小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

趣味が凌駕するバランス

INDEX|3ページ/16ページ|

次のページ前のページ
 

 という感覚でいれたのは、
「同じ大学生の皆と、同じようなことをしていれば、大きな間違いはない」
 ということで、ある意味、
「気を遣っている」
 というつもりでいた。
 確かに、大学時代の四年間、
「四年もあるんだからな」
 と思っていたが、よく考えれば、3年生からは、結構いろいろあった。
 本当は、
「2年生のころまでに、ある程度単位を取っておいて、三年生で、一気に専攻した学業を頑張って。卒業できるまでにしておいて、四年生では、就活に集中する」
 というのが、
「大学生活」
 というものの、青写真ということであった。
 これをまわりの人たちは皆自覚していたようだが、山崎にはそこまでは感じることはできていなかったようだ。
 だから、最初のつまずきは、
「大学二年が終わった時」
 ということで、
「実際に取得しなければいけない」
 と言われていたところまでは、到底及ぶものではなかった。
 それを考えると、
「本当に俺は、まわりをしっかり見ていたのだろうか?」
 と考え、
「まわりとかかわっているつもりで、できていなかった」
 つまりは、
「やはり、俺には人とかかわるということのできる人間ではないんだ」
 ということを、いまさらながらに感じるのであった。
 確かに人とかかわるということは難しい。
 大学に入って、
「たくさんの友達を作る」
 ということに成功はした。
 しかし、それは、
「表面上の付き合い」
 というか、
「表向き」
 といってもいいくらいだったかも知れない。
 確かに、たくさんの友達ができたが、結果、
「その友達を信じているつもりで、実は、自分が流されていただけだった」
 ということも分からずに、甘いところしか見ていなかったのだ。
 皆。
「一歩先を見ていて、それが大学生」
 ということだと自覚していたものを、
「皆と同じようにしていれば安心」
 と大学時代というものを甘く見ていたということで、
「見えるはずのものが見えなくなっていたのだろう」
 それでは、
「ただの物まねに過ぎないではないか?」
 ということであった。
 そもそも、
「物まねというものは嫌いだ」
 と思っていた。
 それは、
「物まねという芸能」
 ということではなく、ただ、人がすることを真似るだけという、一種の、
「猿真似」
 といってもいいだろう。
「ものを頭から作るのが好きだ」
 ということを、子供の頃から感じていたはずだったのに、いつの間に、そのことを忘れてしまっていたのだろうか?
 それを考えると、
「大学生になれば、大人だ」
 と思っていたはずなのに、
「それが、結局は猿真似に終わってしまう」
 などと思うと、
「大学に行った意味って何だったんだろう?」
 とまで思うのだった。
 確かに、高校の時、
「大学というのは、レジャーランドのようなところ」
 といっていた先生がいた。
 それを聴いて、
「大学というところは、専門の勉強をするところではないのか?」
 と思っていた自分は、
「そんな大学生にはなりたくないな」
 ということで、高校時代から、
「大学に入ったら遊ぶぞ」
 ということは考えていなかった。
 だが、大学に入ると、
「友達をたくさん作って、彼女も作る」
 ということで、高校時代までは、
「タブーだ」
 と言われていたことをしようと思うのだった。
「まわりを敵だ」
 と考えてしまうことは、
「そもそも、おかしい」
 と思っていた。
 何といっても、
「入試だから仕方がない」
 ということであったが、人との競争も、望んでいるわけではなかった。
 ただ、
「試験」
 というのは嫌いではなかった。
 というのは、
「自分が勉強した結果が、形となって現れる」
 ということが分かっていたからだ。
 だから、恥ずかしくないように、勉強して、
「その成果として、大学入学を勝ち取る」
 ということであった。
 ただ、
「人と競争するのは、嫌だ」
 と思っていた感覚は、たぶん、学園ドラマなどを見て、主人公が、
「決してがり勉ではない」
 というところからきていた。
 がり勉君というのは、どちらかというと、嫌われ役で、主人公である、
「平均的な高校生」
 に対して、
「劣等感を持ってる」
 という意識が強いだろう。
 さらに、主人公よりも劣等生がいて、先生から、嫌悪されるくらいの立場にいたりする。
 それを主人公の目線から、見ているのが、
「学園ドラマ」
 というものだ。
 ただ、実際の学園ドラマというのは、結構、
「教師側から見ているものが多い」
 いわゆる、
「熱血根性教師」
 という昭和の時代から、平成になると、
「破天荒な先生」
 であるが、
「先生が実は熱血漢を持っていて、生徒を導く」
 というところは、昭和の熱血先生と変わりはない。
 つまり、
「時代が変わって、学園生活というものに大きな変化があったので、先生の性質も変わってはいるが、根底では変わりない」
 ということが言いたいのであろう。
 だから、今の時代に、
「昭和の、熱血根性もの」
 というのを見ると、
「滑稽にしか見えない」
 ということであるが、
「実際に、高校生というものが、そして、高校生活というものが、昭和と平成以降ではどれだけ違うか?」
 ということになるのだが、これは、
「学校だけに限らず、家庭においても、かなり変革している」
 といえるだろう。

                 昭和と平成

 特に社会において、
「バブルの崩壊」
 というものが、
「社会全般をいかに変革させたのかということが分かる」
 ということである。
 社会というものが、どういうものなのか、高校時代であったり、大学生になってからというもの、そんなに簡単に分かるというものではないだろう。
「昭和レトロ」
 と言われるほど、社会は一変した。
 生まれは昭和だったが、赤ん坊の頃だったはずなので、分かるはずもない。
 親もすでに共稼ぎで、ちょうど自分たちの頃は、
「保育園問題」
 などがいろいろ出てきた
 時代だったのだろう。
 そんな時代になると、
「学校生活と家庭というものを、分けて考えたい」
 と思っていたが、
「そうもいかなかった」
 といってもいいだろう。
 その一つには、
「親の干渉」
 というものが大きかったような気がする。
 親というと、
「昭和時代に育った」
 ということで、親の学生時代というと、社会は、
「公害問題」
 などの社会問題が大きかったりした時代だった。
 そもそも、この時代というと、
「昭和39年における東京オリンピック」
 というものが、大きな機転となっていたといってもいいだろう。
 日本政府とすれば、
 東京タワーの建設の頃に、
「もはや戦後ではない」
 ということを打ち出し、さらに、
「戦後復興が終わり、完全なる独立国として再出発した日本というものを、全世界に宣伝する」
 ということでの一大イベントが、
「東京オリンピック」
 というものだった。
 このオリンピックが行われるということで、決定が決まってからは、急ピッチだった。