小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

対になるもの(考)

INDEX|7ページ/16ページ|

次のページ前のページ
 

「非正規雇用」
 という考え方が出てきたからで、彼らは、
「正社員ほど給料があるわけではなく、派遣会社から派遣されるから派遣会社ということになり、契約は、派遣会社を通して二なるので、アルバイトなどと比べて、その人が何かをした時の保障は、派遣会社が持つ」
 ということになるのだ。
 それは、今までの時代と大きく変わったことを示すもので、
 それまでの会社は、
「終身雇用」
「年功序列」
 という体制でもっていた。
 つまり、
「一旦会社に入ってしまえば、定年まで務めを果たすというのが、当たり前のことであり、それが正しい道だ」
 と言われてきた。
 だから、
「会社を辞める」
 ということは、社員にとって、決していいことではなかったのだ。
 そう、これは、
「プロ野球の世界でも、いえることなのかも知れない」
 と思われた。
 理由は違うが、それまでのプロ野球というのは、
「一人前の投手は、先発完投が当たり前」
 と言われていた。
 しかし、途中から、
「先発ピッチャー」
「セットアッパー」
「クローザー」
 などという、分業制になってきた。
 これは、適材適所ということもあるだろうが、サラリーマンの世界においても、
「実力主義」
 という考え方とも、あいまったのかも知れない。
 昔のような、年功序列であれば、
「ある程度の年齢になれば、仕事ができるできないにかかわらず、順当に出世していく」
 ということであり、
「まるで社会主義のようではないか?」
 と考える人もいただろう。
 確かに、資本主義というような社会であれば、
「自由競争」
 というものが基本なので、
「できる社員は、どんどん出世していき、給料も高くしてやらないと、会社自体が、成長しない」
 という、外国の、
「合理主義と、自由主義というものが結びついて。それが、会社の発展につながる」
 ということにはならない。
 何といっても、
「終身雇用」
「年功序列」
 というのは、昔からの日本の伝統というもので、それがいいか悪いかは答えを出すのは難しいだろうが、少なくとも、
「自由経済」
 ということであれば、
「実力主義」
 ということではないだろう。
 ただ、時代は、皮肉なことに今は、自由競争の時代に入ってきていて、
「終身雇用」
「年功序列」
 という言葉は、
「すっかりなくなってしまった」
 といってもいいだろう。
 つまりこれは、
「望む望まないにかかわらず、結局、時代が、それを望んだ」
 ということで、
「自由競争」
 という状況ではないが、
「終身雇用」
 などという昔からのものは、
「すでに死語になってしまった」
 ということになるのであろう。
 バブルが弾けてすぐ」
 というそんな時代には、
「残業をしないかわりに、余った時間でサブカルチャーにいそしむ」
 という人が増えてきた。
 バブルの時代は、
「企業戦士」
 と言われ、
「24時間戦えますか?」
 と言われていた時代だったので、その時代は、
「給料はたんまりもらえるが、それを使う時間がない」
 ということで、お金はあったということである。
 そこで、
「将来、実力主義になるだろう」
 と言われたこともあって、
「勉強して資格を取ろう」
 という人が増えてきた。
 その頃に普及してきた
「パソコン教室」
 であったり、従来から人気があった。
「英会話教室」
 などというのが流行り、
「駅前に数件の教室がある」
 と言われるほど、教室がたくさんあった時期があった。。
 その頃のサブカルチャーは趣味とも結びついていて、
「フィットネスクラブ」
 も流行ったりした。
「健康こそがこれから大切」
 と考えていた人も多いことだろう。
 そんな中、小説執筆というのも、静かなブームだったようだ。
 何といっても、
「お金がかからない趣味」
 ということだったからだ。
 いくら、バブルの時代に貯蓄があるとはいえ、
「一生遊んで暮らせるだけのたくわえなどあるわけもない」
 ということで、
「できるだけ楽しむ」
 ということを考えれば、今まで考えたこともないであろう、
「小説執筆」
 ということにひそかにあこがれている人が結構いたということになる。
 ただ、問題は、
「小説家になる」
 あるいは、
「本を出したい」
 ということに関しては、漫画家にも言えることだが、結構ハードルが高いというものであった。
 方法としては、
「名のある出版社の賞に入賞する」
 という方法か、あるいは、
「持ち込み原稿を認めてもらうか?」
 という方法しかない。
 名のある出版社の賞というのは、それこそ、入賞は難しい。
 それまでのように、
「本当に小説家になりたい」
 と思うう人だけが応募していたものが、
「にわか」
 でなりたいという人まで応募するようになると、今までの数倍の応募者になる。そうなると、本当に、
「狭き門」
 ということになるだろう。
 ただ、実際には、にわかに部分の人は、こういうと偏見になるのかも知れないが、
「にわかはにわかでしかない」
 ということで、文章作法もしっかりしておらず、誤字脱字もひどかったりして、審査するひとから見れば、
「舐めてるんじゃないか?」
 という原稿が多いということだ。
 何しろ、
「軽い気持ちで、やるのだから、遊び半分と思われても仕方がない」
 そんな連中は、最初から眼中にはないので、実際に審査を受ける資格があるのは、
「以前からずっと応募を続けていた人だろう」
 ということになる。
 しかし、途中から、
「ライトノベル」
 であったり、
「ケイタイ小説」
 などというものが出てくると、
 そこから先は、
「そのブームに嵌った人が受賞する」
 ということになってくる。
 これは、一過性のブームなのかも知れないが、それでも、
「それだけラノベやケイタイ小説というものが、一世を風靡したことで、市民権を得た立派な小説のジャンルだ」
 といえるのではないだろうか。
 それを考えると、
「時代を作るのは、それにかかわる多勢なのではないか?」
 ともいえるだろう。
 つまり、
「一つの勢力」
 ということで、その力を侮れないということだ。
 ただ、それでも、何とか新人賞を取って、小説家としてデビューできたとしても、それはあくまでも、
「スタートラインでしかない」
 ということだ。
 問題はそこからで、編集者とすれば、
「次回作は、受賞作以上のものを書いてもらわないと困る」
 というだろう。
 しかし、作家によっては、
「受賞作で燃え尽きた」
 と思っている人も多い。
 そして、
「これ以上の作品は、自分には無理だ」
 と思いながらも、
「出版社に尻を叩かれる」
 という状況に、身動きが取れなくなり、そのまま消えていくことになるという人はいっぱいいるだろう。
 というより、
「ほとんどは、このパターンだ」
 ということである。
「じゃあ、持ち込みではどうだ?」
 ということになるが、それももっと無理があり、
「どこの出版社が、素人の書いた作品を取り上げるというのか?」
 ということである。
作品名:対になるもの(考) 作家名:森本晃次