「過ぎたるは及ばざるがごとし」殺人事件
凶器は持ち去られているので、ハッキリとは分からないが、
「傷口から見て、そんなに重たいものではない」
ということから、刑事としては、
「かなりの力のある人でないと難しいかな?」
と考えると、
「女性ということは考えにくいな」
ということであった。
「じゃあ、即死ではなかったということなんでしょうか?」
と桜井刑事が鑑識に聞いたが、
「それは何とも言えません。ただ、争ったり苦しんだりした痕が見えませんから、状況から見て、即死だったといってもいいかも知れませんね」
というのだった。
それを聴いていた門倉刑事だったが、
「死体を運び込んだということはありませんかね?」
と聞いたが、
「他で殺されて運ばれてきたという形跡は、この現場からは感じませんね」
と鑑識はいった。
門倉刑事は、自分が捜査している事件の内容を話したが、
「これだけ距離があると、難しいかもですね。もっとも、一度抜いた凶器をもう一度刺せば、血は止まるかも知れないけど、そこから、離れたところにもっていくというのは、どうにも無理があるように考えます」
と鑑識はいった。
鑑識の頭にも、桜井、門倉両刑事にも、
「この状況から、事件を結び付けるのは無理がある」
と考えるのであった。
ただ、
「一度抜いた凶器をまた刺すということにどういう意味があるのか?」
ということは考えていた。
「そこにどんな意味があるのか?」
ということと、
「そんな面倒なことを?」
というメリットを考えていると、理屈が合わないと思えてならないのであった。
その日は、そのまま事情を聴いただけで、とりあえず、その場を保存したまま、
「数日間は、営業しない」
ということになった。
桜井刑事は警察署に戻り、事件を説明したが、さっそく、殺人事件ということで、捜査本部ができることになった。
この署では、なかなか捜査本部ができなかったが、最近であればm
「1カ月ほど前にあった誘拐事件」
というのが、そのうちの一つだった。
その事件というのは、おかしな事件であった。
「誘拐した」
という誘拐を表明するかのような電話が家に掛かってきたことで、警察は捜査本部を作り、捜査を行ったのだが、実際に、それから犯人から、これと言った連絡がなかった。
別に、身代金を要求してくるということも、脅迫めいた電話もなかったのだ。
家族も警察も、
「被害者の命が大切」
ということで、ヤキモキしていた。
被害者の家は確かに、
「身代金狙いで誘拐事件が起こる」
ということがありそうな豪邸に住んでいるような人だった。
だから、
「子供を返してくれるのなら、少々のお金くらいは」
と思っていた。
もちろん、相手がいくら要求してくるか分からないが、
「五千万くらいだったら、娘の命に比べれば」
と思っていたようだ。
もっとも、この家のご主人は、まだ先代がしっかりと握っていて、会社の経営などは、息子に譲ってはいたが、家での権力は、以前として、先代が持っていたのだ。
それこそ、
「徳川時代における。家康と秀忠の関係のようだ」
とその時捜査に当たった、桜井刑事は、考えていたのだった。
桜井刑事は、歴史が好きだった。
それは、
「日本史としての歴史」
というものもそうだったが、
「世界史の中の近代史」
ということで、明治以降の戦後すぐくらいまでに至る歴史には、興味を持っていた。
それは、タクシードライバーである山村も同じで、彼は、年齢的にも、
「歴史が好きな人の多い時代に育った」
といってもいいだろう。
「今の時代の方が歴史好きの人が多いのではないか?」
と思っている人もいるだろう。
何といっても、女性での歴史ファンというものが多く、特に、
「歴女」
などと呼ばれる人が多いということから考えてもそうであろう。
ただ、山村とすれば、
「今と昔とでは、歴史を好きだという基準が違う」
と思っていた。
それは、昔であれば、まわりから、
「そんなことも知らないのか?」
と言われ、その屈辱から、
「自分で勉強する」
ということをしているうちに、
「歴史が好きになる」
ということが多いからではないだろうか。
しかし、今の時代になると、
「アニメやゲームで、歴史に触れる」
というのが多いのだ。
そもそも、今の子供が、
「学問に触れる」
というのは、
「まわりの人との関係」
であったり、
「学校の勉強」
ということはなかなかないだろう。
友達と仲良くするなどというのは、昔のことであり、今では、
「SNSなどのバーチャルな世界での友達が多い」
というのが今である。
だから、オンラインゲームであったり、マンガによる知識から、歴史を学ぶ人が多いのだ。
特に、
「ゲームなどでは、歴史上の人物であったり、ある戦などが、シミュレーションとして描かれているので、まず、皆、
「そのキャラクターに興味を持つ」
ということになるだろう。
キャラクターに興味を持つと、ゲームの中で、争っている人との会話の中で、
「知らないと、恥ずかしい」
という思いが出てくる。
そこまでくると、
「あとは昔も今も変わりない」
ということになるだろう。
というのも、
「知らないと恥ずかしい」
と思ったことで、昔の人は、図書館で本を見て調べたりしたが、今ではパソコンやスマホがあり、検索することで、その答えが簡単に得られるということで、歴史に興味を持つのだ。
それは、
「きっかけは、違っても、最終的な気持ちに変わりない」
と思うことで、
「今の人も昔の人も、お互いに分からない」
という心境になるのは無理もないことだ。
ということになるだろうが、
「その接点はない」
というわけではない。
それを思えば、
「今も昔も、歴史を好きになる人の増え方に、変わりはないのかも知れない」
と感じるのだった。
というのも、
「頭の良さは、昔よりも今の子供の方がいいのかも知れない」
といっている人がいた。
それは、
「山のような情報を処理できる力があるからだ」
ということである。
ゲームをするのも、
「知能を柔らかくする」
という力に繋がっているのではないか?
といっている人がいたが、まさにその通りではないだろうか?
「何をするにしても、準備段階が必要で、今の子供の方が、その才能に長けている」
といってもいいだろう。
ただこれは、逆にいえば、
「それくらいのことができなければ、今の子供は、それ以外にいいところがない」
ともいえることではないか。
「人間、一つはどこか、人にはないいいところがあるはずだ」
ということで、それは、
「同一時代の人間相手」
というだけではなく、昔の人間と比較すれば、それぞれに、
「一長一短がある」
ということになるであろう。
それを考えると、
「今の時代において、
「何かいいところがあるのか?」
と今の子供を見ていて。気づかない大人ばかりであろう。
それは、子供の方で、
「大人に分かられたくない」
という意識があるのか、考えさせないようにしているからなのかも知れない。
作品名:「過ぎたるは及ばざるがごとし」殺人事件 作家名:森本晃次