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対になるもの(考)

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「都市伝説的な発想であったり、伝承が加わることで、オカルトのような話が出来上がってきた」
 というところから、
「彼の小説のバリエーションが増えていった」
 ということである。
「あの先生はその発想をどこから?」
 と考える人も多いのだろうが、そもそも、
「本職は学者」
 という意識を誰よりも本人が持っているのだから、作家稼業というのは、
「趣味であり、そして、実益を兼ねている」
 ということから、まわりの人には、
「どっちが本職なのだろう?」
 と感じさせるだけの力を持っているということなのだろう。
 それを考えると、出版社の方も、
「先生には、好きなようにさせておけばいい」
 ということで、
「締め切りさえ守ってくれれば」
 ということで、内容に関して、出版社が口出すことはない。
 もちろん、出版に際しての、
「企画会議」
 なるものはあるのだが、それは、
「作者側からの提案」
 というだけで、それに、出版社が注文を付けることはない。逆に、
「ほう、それは面白いですね」
 ということになり、さっそく、執筆活動に充てられるのだ。
 締め切りをこの先生は破ったことはない。
 なぜなら、
「自分の書きたいことを書いているのだから、納得がいかない」
 ということはないのだろう。
 というのは、
「小説家が途中で詰まってしまったり、書けなくなる」
 というのは、
「自分の作品を見失った」
 というのも、ウソではないだろうが、それよりも、
「自分で納得して書いているわけではない」
 という自分の立場に、書いている間、気が付いてしまうということからであろう。
 最初から分かっていて書いているはずなのに、一定の執筆期間の間には、
「考え方の分岐点」
 のようなものがあり、立ち止まるという、
「段階」
 がそこには存在しているのかも知れない。
 それを思えば、
「小説をプロとして書く」
 というのが、実に難しいかということになるからだ。
「小説家になりたい」
 であったり、
「自分の本を出したい」
 と考える人は、昔から一定数はいただろう。
 しかし、ある時期、ちょうど今から20年くらい前の時代くらいから、急にそう思う人が増えてきたのだ。
 元々は、
「バブル崩壊」
 というものが、社会全体の構造を変えてしまったことで、
「それまでの人の生活リズムや習慣をも変えざるをえない」
 ということになってきたのだ。
 そんな中で、それまで、
「仕事だけをしている」
 というのがバブルの時代だった。
 それは、
「事業を拡大すればするほど儲かる」
 ということが、根底にあった。
 つまり、
「単純計算が成り立つ世界」
 だったのだ。
 だから、
「仕事をすることが成果となって、自分の仕事の報酬も得られる」
 ということと同時に、
「これが生きがいだ」
 ということで、
「仕事というものだけが、自分のすべてだ」
 と思うことが、一番だということだっただろう。
 つまり、
「正比例のグラフ」
 ということで、
「信じたことをしていれば、成果は出てくる」
 というものであった。
 もっとも、それが、
「実態のないもの」
 ということで、
「絵に描いた餅」
 である二次元を、まるで三次元というようなだまし絵を見せられた気分だったのだろう。
 そんな、実態のないものが、
「永遠につながっていく」
 ということなどありえない。
 というのは、
「合わせ鏡」
 であったり、
「マトリョシカ人形」
 という発想のように、
「どんどん小さくなっていくのだが、それは、絶対にゼロになるものではない」
 ということで、それは、数式に当てはめれば分かるというものだった。
「整数から整数をいくら何度も割り続けたとしても、絶対にゼロになることはない」
 という当たり前の数式で、これは、
「数学以前の算数として、小学校で習う発想だ」
 ということだ。
 しかし、普通の人は、このような数式を一般生活に照らして考えることをしないので、
「一歩先」
 という発想が思い浮かばないのだろう」
 それを思うと、
「天才と凡人は紙一重」
 という人がいるが、
「一歩先を見るという発想が、目の前にある壁を破るという発想になるかならないか」
 ということであることに気づかないのであろう。
 それが、
「怖いからなのか?」
 と思える。
 誰でも。
「目の前にあるものが見える範囲でしか、怖くて進めない」
 と感じるに違いないからだ。
 そう感じることで、
「永遠というのは、ありえないことだ」
 と思い込んでいるのかも知れない。
 それが、一種の、
「発想と妄想の矛盾」
 というものではないだろうか?
 バブルが弾けると、それまで仕事ばかりをしていたものが、
「やればやるほど成果があがる」
 と言われていたが、その成果が限界に達した。
 それにより、先に進むことができなくなり、今度は、
「やればやるほど、赤字になってくる」
 という時代になった。
 となると、
「売上で利益を出すことはできない」
 という時代になり、そのために、
「利益を残すには、売上ではなく、経費を節減することでしかできない」
 ということになると、一番の問題は、
「人件費」
 ということになる。
 しかも、仕事の量が減るわけである。
 これまでのように、
「やればやるほど」
 という、
「やれることがなくなってきたのだ」
 どこの会社も、そんなことが分かってくると、仕事をしなくなる。
 そして、経費節減に躍起になるというわけだ。
 そのため、
「人員整理が行われる」
 それをリストラというのだが、この頃から言われ出した言葉だった。
 リストに走ると、会社は様々な方法で、
「首切り」
 を行う。
「飴とムチ」
 を使ったりするだろう。
 一つは、
「窓際に追いやって、仕事をさせずに、辞めます」
 と言わせる、
「ムチの方法」
 であり、または、
「退職金に色をつける」
 ということで、退職者を募る、
「早期退職者募集」
 という、
「飴という方法」
 を駆使して、会社は身を軽くしようとするのだ。
 そして、残った人間で、何とか回さなければいけないので、それはそれで大変だ。
「今までまったくかじったことのない部署の仕事までしないといけない」
 ということになり、しかも会社からは、
「残業はしてはいけない」
 と言われているのだ。
「仕事を家に持って帰ってするか?」
 あるいは、
「黙って会社に残るか?」
 ということであるが、それも、
「経費節減と、見つからないようにするために、スポットライトのようなものを用意して、薄暗い明かりの中で仕事をしなければいけない」
 ということになるのであった。
 それは、実に惨めなもので、要するに、
「辞めるも地獄、残るも地獄」
 という時代になったのだ。
 そんな時代なので、給料も一気に下がった人も多いだろう。
 しかも、賞与などもない。
 それでも、仕事は、やっているうちに慣れてきて、
「残業をしなくても、こなせるようになった」
 という時代がすぐにやってきた。
 というのは、会社が、いや、世間の雇用体制が変わってきたからだ。
「派遣社員」
 という名前の、
作品名:対になるもの(考) 作家名:森本晃次