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対になるもの(考)

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 特に、その頃は、出版社だけではなく、自治体もたくさんコンクールを企画するようになり、本屋も、蔵書の数が、限界に達してきているので、新しい本が出版されても、置く場所がないなどの問題があり、
「いくら売れた本でも、昔の本で今は売れないとなると、平気で返品されるということになる」
 もちろん、需要があれば、
「注文する」
 ということもできるだろう。
 しかし、わざわざそこまでして読みたいと思う本は、そんなにはないだろう。
 ただ、
「持ち込みは、ごみ箱行きだ」
 ということがあからさまになってくると、それを逆手にとって、
「本にする原稿をお送りください」
 という宣伝をする出版社が増えてきた。
 いわゆる。
「自費出版社系の出版社」
 ということで、そういうところは、原稿を募集して、
「それまでの、持ち込み原稿が、読みもせず、ただごみ箱に捨てられるだけだった」
 ということや、
「賞に応募しても、その批評はおろか、どこまでの作品なのかという評価すら何もない」
 という状態を考えて、
「送付いただいた作品は必ず読んで、その批評や評価とともに、わが社が推奨する出版の意味つもりをお送りします」
 ということでの原稿応募だったのだ。
 作家とすれば、
「自分の作品を評価してくれる」
 ということが一番ありがたかったということである。
「評価がないから、不安にもなるし、このまま続けていてもいいのか?」
 と考えさせられるというものだった。
 だから、それらの自費出版社系の会社に、
「一縷の望み」
 を掛けて原稿を送るのだが、実際に、批評もして返してくれる。
 そこで安心を勝ち取ることに成功し、相手の担当と話をしているうちに、
「本を出してみたい」
 と思わせるわけだ。
 だから、自費出版社系の会社が、
「年間発行部数日本一」
 というところも出てくるわけで、それだけ本を出したいと思っている人が多いということであり、さらには、
「このやり方は素晴らしい」
 などといって、経営評論家の人たちが、このブームを一つの、
「経営戦略の成功例」
 ということで取り上げるので、本を出したいと思っている人は、それなりに信用してしまうということになるだろう。
 それが、本当に一過性のもので、2年もすれば、そんな、
「自費出版系の会社が、どんどん破綻していく」
 ということに、誰も気づいていなかったのだろう。
 これも、一種のバブルのようなもので、こちらは、
「実態のない」
 というものではなく、
「自転車操業のようなもので、一つの歯車が狂えば、すべてが回らなくなる」
 ということになるのだった。

                 自費出版社の興亡

 自転車操業というと、
「うまく歯車が絡み合っている時はいいが、それが狂ってくると、どうしようもなくなることになる」
 ということであろう。
 逆にいえば、
「まったく余裕のない状態で回しているので、いつ、歯車が外れるか分からない」
 ということであり、
「これが一種の、バブルが崩壊した理由」
 ということではないだろうか。
 それをどこまで理解しているのかということになるのだろうが、
「遊びの部分がない」
 ということで、はち切れそうになっているということは、まわりから見ていれば、分かりそうなものである。
 それが分からないというのは、
「そもそも、自転車操業だ」
 ということに気づいていないのか、それとも、
「神話を信じ切っているからではないか?」
 ということかも知れない。
「バブルの崩壊」
 ということにおいても、
「数々の神話が崩壊した」
 といってもいいだろう。
 一番大きなものとしては、
「銀行は絶対に潰れることはない」
 と言われたことであった。
 というのは、
「銀行は潰れそうになれば、政府が助ける」
 というような言われ方をしていたからだ。
 しかし、実際には、それもままならない状態になっていた。
 何といっても、どこの銀行も、
「事業を拡大すれば、その分儲かる」
 という、
「正比例の法則」
 というものを、当たり前のように信じていたからである。
 だから銀行は、
「もっと儲かるように、もっとたくさん融資しますよ」
 ということで、利益を少しでも出したいということで、
「過剰融資」
 を持ち掛けるのだ。
 企業としても、
「金はいくらでもあればいい。その分、儲かるのだから」
 と思うことだろう。
 それに、ライバル会社との絡みというのもあったに違いない。
「トップになりたい」
 という気持ちはどの会社にもあるもので、逆に、
「トップでなければ、二番でも、後ろの方でも変わりない」
 と思っているとすれば、
「たくさん融資があればあるほどいい」
 と思うことだろう。
 それが、
「お互いに利害が一致した」
 ということで、過剰融資に対して、疑いを持つということはないのだろう。
 それを思えば、過剰融資が、
「悪いことだ」
 と思う人もいない。
 しかし、これが、企業の命取りになり、
「企業が破綻する」
 ということになると、
「利益部分だけではなく、元本まで返ってこない」
 ということになる。
 そうなると、
「不良債権の山」
 というものを銀行は築くことになり、
「銀行も破綻する」
 ということになってしまうのであった。
 それが、バブル経済において、どうしようもないことの始まりであり、
「歯車が狂う」
 という第一歩だったのだ。
 しかし、それでも、何とか銀行は助かる道を模索した。
 破綻してしまうと、
「貸付」
 だけではなく、市民が預金しているものまで、返ってこないということになり、社会的な大混乱が、リアルに起こるということで、放っておくわけにはいかない大問題となったのであった。
 そこで、銀行が考えたのは、
「吸収合併」
 ということであった。
「力があるところが、救済を必要としている会社を吸収する」
 というものだ。
 もちろん、中には、
「対等合併」
 というのもあるだろうが、しょせんは、吸収合併ということにしかならないということである。
 実際に、吸収合併ということになると、
 潰れかけているとはいえ、その銀行が持っている顧客が、自分たちが入り込めなかった部分であったとすれば、吸収する側も、その利益をもらうことができて、お互いに、悪いことではないということになる。
 それがメリットというもので、
「お互いに、得をする合併であれば、いい」
 ということで、バブル期に、ほとんどの銀行が合併したといってもいいだろう。
「バブル期の銀行名って何だっけ?」
 というくらいに、もう昔の影がなくなってしまった。
 特に、昔の都市銀行というと、
「財閥系」
 というのが多かったが。今では、その財閥の名前を残している銀行は、ほとんどないだろう。
 残っているとすれば、
「合併した会社がそのままつながった」
 というような、
「やたら長い名前」
 ということになるのではないだろうか。
 それを考えると、
「何か滑稽にも思える」
 と、外野は思うだろうが、実際には、
「結構真面目な判断で、その判断は間違っていなかった」
作品名:対になるもの(考) 作家名:森本晃次