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対になるもの(考)

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 という男が、
「気持ちは人間の味方」
 ということで、
「火というものがなくて、不便で仕方のない人間」
 のことを思って、ゼウスに許可なく神の神殿にある火を勝手に持ち出して、人間に与えてしまったのだ。
 ゼウスは怒って、プロメテウスに罰を与えるのだが、その罰がまた恐ろしいものであった。
 というのも、
「断崖絶壁に磔になり、そこで、ハゲタカに肉を食らわせる」
 というものであるが、
 それだけでは済まないのであった。
 というのも、それは、数千年続くというもので、
「一日が経てば、傷つけられた身体が、元に戻っている」
 というものであった。
 つまりは、
「永遠に、ついばまれるという苦しみが続く」
 ということであった。
 似たような話を日本の民話にもあったような気がする。
 これは、
「罰が与えられる」
 というわけではないが、
「永遠の苦しみ」
 ということでの話であるが、
 それが、
「足が根っこになっている」
 というような話だった。
「森の中から、誰かの声が聞こえるということで行ってみると、そこは、ちょっとした広っぱになっていて、その中央に、一人の若者が立っているのであった」
 というところから始まるのだが、
「その少年は、足が根っこのようになっていて、ずっと、そこから動けない」
 ということのようである。
「そこで、少年は、近づいてきた男を巧みに近寄らせ、握手をさせる。すると男は少年と入れ替わり、少年には足ができる形で、男は逆に、足は根っこになってしまった」
 という話である。
「他に誰かが通り掛かって、今のように、握手に誘い込まなければ、お前は、一生ここから動くことはできない」
 というと、
「若者は意気揚々と男を置き去りに、走って、広っぱから出ていくのであった」
 ということであった。
「これは、もし自分がそうなれば、誰かが近づいてくれば、簡単に相手を欺いて、自分だけ助かろうとするだろうか?」
 ということを教訓とした話ではないだろうか?
 それを考えると、
「人間というものの醜さ」
 ということなのか、
「究極の罰に対して、自分が助かるのであれば、人のことを考えられるかどうか?」
 という
「自分の運命を天秤に架けられるか?」
 ということである。
 天秤に架けるというのも、
「恐怖の裏返しであれば、天秤に架けるまでもなく、自分が助かるということしか頭にないというのが当たり前」
 ということではないか?
 と考えることであった。
 プロメテウスが、ゼウスから罰を与えられているのと、同時進行で、今度はゼウスは、
「人間に対しての罰」
 というものを画策していた。
 その時、人間界には、
「女性という存在はいなかった」
 ということになっている。
 そして、ゼウスはその罰に対して、
「女性というものを作り、人間界に災いをもたらすもの」
 ということで送り込むという計画を立てたのだった。
 その作られた女性というのは、
「他の神々から、いろいろな贈り物を送られる」
 ということで、それが、例えば女神からは、
「男のたぶらかし方」
 などと言った。人間界にありとあらゆる禍をもたらすように教え込まれたのであった。
 そして、ゼウスはその女を、プロメテウスの弟に差し向けることにした。
 プロメテウスは、どこでその情報を知ったのか、弟に、
「ゼウスから何を送られても、それは無視しろ」
 と伝えておいたが、結局、女の魔力によって、骨抜きにされてしまったのであった。
 彼女は、世の中にありとあらゆる禍をもたらすために降りてきたわけで、その時、別の神から、
「開けてはいけない」
 という箱を授かったのだった。
 その時、彼女は、好奇心に負けて、その箱を開けてしまうことになるのだが、その女性の名前というのが、
「パンドラ」
 という名前である。
 ということであれば、この話がどういう話なのかということは、お察しがつくのではないだろうか?
 そう、このお話は、
「パンドラの匣」
 と言われる話である。
「開けてしまうと、その中から禍が飛び出す」
 ということで、
「開けてはいけない」
 と言われる箱のことを総称して、
「パンドラの匣」
 という風にいうのだった。
 つまり、それは箱に限ったわけではなく、
「タブーや禁断と呼ばれているものを、パンドラの匣という言葉で表すのが、一般的なのではないか?」
 と言われるゆえんであった。
 開けてしまったその箱の中からは、
「ありとあらゆる不幸のたねが飛び出した」
 と言われる。
 疫病であったり、自然災害や、ありとあらゆる不幸をもたらす事象が、飛び出した」
 ということであるが、実際には、
「箱の中に残ったものがある」
 ということで、それが、
「人間に対しての希望」
 というものだということで伝わっているのだった。
 基本的には、
「戒めを与える話」
 ということで、とても、ハッピーエンドとはいえない話であるが、
「最後に、希望というものが残っていた」
 ということが、
「不幸中の幸い」
 ということではないかであった。
 要するに、この時の、
「世界最初の女性とされたのが、パンドラの匣で有名になった、パンドラという女性である」
 というのである。
 この、
「パンドラの匣」
 という話は、
「人間は、最初すべて男しかおらず、神様から火をもらうと同時に、女を与えられた」
 ということになるが、実際の話とは、若干違っているということになる。
 というのは、
「その目的が違うということで、火のもらい方が悪かったのだから、女のもらい方も悪い」
 ということであろうか。
 そもそも、
「ギリシャ神話」
 というのは、人間界の常識で考えてはいけない世界なのではないか?
 ということを考えると、確かにおかしな発想にもなるというものだ。
 何といっても、前述の
「プロメテウスが、どうしてゼウスが弟に贈り物をしようとしたのかを知っていたか?」
 ということである。
 そもそも、何を送るのかも知っていてしかるべきなのに、それなのに、肝心の、
「何を送るかが分かっていれば、弟の方も、対処のしようがあっただろう」
 ということになる。
 しかし、
「ゼウスというのは、万能の神」
 ということなので、ひょっとすると、
「ゼウスが何かを弟に送る」
 ということを悟らせて、
「さらに、プロメテウスを苦しめよう」
 という策略が含まれていると考えるのは、無理のあることであろうか?
 ということも考えられる。
 いや、
「そこまでの考えがあるわけではなく、作者が、物語を面白くしたい」
 という発想だけの下の、
「ただの演出だ」
 ということも言えるのではないだろうか。
 そう考えれば、
「神の世界」
 というものが、人間社会に酷似していて、
「全能の神といっても、物語の中では、作者の手のひらの上で、踊らされているというだけにならないだろうか?」
 ということであった。
「パンドラの匣」
 という話に限らず、結局、
「ギリシャ神話」
 というものは、人間が作っているのだから、
「神様というのが、より人間臭い」
 と考えるのは、当たり前ではないかということであった。
作品名:対になるもの(考) 作家名:森本晃次