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「過ぎたるは及ばざるがごとし」殺人事件

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 というのだが、その発想が、山村には到底認められない考えだったのだ。
 というのは、
「世間で平均的な考えを持っていれば、それで何とかなる」
 と真剣に考えている男で、
「なんでも無難にこなしていれば、社会が認めてくれる」
 と思っているようだ。
 しかし、山村は、そんな考えはなかった。
「平均的になんて、何が面白いんだ」
 ということである。
「無難に生きるだけで我慢できるんだったら、最初からしている」
 という思いもあった。
 だから、山村が嫌いな言葉として、
「社会人」
「一般常識」
「一般社会」
 などといった、
「常識」
「社会」
「一般」
 という言葉を使った単語には、どうしても警戒心を抱くのだった。
 学校の先生の中には、
「一つでも人に秀でたものがあれば、他は最低でも構わない。それが個性というものだ」
 といっていた人がいたが、
「まさにその通りだ」
 と思っていた。
「伝記」
 というものに載るような人は、
「一つのことに秀でているけど、他のことは最低だった」
 という人も多い。
 特に、
「親が敷いたレールに乗っかろうとするが、そちらには才能がない」
 ということで、劣等生だったが、他のもので、興味を持ったものを一生懸命にやっていると、
「そっちで素質が開花し、伝記に載るような偉人になった」
 というのが、
「いかにも伝記」
 というものなのであろう。
 山村も、そういうところがあり、絵を描かせると、
「プロ並み」
 という評価があった。
 しかし、さすがに、50歳近くになって、
「絵描きを目指す」
 というのは、あまりにも現実離れをしている。
 さすがに、
「やってみてもいいのではないか?」
 という人がいたとしても、それは、
「無責任な意見だ」
 としかいいようがないだろう。
 だから、山村としては、
「趣味として楽しもう」
 と思うようになったのだ。
 だから、今では60歳を過ぎたが、タクシーの仕事も、それほど、必至になって、金を稼ごうという風には考えないようになった。
 若い頃から、生命保険の一環で、
「積立式の年金保険」
 というものに入っていたので、それで、少しは収入の当てになるというものであった。
 65歳までは、何とか、その個人年金とタクシー稼業でやっていけるだろう。
 そして、今度は、そこから先は、厚生年金があるということで、
「何とかなる」
 と思っている。
 そして、趣味として、
「絵を描く」
 というものがあることで、それほど、
「金のかかる趣味」
 ということではない。
 何とか、時間を趣味に使っていれば、金を使うこともなく、何とか、趣味の時間を楽しみながら、
「金に困ることもなくやっていける」
 と考えている。
 それを思うと、
「これほど、充実した老後もないだろう」
 と思うのだ。
 老後で、
「金がない」
 ということで不安に感じる人は、
「仕事もせずに、趣味もなく、やることがなければ、その時間を潰すのに、金がかかる方に行ってしまいかねない」
 と考えるからである。
 例えば、
「酒を飲んだり、パチンコ、競輪、競馬などといったギャンブル」
 それらに嵌ってしまうと、
「依存症になる可能性が高い」
 ということになるだろう。
 それが一番怖い気がした。
 絵を描くというのであれば、いくら金を使っても、ギャンブル依存になるよりもマシであるし、何よりも、
「充実した毎日を過ごせる」
 ということで、お金を使わないだけか、毎日が満足できるからである。
 中には、
「人とのコミュニケーションを持つのも楽しい」
 というが、果たしてどうなのだろう?
 人と一緒だと、
「自分だけお金を使わない」
 ということもできないし、何よりも、人と一緒にいることで楽しいというのは、
「自分が何か成果を挙げる」
 というわけではないので、満足感や充実感があるのかと言われると、疑問符となるのだ。
 そう、山村という男は、
「何かを作り出す」
 ということが子供の頃から好きだった。
 完成させることはなかなかなかったが、中学時代までは、休みの日などは、自分で木材を買ってきて、
「木工細工」
 というものに興味を持った。
 今でいう、
「DIY」
 と呼ばれる、
「日曜大工」
 というものである。
 子供の頃になかなか完成させることができなかったというのが、トラウマになり、
「芸術的なことは、俺にはできないんだ」
 と思ってあきらめていた。
 だから、中年になるくらいまでは、
「あまり人に絡みたくない」
 と思いながらも、集団の中の隅っこにいる人の一人という感じでいたのだが、それも、
「楽しい」
 と思うことはなく、それよりも、
「ただ、惰性でいるだけ」
 ということで、
「完全なマイナス思考だったといってもいい」
 それは、
「他にすることがないから、人と絡んでいるだけ」
 ということで、そうなると、
「毎日が、ただの暇つぶし」
 ということにしかならない。
「何が楽しいというのか?」
 と言われても、答えようがない。
 そんな時に、
「勉強しないといけない」
 であったり、
「世間で平均的になって、無難に生きていけばいい」
 といっていたやつのセリフが思い出されて、嫌な思いをするのだが、それでも、
「大きな社会の流れというものに逆らえない自分が、腹立たしいが、流されることしかできない自分を卑下しながら、生きていくのが、ある意味、惰性でもいいのではないかと思わせることで、どんどん、何も考えられなくなってきたのだ」
 だから、危ないものに手を出したこともあった。
「出会い系」
 というもので知り合った女と、
「一夜のアバンチュール」
 をしたこともあった。
 半分、
「やけくそだ」
 といってもいいのだろうが、それしかない自分に、嫌気も差してきた。
 そこまで行くと、
「どこかで一つの段階を超えることになる」
 ということであるが、それが、山村にとっては、
「絵を描く」
 ということだったのだ。
 元々、絵を描くということに興味を持ったのは、
 以前、三十代の頃であっただろうか、付き合っている女性と、デートした時のことだった。
 街を歩いていて、川に架かっている橋に向かって、キャンバスを立てて、ベレー帽をかぶった、
「いかにも絵描き」
 という人が絵をかいていた、
 髭を生やしていて、それを見ると、
「格好いい」
 と思えたのだ。
 そして、その途中であったが、絵が素晴らしいものだった。
 これから色を塗るのか分からないが、
「鉛筆デッサンだとしても、素晴らしい」
 と思わせるのであった。
 その絵を見た時。
「俺にもできるだろうか?」
 ということで、さっそくその日に家に帰る前に文房具屋で、筆記具とスケッチブックを購入した。
 ちなみに、その彼女とは、少しだけ付き合ったが、すぐに別れることになった。
 これと言った原因があったわけではない。
「自然消滅」
 ということだったのだ。
 そもそも、
「結婚したい」
 という気持ちはすでになくなっていた。
 実際には、結婚への憧れはなかったわけではない。
 ちょうど、20代中盤くらいの頃、
「この人と結婚したい」