「過ぎたるは及ばざるがごとし」殺人事件
そんな緊急時代宣言中は、タクシーに乗る人もおらず、結局、会社は台数を減らして、従業員もリストラということになるのだ。
「タクシー業界にも補助金が出る」
となったのは、緊急事態宣言に入ってから1か月後ということであった。
あまりにも遅すぎるというものである。
宣言が終わり、次第にパンデミックが収まってくると、タクシー利用者も、だんだんもとに戻ってくる。
まだまだ以前ほどの賑わいではない。
という状況であるにも関わらず、すでに、
「人手不足」
ということになっていた。
それが、世の中の理不尽さを表しているということになるであろう。
しかし、
「世界的なお案でミック」少しずつ収まってくる中で、、
「他の企業は、従業員が戻ってきているのに、タクシーは、戻ってこない」
ということになるのか?
それは、やはり、
「辞めていく時の、あのパンデミックの地獄を思い出す」
ということと、何といっても、
「一旦、他の仕事をしてみると、給料面から、あまり変わらない給料なのに、あれだけ大変な仕事」
ということで、それまで知らなかった他の世界を知ってしまったからだろう。
何といっても、他の仕事であれば、
「安定」
というものがある。
パンデミックの前までは、そこまでは考えていなかっただろうが、他を知ってしまうと、
「タクシードライバーというのは、どれだけ安定性のないものか?」
ということを思い知ると、そのブラックで曖昧な部分を感じてしまい、
「誰があんな世界に戻るか?」
ということになるのだろう。
これは、タクシー業界に限らず、他の業界にも言えることだろうが、特にタクシーは、
「よく利用する」
という人たちにとったは、結構大変だ。
昔は、タクシー会社に電話して、配車をお願いしても、
「今は近くにいません」
と言われるのは、金曜日の夜だったり、雨の日くらいのものだったが、最近では、平日の夜でも、似たような状態だ。前であれば、
「都心部の駅にあるロータリー内のタクシー乗り場には、タクシーがたくさん待機していて、客は並んでいない」
という光景をよく見かけたが、最近では、逆のことで、
「タクシーが一台もいないので、客が長蛇の列を作っている」
という光景を多く見かける。
「駅でタクシーを拾っていけば、大体どれくらいの時間で、目的地につける」
ということを、だいたい計算できていたが、今ではそんなこともできないようになってしまった。
それだけ、タクシー業界というものが、
「パンデミックの前と後で、状況が変わってしまった」
ということになるのであった。
この公園は、前述のように、ジョギングコースのようになっていて、ジョギングする人はもちろん、散歩の人もたくさんいた。池のまわりをコースは時計回りと決まっていたので、そこをそれぞれのペースで利用しているのだった。
回り方が決まっているので、最初スタートラインで一緒でなければ、なかなか最後まで一緒ということはない。特に、ジョギングと散歩で、通行区分が別になっているので、まったく危ないということはない。
「別に自転車が通る道ではない」
ということなので危険はないのだろうが、その公園の遊歩道は、
「走る人と歩く人で、中央で区切られていた」
ということだ。
時計回りと決まっているので、徒歩の人が右側通行だということになれば、おのずと、「池側は、歩行者」
ということになる。
その方が結構しっくりいくというもので、あとから思えば、
「時計回りにした」
というのは、正解だったと思えるのだった。
走る人も、そんなに急いで走る人はいない。以前は、マラソン選手のような人もいたが、最近では、ジョギングや散歩をする人が増えたので、マラソンの練習をするには、ジョギングの人が邪魔だったのだ。
それだけ、ジョギングや散歩の人が増えたというのには理由があった。
これも、前述の、
「世界的なパンデミック」
というものが、ここでも影響してきた。
「タクシー業界」
や、その他の企業のように、
「人手不足」
という問題が影響しているわけではない。
確かにおかしなもので、
「かたや人手不足」
ということになっているのに、失業者は増えている。確かに専門職が人手不足ということなのだろうが、そもそも、その専門の資格を持っている人間が、
「あの業界はブラックだ」
ということで、他の職に就くということなのだから、今までやっていた人が切られてしまって、戻ろうとしても、仕事がないということになるのであろうか、
それを考えると、理不尽さを感じないわけにはいかない。
その理不尽さというのは、どうしても、
「目の前で自分の職を犯してきた。他からきた従業員」
に目が行くのだろうが、冷静に考えると、その人たちが、
「戻りたくない」
という前職の、そのブラックさが招いたことである。
世の中は、
「世界的なパンデミック」
というものを迎えて、変わらなければいけないところに来ているのだから、
「今まで通りでいい」
などということはない。
そんなことは分かっているはずなのに、どうしても、そのことを考えずにいられないのだ。
やはり、
「世界的なパンデミック」
というのは、
「時間差で、その影響が出てくる」
ということで、国が、その基準を、
「他の既存の伝染病と同レベルに引き下げる」
という対応をして、政府は、
「ピークが去った」
ということにしても、それは、あくまでも、
「政府の都合」
ということであり、ハッキリいえば、
「国が金を出したくない」
ということだ。
引き下げなければ、
「医療費はすべて国家持ち」
ということであり、当然、
「検査費用も、ワクチン代も、入院費も」
すべてが国家から供出されるということになるわけだ。
しかも、
「経済が停滞したままで、
「これ以上は、国家の存亡にかかわる」
とでも言って、強引な引き下げを行った。
それまで、毎日のように、感染者数を伝えていたマスゴミが、それを伝えなくなった。
それも当たり前のことで、一切、自治体が発表しなくなったからだ。
「毎日のように夕方になると出ていた知事の顔を見ることはなくなったな」
ということである。
あれから、まだ1年も経っていないが、
「そういえば、知事ってどんな顔していたっけ?」
というくらいに、遠ざかっているような気がするくらいである。
ただ、その時間差がどれほどあるのか、引き下げられる前の混乱がまだまだ残っていて、その影響が今の、
「人手不足」
という状況に拍車をかけているのだろう。
少子高齢化問題
何といっても、今は、
「少子高齢化時代」
いくら、
「定年が伸びた」
ということで、
「人生百年計画」
などといって、年金制度がほぼ崩壊している状態では、
「死ぬまで働け」
ということで、
「じゃあ、今まで収めた年金、どうしてくれるんだ」
と言いたいくらいであるが、なぜか国民は落ち着いている。
元々、
「ずさんな管理を長年続けてきた」
ということで、
「消えた年金問題」
作品名:「過ぎたるは及ばざるがごとし」殺人事件 作家名:森本晃次