が登場し、起こった事件のトリックを、明快に解き明かし、事件を解決する」
という、爽快な話であったり、逆に、
「耽美主義」
「猟奇殺人」
「異常性癖」
などと言った、
「変質的な性格を持った犯人が、おどろおどろしい事件を計画し、実行する」
というような話が、それまでの、
「探偵小説」
と呼ばれるものであった。
それが、社会が落ち着いてきて、発展期に入ると、それに伴って、
「人間の感情」
というものと、それに反して、
「社会の構造」
という、
「人間の感情によらない」
というものがかかわることで、新しい問題が引き起こされるというのが、
「この社会派推理小説」
というものである。
「社会派推理小説」
というものであろうが、
「熱血根性もの」
作品名:趣味が凌駕するバランス 作家名:森本晃次