趣味が凌駕するバランス
「海千山千の人事担当」
顔色一つ変えることなく、応対してくるところもある。
もちろん、中には、露骨に嫌な顔をするところもあったが、それを見てこっちも、
「しまった」
という顔になってしまうだろうが、それは、
「しょうがないこと」
として受け流すしかないだろう。
ひょっとすると、相手も、
「我々の露骨な表情を見て、果たして、そういうリアクションを見せるか?」
というところまで考えているかも知れないからである。
逆に、こっちが、まったく気にもしていない場合は、どう考えるだろうか?
「こいつ、なかなかしたたかだな」
と思われるか、それとも、
「こちらの表情を気にもしていないほどに、気遣いのできないやつなんだろうか?」
という、
「両極端な目」
で見るかも知れない。
それを考えると、
「一日に数社の面接」
というのは、確かに
「下手な鉄砲数打てば当たるかも知れないが、だからといって、自分の中で混乱を招くだけで、焦りに繋がるのではないか?」
ともいえるだろう。
実際に、頭の中は混乱し、焦りも生まれていた。
しかし、感覚もマヒしてきていて、次第に、
「面接にも慣れてきた」
と感じるのも、ウソではなかった。
ただ、
「このまま、都心部だけで就活をしていても、らちが明かない」
と感じたのも事実で、
「地元でも、少し就活してみます」
と、大学の就職相談窓口では、そう言って、
「遅まきながらの、Uターン就職を考えた」
ということであった。
さすがに、都心部とは違い、地元の企業は少なかった。
応募数もそこまではなかったが、それでも、地域一番の大都市ということで、各業界での、
「地元大手企業」
というのは、いくつかあったのだ。
その中で、ちょうど内定をもらえた会社というのが、
「地元の食品商社」
だった。
この会社は、入社試験や面接も、都心部の会社と違い、そんなに厳しいものではなかった。
逆に、
「Uターン就職」
ということで、
「都心部の大学出身」
ということで、重宝されたようだった。
実際に、地元大手と呼ばれるところは、
「地元大学に大学閥のようなものがあるようで、一定数の内定者がいるようだったが、その分、都心部からの入社はほとんど望めない」
ということで、最初の頃は、
「Uターン学生歓迎」
という就職案内のパンフレットを作っていたのだ。
もちろん、その言葉に惹かれての就活だったが、まさに、思った通り、内定までには、そんなに大変ではなかった。
自分の中で、
「一度就活に対しての方向性を変えてみたところで、新鮮な気分で、面接や試験にの緒初めた」
ということも大きかったのかも知れない。
それが一番、自分のためになったようで、意外とスムーズに内定にこぎつけた。
そして、
「一度内定がもらえると、そこから先は芋ずる式だった」
といってもいい。
気が大きくなるのか、
「この方法でよかったんだ」
という就活の方法に自信が持てたからなのか、それとも、
「Uターン就職というものを望んでいる会社が、思っていた以上に多いということなのか?」
ということが考えられた。
実際に、冬休みが近づいた頃には、5つの会社から内定がもらえた。
「都心部では、2,30社を受けても、まったく内定がもらえなかったのに、地元に戻ってくれば、8社うけて、もらえた内定が、5社だった」
これは、確かに、
「地元就活」
ということで、ランクをかなり下げたということであったが、ここまで内定をもらえると、
「自分の就活もまんざらではなかった」
と思ってもいいだろう。
「一時は、あれだけ自信をなくして、自分を卑下していたはずなのに」
と思ったが、
「自信回復できた」
ということもうれしかったのだ。
ただ、今まで、
「人とかかわるのが好きではなかった」
と思っていた自分が、そういう意味でも就活に自信がもてなかったが、
「数をこなした」
ということからなのか、就活で何とか成功できたのは、よかったといってもいいだろう。
「他の人も大差のない学生時代だった」
と就活前は思っていた。
高校時代までは、実に暗い性格で、
「人とかかわるのが嫌だった」
と思っていた。
何しろ、中学時代から高校時代に掻けて、目指すものは、
「入試」
だったのだ。
「中学時代には、高校入試、高校に入れば、大学入試」
ということで、表面上は、
「クラスメイト」
や、
「友達」
として接してきたが、蓋を開ければ、
「皆、敵」
ということになるのではないだろうか?
もちろん、同じ学校を皆が目指しているわけではなく、友達や親友も、皆同じ学校を目指すというわけではない。
「そうか、同じ学校を目指すのか、一緒に合格できればいいけどな」
と口ではいうが、実際には、その言葉の通りである。
「一緒に合格できればいい」
とは口ではいうが、心の中では、
「お前が合格すれば、一つ席が埋まってしまうんだ」
と思えてくるだろう。
しかし、これは、あくまでも、
「成績で選ぶ」
ということなので、本来は、憎しみあったり、嫌悪するものではなく、仕方のないことのはずなのに、なぜか、そう思ってしまうのだ。
「まさか、友達の存在を、自分の言い訳にしよう」
などと思っているわけでもあるまい。
と思うのだが、そのあたりは難しいところであった。
それでも、何とか大学まで進学することができた。
そして、大学に入れば、
「それまでの暗かった高校時代を払拭しよう」
と思っていたので、まず最初にすることは、
「友達をたくさん作ることであった」
まさに、幼児の頃によく歌った、
「友達百人できるかな?」
というフレーズの歌を思いだしたのだった。
当然、高校時代までは、
「女の子と付き合う」
などということを考えたこともなかった。
とはいえ、何といっても、思春期なのだ。
「彼女が欲しい」
という衝動に駆られることだってあった。
中には、まわりに公然と付き合っているやつもいた。
学校は、そこまで厳しいところではなかったので、
「あの二人が付き合っている」
というウワサが流れても、それで先生から詰問されたり、ましてや、
「何かの処分を受ける」
ということはなかった。
問題が起きれば別だが、意外と、学校が厳しくない方が問題というのも起きないのか、それほど、大変なことにはならないようだった。
大学に入ると、確かに友達はたくさんできた。
「おはよう」
と声を掛けるだけの友達というのであれば、それこそ、
「百人くらいはいた」
と言ってもいいだろう。
最初はそれでもよかった。今までの、
「雁字搦めに高校時代」
というものから解き放たれたと考えると、いくらでも、安心感が募ってくるというものであったのだ。
中学時代、高校時代の六年間は、これ以上ないというほど暗かっただろう。
それは、やはり、
「思春期」
というものを我慢できない状態だったことが大きかったのではないだろうか。
「我慢するのは、もう嫌だ」
ということで、大学に入ると、かなり羽目を外すことになったのだ。
「大学生だから許される」
作品名:趣味が凌駕するバランス 作家名:森本晃次