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対になるもの(考)

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 というのも、一つ考えられるのではないだろうか?
 少し、卑猥なところもあるかも知れないが、これは、人類、いや、動物にとっての、
「種の保存」
 ということで大切なこと、
 そして、
「避けては通れない」
 という問題である。
 ここで、対になるものんお代表として、
「男と女」
 という関係があり、それが、
「種の保存」
 というものを著しているのだ。
 男女というのは、お互いにまったく違うものである。
 これは、同じ男同士で、
「年齢が天と地ほど違う」
 という場合と、
「同じ年であっても、男女の違い」
 という場合とでは、どちらの方が距離があるというのか、
 その質問をされた時、
「次元が違う」
 と答えるのではないだろうか?
「次元が違う」
 という言い方をそれば、ごまかせると言えばいいのか、確かに、難しい問題ではあるが、なるほど、
「他に答えようがない」
 といってもいいかも知れない。
「じゃあ、次元が違うというその次元というのは、どういう発想からなのだろうか?」
 ということで、
「一次元、二次元」
 という発想での次元ということであろうか?
 それとも、
「今では、ある程度解明されている三次元という世界と、概念でしかない四次元の世界。つまりは、時間軸という概念を付け加えて考えた時の距離感だ」
 ということになれば、その距離は、想像がつかないものだろう。
 もちろん、分かっていると考えられる、
「一次元の二次元の差」
 であったり、
「二次元と三次元の差」
 というものは、それぞれの概念は分かっているが、
「では、その距離感については、本当に分かっているのか?」
 と聞かれると、
「分かるはずがない」
 としか、答えられないのではないだろうか?
 それを考えると、
「次元が違う」
 というのは、
「答えられないこと」
 あるいは、文字通りの、
「比較にならない」
 というようなことを思い浮かべた時に出てくる発想なのではないだろうか?
 それを考えると、
「男女の差」
 というのは、
「自分は、男か女でしかないので、異性のことになると、分かるわけはない」
 といえるだろう。
 だから、普段からその差を考えているはずなのに、意識しないようになっているのかも知れない。
 それが、一種の、
「石ころのような感覚」
 といってもいいのではないだろうか?
 石ころというのは、河原であったり、そのまわりに見えているものであったりする、すべてのものを、
「その距離感」
 であったり、
「石ころそのもの」
 を見ている人間に意識させないという効力を持っているのだろう。
 それは、一つ一つが違っているものなのにも関わらず、最初から意識していないと、見えているものが、その違いを感じさせない思いから、さらには、
「そこに存在しているはずなのに、意識させない」
 ということで、
「そこにあって当たり前というものを、いちいち意識しない」
 という感覚にさせるのだ。
 これは、
「フレーム問題」
 というものに、
「微妙にかかわっているのではないか?」
 と考えられるのであった。
「フレーム問題」
 というのは、ロボット開発などの問題で言われることであるが、段階を追って考えると説明しやすい。
 まず、
「時系列で考える時、次の瞬間には、無限の可能性が広がっている」
 ということが考えられるであろう。
 何かをする時、それまでに、いくつもの考えをもって、目標であったり、命令は達成されるということになる。
 たとえば、
「洞窟の中から箱を取ってこい」
 という命令を受けると、まず、
「洞窟に入る」
 というところから始まり、中を進んでいって、箱をもって。それを表に運び出す」
 というだけの段階を踏むことになるだろう。
 洞窟に入る時、広がっている無限の可能性の中で、考えられることだけを考え、
「危険がない」
 と判断すると、次のステップに入る。
 人間の場合は、それができるのだ。
 しかし、
「人工知能を取り付けたロボットであれば、どうだろう?」
 どんなに人間よりも計算速度が速く、発想を処理することができるとしても、その処理する可能性が、
「無限にある」
 ということであるから、いくら最高速で計算したとしても、計算が終わることはない。
 だとすると、
「無限にある可能性」
 というものを、少しずつ分解し、
「考えられることだけを計算の対象にできるように、枠に当てはめればいい」
 ということになる。
 だが、いかに分割しようとも、
「無限からは何で割っても、無限しか出てこない」
 ということで、
「結局、人工知能には処理ができない」
 ということになる。
 だから、
「ロボットは、結局なにもできずに、まったく動くことができない」
 ということになるのだ。
 それが、
「ロボット開発のフレーム問題」
 というものだ。
 しかし、人間には、それを理解することができる。しかも、
「無意識のうちに判断することができ、簡単に、中から箱をもってくることになるだろう」
 ということである。
 だったら、
「人工知能」
 は人間が作ったのに、フレーム問題を解決できないものしかできない。
 ということで、
「ロボットは、頭脳という意味でも、人間に近づくことすらできない」
 ということになる。
 つまり、
「人間が、人間と同じ頭脳を持ったものを作るということは、タブーだ」
 ということになるのではないか?
 それは、
「人間を作ったもの」
 という発想に似ているだろう。
 今までのいろいろな発想から考えれば、
「人間を作ったのは、神だ」
 ということになる。
 人間は、自分たちが、最高の生物だと思っているだろう。だから、神という存在を崇めながらも、
「神に近づいて、神を追い越そう」
 と考える輩も出てくるということになるだろう。
「そうなると、どうなるか?」
 その戒めとして考えられたのが、
「バベルの塔」
 という発想であった。
 あれは、
「旧約聖書の中に出てくる。伝説の塔」
 のことであるが、
 バビロニアの王であった、
「ニムロデ王」
 というのが、自分の権威を示そうと、天を衝くような、でかい建築物を建てようと考えた。
「権威を示す」
 という意味では、
「エジプトのピラミッド」
「日本であれば、巨大古墳」
 などと言ったものが古代と言われる時代に建てられている。
 これは、いみじくも、
「陵墓」
 という意味で、
「目的が同じ」
 ということで、興味深いことであるが、
「バベルの塔」
 は明らかに、
「天に対しての挑戦」
 であり、
「神への挑戦」
 といってもいいだろう。
 しかも、
「天に向かって矢を射る」
 という行為をしたことで、明らかに、
「神への冒涜」
 ということで、塔は神の怒りにふれ、壊された。
 しかも、その時にいた人民は、神から、
「言葉が通じない」
 という戒めを受け。王を見捨てて、
「全世界に散り散りになっていった」
 ということである。
 それだけ、
「神に近づく」
 ということはおろか、
「神を冒涜する」
 など考えられない暴挙をしたことは、
作品名:対になるもの(考) 作家名:森本晃次