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対になるもの(考)

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「統治していたのは、占領軍と呼ばれる、欧米の国である」
 ということだ。
 彼らからすれば、
「宣教師が、実は、スパイだった」
 などということになれば、
「民主主義としての基本が揺らぐ」
 ということになる。
 これも、征服した国の特徴であるが、
「かつての勢力のすべてを否定しなければ、自分たちが悪者にされてしまう」
 ということになるのではないだろうか?
 だから、徳川幕府ができた時、そして、大阪の陣で、豊臣家が滅んだ時、
「豊臣家の遺産は、ほとんどすべて抹殺する」
 ということになり、歴史書も、徳川に都合の悪い歴史は封印されたり、書き換えられたりしたというものだ。
 それは、今度は、
「明治新政府ができた時」
 にも言えることであった。
 それまでの封建制度であったり、徳川に都合よく変えられた歴史を、今度は、
「天皇中心の中央集権国家」
 として、
「徳川のすべてを否定して、朝廷や天皇を敬いながらの政治」
 ということになる。
 特に鎖国というものから、開国したことで、
「海外との不平等条約の撤廃」
 というものを勧めていくうえで、
「封建国家とは、邪魔なだけだ」
 といえるだろう。
 あとは、
「明治新政府」
 というものが、
「建武の新政」
 というものを知っていたかということである。
 鎌倉幕府がモンゴルによる侵略を受けた、
「元寇」
 というもので、勝つには勝ったが、相手の土地をもらえないことから、
「幕府財政も、封建制度というもの自体が揺らいだ」
 ということであった。
 それに対して。幕府とすれば、どうしようもない状態において、どうにも幕府ではできないということで、御家人の不満は爆発した。
 それに便乗したのが、
「後醍醐天皇」
 で、彼は、不満を持った御家人をつかって、鎌倉幕府を滅亡させ、そこから先は、
「天皇中心の世の中」
 というものを作ろうと画策したのであった。
 何とか鎌倉幕府を滅亡させることには成功したが、後醍醐天皇が行ったのは、平安時代、あでの、古い時代、つまり、
「昔のままの、律令制度」
 を推し進めようとしたのだ。
 それだけではなく、褒美は公家に与えて、命を懸けて戦った武士を蔑ろにした。
 こうなってしまうと、武士の不満は、朝廷に向かうということになるだろう。
 そこで、足利尊氏が立ち上がり、最終的には、
「足利幕府の成立」
 と、朝廷においては。
「南北朝」
 という、
「二つの調停ができた」
 ということになったのである。
 だから、
「明治新政府」
 も同じようにしてしまうと、武士から滅ぼされる。
 ということで、考えたのであろう。
 というのは、
「鳥羽伏見の戦い」
 において、幕府軍が撤退し、さらには、徳川慶喜が、
「蟄居する」
 ということで、
「徳川幕府は滅亡」
 ということになるのだろうが、明治政府はそれでは済まされなかった。
 つまり、
「徳川幕府を潰す」
 ということである。
 これはまるで、家康が豊臣を最後まで追い詰めて滅ぼした、
「大阪の陣」
 と同じであろう。
 つまり、
「封建制度」
 というものがなくならないと、
「新しい時代を作ることはできない」
 ということになるのだ。
 それが、
「明治新政府の真の狙いだった」
 ということであろう。
 それでも、明治になってからも、
「西南戦争」
「佐賀の乱」
「萩の乱」
 さらには、
「秋月の乱」
 と、徹底的に、滅ぼされたというものだ。
 ただ、考えてみれば、ここでいう。それぞれの乱というのはほとんどが、
「明治政府の主要な位置を築いた藩による反乱ではないか?」
 といえるであろう。
「萩の乱」
 というのは、長州藩。
「西南戦争」
 が、薩摩藩。
「佐賀の乱」
 といえば、佐賀藩
 という具合に、そのほとんどは、明治政府の要人となっているところの出身地ということだ。
 これには訳があるだろう。
 というのは、
それらの藩というのは、そもそも、倒幕に貢献があった藩であるし、幕末の志士というものを多く輩出し、それだけ犠牲も大きかったということだ。
 しかし、明治政府のやり方には、
「例外というのは認めない」
 いくら貢献があった藩だとはいえ、
「政策変更に変わりはない」
 ということで、政府に対して恨みを持つ人が多いのは当たり前というものだ。
 本来なら、
「論功行賞によって、、いい思いをすべきものが、痛い目にだけあって、何も見返りがないというのは無慈悲もいいところだ。
 しかし、それを明治政府は力づくで抑え込み、結局は、
「自分たちの時代」
 にしてしまったのだ。
 それが、徹底していたことで、
「建武の新政」
 のような失敗はなかったということであろう。
 少なくとも、
「大日本帝国として、憲法や議会政治、さらには、強力な軍隊を持つことができ、次第に世界の大国の仲間入り」
 というものをするようになったのだ。
 そんな歴史の中で。明治政府は、徹底的に封建制度を批判した。それにより、
「鎖国」
「キリスト教禁止」
 という政策を、
「悪いこと」
 と位置付けた。
 しかも、占領軍はキリスト教を擁護している国なので、
「結局、キリスト教を迫害した当時の日本は悪い」
 という教育になってしまったのではないかと考えるのだ。
 だから、日本において、本来であれば、
「キリスト教」
 というものがいいものなのか悪いものなのか、微妙な気がする。
 しかし、史実として、
「宣教師が先に入り込ませて、そこでキリスト教を布教し、それが混乱を招くと、一気呵成に攻め込んで。植民地にしてしまう」
 というやり方が、蔓延していたということである。
 だから、日本は、第二次世界大戦において、
「名目上」
 なのかも知れないが、
「アングロサクソンに植民地化された東アジアを解放し、そこに、日本を中心とした新秩序を組み立てる」
 ということでの、
「大東亜戦争」
 という言葉が、閣議決定されたのであった。
 このように、
「男と女」
 宗教であれば、
「イスラム教とキリスト教」
「東西冷戦の2大超大国」
 のように、対になるものというのは、意外と大変なもので、それが、
「争いの下」
 となるのは必至で、避けることのできないものなのかも知れない。

                 自転車操業

 ある人は、両者が対になっているものというものとして認識しているものを、いくつか思い浮かべることができるが、そのうちのいくつか思い浮かんでくるものとして、
「ミステリー小説によく浮かんでくるものがあるな」
 というものであった。
 その一つが、
「殺人計画メモ」
 なるものであった。
 そこには、村の中で、
「相対」
 あるいは、
「正対」
 している者の名前が書いてある。
 その名前のどちらかがいつも殺されていくわけだが、ストーリーとしては、
「それまで、この事件が、無差別殺人で行われている」
 と思っていたのだが、実際には、
「その殺人計画メモ」
 の通りに行われているということであった。
 ただ、それは、事件の背景を見れば、実に難しいことであり、いかに、
「その片方だけをうまく殺すか?」
 というのは、
作品名:対になるもの(考) 作家名:森本晃次