趣味が凌駕するバランス
という感覚でいれたのは、
「同じ大学生の皆と、同じようなことをしていれば、大きな間違いはない」
ということで、ある意味、
「気を遣っている」
というつもりでいた。
確かに、大学時代の四年間、
「四年もあるんだからな」
と思っていたが、よく考えれば、3年生からは、結構いろいろあった。
本当は、
「2年生のころまでに、ある程度単位を取っておいて、三年生で、一気に専攻した学業を頑張って。卒業できるまでにしておいて、四年生では、就活に集中する」
というのが、
「大学生活」
というものの、青写真ということであった。
これをまわりの人たちは皆自覚していたようだが、山崎にはそこまでは感じることはできていなかったようだ。
だから、最初のつまずきは、
「大学二年が終わった時」
ということで、
「実際に取得しなければいけない」
と言われていたところまでは、到底及ぶものではなかった。
それを考えると、
「本当に俺は、まわりをしっかり見ていたのだろうか?」
と考え、
「まわりとかかわっているつもりで、できていなかった」
つまりは、
「やはり、俺には人とかかわるということのできる人間ではないんだ」
ということを、いまさらながらに感じるのであった。
確かに人とかかわるということは難しい。
大学に入って、
「たくさんの友達を作る」
ということに成功はした。
しかし、それは、
「表面上の付き合い」
というか、
「表向き」
といってもいいくらいだったかも知れない。
確かに、たくさんの友達ができたが、結果、
「その友達を信じているつもりで、実は、自分が流されていただけだった」
ということも分からずに、甘いところしか見ていなかったのだ。
皆。
「一歩先を見ていて、それが大学生」
ということだと自覚していたものを、
「皆と同じようにしていれば安心」
と大学時代というものを甘く見ていたということで、
「見えるはずのものが見えなくなっていたのだろう」
それでは、
「ただの物まねに過ぎないではないか?」
ということであった。
そもそも、
「物まねというものは嫌いだ」
と思っていた。
それは、
「物まねという芸能」
ということではなく、ただ、人がすることを真似るだけという、一種の、
「猿真似」
といってもいいだろう。
「ものを頭から作るのが好きだ」
ということを、子供の頃から感じていたはずだったのに、いつの間に、そのことを忘れてしまっていたのだろうか?
それを考えると、
「大学生になれば、大人だ」
と思っていたはずなのに、
「それが、結局は猿真似に終わってしまう」
などと思うと、
「大学に行った意味って何だったんだろう?」
とまで思うのだった。
確かに、高校の時、
「大学というのは、レジャーランドのようなところ」
といっていた先生がいた。
それを聴いて、
「大学というところは、専門の勉強をするところではないのか?」
と思っていた自分は、
「そんな大学生にはなりたくないな」
ということで、高校時代から、
「大学に入ったら遊ぶぞ」
ということは考えていなかった。
だが、大学に入ると、
「友達をたくさん作って、彼女も作る」
ということで、高校時代までは、
「タブーだ」
と言われていたことをしようと思うのだった。
「まわりを敵だ」
と考えてしまうことは、
「そもそも、おかしい」
と思っていた。
何といっても、
「入試だから仕方がない」
ということであったが、人との競争も、望んでいるわけではなかった。
ただ、
「試験」
というのは嫌いではなかった。
というのは、
「自分が勉強した結果が、形となって現れる」
ということが分かっていたからだ。
だから、恥ずかしくないように、勉強して、
「その成果として、大学入学を勝ち取る」
ということであった。
ただ、
「人と競争するのは、嫌だ」
と思っていた感覚は、たぶん、学園ドラマなどを見て、主人公が、
「決してがり勉ではない」
というところからきていた。
がり勉君というのは、どちらかというと、嫌われ役で、主人公である、
「平均的な高校生」
に対して、
「劣等感を持ってる」
という意識が強いだろう。
さらに、主人公よりも劣等生がいて、先生から、嫌悪されるくらいの立場にいたりする。
それを主人公の目線から、見ているのが、
「学園ドラマ」
というものだ。
ただ、実際の学園ドラマというのは、結構、
「教師側から見ているものが多い」
いわゆる、
「熱血根性教師」
という昭和の時代から、平成になると、
「破天荒な先生」
であるが、
「先生が実は熱血漢を持っていて、生徒を導く」
というところは、昭和の熱血先生と変わりはない。
つまり、
「時代が変わって、学園生活というものに大きな変化があったので、先生の性質も変わってはいるが、根底では変わりない」
ということが言いたいのであろう。
だから、今の時代に、
「昭和の、熱血根性もの」
というのを見ると、
「滑稽にしか見えない」
ということであるが、
「実際に、高校生というものが、そして、高校生活というものが、昭和と平成以降ではどれだけ違うか?」
ということになるのだが、これは、
「学校だけに限らず、家庭においても、かなり変革している」
といえるだろう。
昭和と平成
特に社会において、
「バブルの崩壊」
というものが、
「社会全般をいかに変革させたのかということが分かる」
ということである。
社会というものが、どういうものなのか、高校時代であったり、大学生になってからというもの、そんなに簡単に分かるというものではないだろう。
「昭和レトロ」
と言われるほど、社会は一変した。
生まれは昭和だったが、赤ん坊の頃だったはずなので、分かるはずもない。
親もすでに共稼ぎで、ちょうど自分たちの頃は、
「保育園問題」
などがいろいろ出てきた
時代だったのだろう。
そんな時代になると、
「学校生活と家庭というものを、分けて考えたい」
と思っていたが、
「そうもいかなかった」
といってもいいだろう。
その一つには、
「親の干渉」
というものが大きかったような気がする。
親というと、
「昭和時代に育った」
ということで、親の学生時代というと、社会は、
「公害問題」
などの社会問題が大きかったりした時代だった。
そもそも、この時代というと、
「昭和39年における東京オリンピック」
というものが、大きな機転となっていたといってもいいだろう。
日本政府とすれば、
東京タワーの建設の頃に、
「もはや戦後ではない」
ということを打ち出し、さらに、
「戦後復興が終わり、完全なる独立国として再出発した日本というものを、全世界に宣伝する」
ということでの一大イベントが、
「東京オリンピック」
というものだった。
このオリンピックが行われるということで、決定が決まってからは、急ピッチだった。
作品名:趣味が凌駕するバランス 作家名:森本晃次