「過ぎたるは及ばざるがごとし」殺人事件
というものを引き起こした政府に、
「堪忍袋の緒が切れた」
ということで、政権交代が起こったが、変わった政権も、
「最初こそ威勢がよかったが、結局何もできず、末期には、自然災害に対して引き起こされた人災に対しての対応が、クズだったということで、また次の選挙で下野してからは、どんどん堕ちていき、それまでの、野党第一刀の地位も奪われ、すでに、支持率が一桁をうろうろするという体たらくになってしまった」
ということである。
だから、
「今の政治が悪いのは、与党が直接的には悪いのだが、それと同時に、野党がひどい状態ということで、野党の責任というのも、無視できない状態になった」
だからこそ、
「どこに投票していいのか分からない」
あるいは、
「どこに入れても同じだ」
ということで、選挙に行かなくなる。
そうなると、投票率は下がるということになり、結局、
「与党あ大勝」
ということになるのだ。
というのも、
「選挙において、支持率が下がれば、与党が強い」
というのは当たり前のことである。
というのは、
「与党は、圧倒的な支持基盤を持っていて、それが組織票ということになり、その人たちは絶対に投票にいくのだ」
ということは、
「もし、その人たちが三万人いたとすれば、投票者が、五万人だった時と、十万人だった時でどれだけ違うというのか、
もし、組織票以外が、
「五分五分」
だったとすれば、
「十万人が投票すれば、与党は、六万五千票で、野党が三万五千票ということになる」
そして、
「五万人だった場合は、与党は、四万人で、野党は一万人」
ということになり、その獲得票の率は一目瞭然というものだ。
だから、与党とすれば、
「投票率が下がる方が、選挙では勝てる」
と思っていることであろう。
しかも、今のように、野党の支持率が、
「どんぐりの背比べ」
ということであれば、本当は、政府与党に肉薄するだけの、大きな野党票というものがなければいけないのに、野党で票が割れてしまうと、その結果、
「与党の圧勝」
ということになる。
これは、
「与党が圧倒的な強さを発揮した」
というわけではなく、
「投票率が下がるほど、国民が政治に興味を持っていない」
ということで、これは、
「誰がソーリになっても同じ」
という、与党に対しての不満と、野党の情けなさからきているもので、
そして、今度は野党が、、どんぐりの背比べになっているのに、それだけに、選挙では、
「一致団結」
しなければいけないところを、同じ選挙区に、野党同士で対抗馬を立てたりなどすれば、それこそ、与党の大勝というのは誰が見ても分かるだろう。
野党も、
「どんぐりの背比べなのだから、当然、他の党に議席を譲るなどということをしてしまうと、自分たちの党から、議席がまったくなくなってしまう」
ということになるのも、必至ということになるであろう。
それを考えると、
「昔のように、与党は、一党独裁ではあったが、野党にも強力な第一党があった」
という時代があったのが、懐かしいというものであった。
もっとも、今の与党というのも、
「連立政権」
というものでしか生き残れないのだから、
「どうしようもない」
ということになるだろう。
「本当に亡国が見えてきた」
ということが、現実味を帯びてきたといってもいいだろう。
そんな国家に追い打ちをかけるような一つの段階が、今回の、
「世界的なパンデミック」
だったといってもいいだろう。
この伝染病のせいで、経済はマヒし、さらには、政府のお粗末な政策から、
「政府が、どれほどのポンコツか?」
ということを国民も思い知った。
しかし、だからと言って、野党もひどい状態で、
「しょうがかいから与党に任せるしかないか」
ということで、ソーリが変われば、その人に期待するのだが、その期待というのは、あっという間に崩れ去り、最低の支持率での底辺にいながら、それでも、他にする人がいないということで、低空のまま、落下しない状態で、国民だけが血を流しているというおかしな状態になっているのであった。
それが、
「今の日本」
ということだ。
そんな政府が行った、
「緊急事態宣言」
というのは、約1,2か月くらいであったが、それまでに見たこともないような世界を見せてくれることになった。
それまでの日本は、
「どんどんサービス精神旺盛」
ということで、便利な世の中に向かうのが当たり前だった。
昭和の頃とはまったく違う。
何といっても、お店というと、営業時間は、
「24時間365日」
という店が増えてきた。
特に、
「コンビニ」
などは、それが当たり前なのだ。
「コンビニエンスストアー」
つまりは、
「便利なお店」
ということで、必需品であれば、店さえ見つかれば、絶対に開いているということである。
だから、都心部などでは、
「眠らない街」
という状態になり、それだけ、仕事も多様化してきて、
「夜働く人」
ということで、シフト制にもなることで、
「人が休んでいる時に働き、人が働いている時に休む」
という、夜行性の人も増えてきたのだ。
中には、
「24時間勤務」
というものがあり、
「それを週3回くらい繰り返す」
という仕事もある。
看護婦などは昔からそういう意味で、
「ブラックだ」
と言われてきたが、他の職業でもそういうところが増えてきた。
昼間であっても、
「時間的には、普通の企業だが、入ってみると、ブラックそのもの」
というところもあるだろう。
看護婦の場合は、他の人よりも給料が高い(それでも割に合わないというのが定石)ということであるが、その仕事はまったくわりに合わないということが多く、それを従業員同士で助け合えばいいのだろうが、先輩社員は、
「自分のことしか考えていない」
という、そういう業種もあったりする。
だから、
「長続きしない」
というわけで、本来なら、
「一番求人もあり、必要な人材」
ということなので、今の時代の、
「人手不足問題の最先端を行っている」
といってもいいだろう。
その職業というのは、
「介護職」
というものである。
今一番問題となっている、
「少子高齢化」
の問題に絡んでくるということだ。
そもそも、この問題は、
「子供を作っても、生活していけない」
ということからきているのであり、国とすれば、
「子供ができても、生活できる社会を」
などと勝手なことを言っているが、最初に、
「少子高齢化」
ということが問題になったのは、
「出産率が減ってきたから」
ということで、それも当たり前のことだった。
「バブルが崩壊した」
という時期であったが、この時期というのは、旦那の給料がどんどん下がってきたことで、
「共稼ぎ」
というのが当たり前になってきたのだ。
専業主婦だからこそ、
「子育てができる」
ということで、働きに出るためには、母親が近くにいれば、
「預けて働きにいく」
ということもできるが、なかなか、それも難しい。
となると、
「働いたお金の中から、何とか絞り出して、保育園に預けるしかない」
作品名:「過ぎたるは及ばざるがごとし」殺人事件 作家名:森本晃次