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対になるもの(考)

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 この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年2月時点のものです。時代背景と時代考証とは、必ずしも一致するわけではありませんので、ご了承ください。一種のパラレルワールドでしょうか? 今回のお話の中に、どこかで聞いたようなお話もあるかも知れませんが、それはあくまでも、話のつなぎというくらいに考えていただければいいかと思います。あくまでもこのお話はフィクションです。

                 対になるもの

 世の中には、対になっているものが結構ある。もっといえば、
「対になっているものから成り立っている」
 ともいえるだろう。
 何といっても、
「生命の誕生」
 というものは、ごく一部の例外を除いて、
「男女の営みによって生まれる」
 ということではないだろうか?
 男性と女性という、
「異なった身体が、同じ種族でありながら、一番広い範囲での分別ということで。男女というものは存在している」
 といってもいいだろう。
 対となっているものには、
「一つの動物の身体の中」
 という意味でも存在している。
 顔の部分を見ても分かるだろう。
「そのほとんどが対だ」
 といってもいい。
「目。耳、鼻の孔と、それぞれ二つ存在している。
 ただ、口だけは一つだが、なぜ口だけが一つなのかということは。調べてみたが分からない。
 ということは、
「ハッキリとした理屈に伴った考え方」
 というものがないということになるのであろう。
 ただ、内臓の中には、対になっているものは、それほどない。
「肺と腎臓くらい」
 ではないだろうか?
 これが何を意味しているのか分からないが、
「表に出ているには、対が多く、内臓のように、隠れているものには、対が少ない」
 ということである。
 対になっているものの理屈としては、
「大切なものは2つある」
 といえるのではないかと思ったが、
「そのすべてが大切だ」
 ともいえるが、死というものに、直接関係しているという意味で、考えられる内臓の部分として、
「心臓と脳だ」
 といえるだろうが、
「この二つは、一つしかない」
 ということで、
「大切なもの」
 という意味ではあまり合致していないのかも知れない。
 本当に大切なものだということであれば、
「内臓の方が多い」
 という理屈になるであろう。
 とすると、
「二つある」
 という理由としては、
「二つないと、機能を果たさない」
 と考える方が、しっくりくるといえるのではないだろうか?
 というのも、耳などの場合は、
「ステレオのように、左右から立体感で感じることができるからではないか」
 ということであり、目の場合も、
「遠近感を取りやすくするため」
 ということではないか」
 ということになる。
 遠近感という発想は、大きさの認識にもつながることで、これは、
「二つないといけない」
 ということを忘れてしまうほど、当たり前のことのようになっているのかも知れないのだろう。
 鼻の孔は、
「詰まってしまうと呼吸が苦しいということで、口との連携」
 という意味でも、二つ必要なのかも知れない。
 なかなか生理学的にも解釈が難しいところであろうが、結論として、
「二つあるものは、二つなければいけない」
 ということで、
「そこには、我々に分からないところで、れっきとした理由が存在する」
 ということになるのであろう。
「自分たちに関係のないところで対というのもあるかも知れない」
 とも考えられるが、その場合は、
「本当は対なのに、対であるということを意識させない」
 というようなそういう問題が含まれているのだが、意識しないだけに、まるで、
「石ころの存在」
 とでもいうように、
「わざと意識させない」
 ということで、
「それにはそれだけの理由があるのではないか?」
 ということではないだろうか。
「男女が対になっていて、そこから子供が生まれて、人類は反映してきた」
 という風に、ほとんどは信じられているということであるが、
 その考えが違っているものが、
「ギリシャ神話」
 といえるのではないだろうか?
 ギリシャ神話においては、
「途中まで、人間は、男だけだった」
 ということなのである。
 人間には、
「火を起こす」
 という文化もなく、その頃は、
「とても、文明といえるまでのものは何もなかった」
 といってもいいだろう。
 この話は、万能の神である
「ゼウス」
 が、
「人間に火を与えると、人間は戦争をしたりして、禍を自らもたらすようになる」
 ということで、
「決して人間に、火を与えてはいけない」
 ということであった。
 それは、本当にゼウスのいう通りなのかというと、難しいところで、そもそも、ギリシャ神話に出てくる
「オリンポスの十二神」
 というのは、
「人間よりも、人間臭い」
 と言われているということではないか。
 そんなオリンポスの神の中心であるゼウスがいうのだから、さぞかし、
「自分が都合のいいようにしか言っていないのではないか?」
 と思えるのだ。
 もっとも、そう思っているのはリアルな人間だけで、神話に出てくる登場人物、つまりは、神であったり、人間というのは、
「ゼウスに絶対服従」
 という考えなのだろう。
 だから、ギリシャ神話の話には、
「理不尽」
 と思えることがたくさん出てくる。
「ゼウスが人間のように嫉妬すれば、他の神に命じて、自分に嫉妬させた人間だけでなく、その男が国王であれば、その国ごと滅ぼしてしまう」
 ということになるのである。
 つまりは、
「自分のわがままのために、一人を滅ぼすのに、国家全体を滅亡させる」
 などということも当たり前に行う。
「神の世界ではそれが正当というものであり、滅ぼす相手が、一人であろうと、何百万人であろうとも、関係ない」
 という考えであろうか。
 そもそも、
「一人の人間の命は、地球よりも重い」
 などという言葉があったではないか。
 実際に、何かがあって、人の命に対しての
「究極の選択」
 というものが迫られた時、
「一人を助けるか?」
 あるいは、
「数百万を助けるか?」
 ということになった時、普通であれば、
「数百万」
 ということになるだろう。
 しかし、
「一人の人間の命は、地球よりも重い」
 という観点からいけば、
「簡単に選択することはできない」
 と考え、結局何もできずに、全滅するということになるのではないだろうか?
 そんなギリシャ神話の世界の中で、
「プロメテウス」
作品名:対になるもの(考) 作家名:森本晃次