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蔓延と慢性

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 正当防衛というのは、相手が襲ってきたり、お互いに喧嘩になってしまったりした場合。お互いに殴り合っていたりして、それを何とかしようとした場合、相手を突き飛ばしてしまったりした時に争われるというものだ。
 これは、
「殺意の有無」
 というのは関係はないだろう。
「やらなければやられる」
 という恐怖から、防衛しようとして、逃げられないという場合に発生することである。
 ただ、この場合は、
「どこまでが正当防衛の範囲なのか?」
 ということが問題となるだろう。
 というのも、
「相手が襲ってくるということが分かっていた」
 ということで、逆に、最初から、
「相手に自分を襲わせるような状況に、最初からさせようと画策していたとすれば、事情は変わってくる」
 ということである。
 さらに、
「正当防衛を主張する被告が、最初から凶器になるようなものを所持していた」
 ということであれば、
「正当防衛を主張する」
 というのは、かなり無理があるというものである。
 だから、正当防衛を主張するのは、かなりデリケートな部分もあり、裁判員制度であれば、裁判員の人にとっても、難しい判断となるに違いない。
 確かに、
「正当防衛を主張するだけの条件がそろっているのであれば、正当防衛というのは認められるべきなのかも知れない」
 と思うだろうが、そうなると、
「被害者側の親族の心境を考えると、たまったものではない」
 ということになるのだ。
 いくら、殺された人間が極悪人であっても、相手に殺意があって、殺人罪の要件が満たされれば、そこで殺人が認められる。
 加害者の方は、
「仕方なく殺人を犯した」
 ということにもなるわけで、例えば、
「借金で首が回らない」
 という切羽詰まった場合に、
「相手の取り立てがひどい状態で、どうしようもない状態になれば、どうすればいいのか?」
 ということになるだろう。
 しかし、もっといえば、
「それは、そもそもそんなひどいと分かっているところに借金をしたから悪いのではないか?」
 ということになるだろうが、それが、
「ギャンブルで首が回らない」
 という人と、
「家族が病気で、治療費や入院費のために仕方なく」
 という場合もある。
 その双方で動機を考えた時、後者であれば、加害者に、同情的になるということもあるに違いない。
 しかも、
「致し方ない場合であれば、事情としての、正当防衛というのもあっていいのではないだろうか?」
 と言えないだろうか?
 確かに、
「ギャンブルによる借金であれば、いくらひどい取り立てとはいえ、自業自得ではないだろうか?」
 といえるだろう。
 それぞれの場合で、有罪無罪は決定していても、それから先の
「罪の重さ」
 ということで、
「罰条」
 として、
「情状酌量」
 というものから、執行猶予というものもつくことになるだろう。
 実際に、
「有罪か無罪か」
 ということよりも、
「刑罰の度合いが、どうなるか?」
 ということが大切なのではないだろうか?
 それを考えると、
「正当防衛」
 と、
「過剰防衛」
 というのは、大きな開きがあるといえるだろう。
 正当防衛と違って、
「緊急避難」
 というのは、
「もっと切羽詰まったもの」
 ともいえるかも知れない。
 ただ、発生の可能性としては、ほぼありえないことといってもいいだろう。
 たとえば、
「豪華客船に乗っていて、それが、どこかの氷山にぶつかって、座礁したとしよう。まるで、タイタニックのように、沈むしかないという状態で、救命ボートに乗っている人と、それ以外で海に投げ出された人がいるとしよう」 
 いくつかの救命ボートが海の上にあるのだが、実際に、ボートの定員は、6人だったということになれば、
「投げ出された人数は、海に浮いている数のボートでは、とても助けられない」
 ということになるだろう。
 すると、6人として定員満員の状態のところに、
「7人目、8人目」
 ということで急いで泳ぎ着いた人がいたとしても、その人たちを乗せるわけにはいかないということだ。
 というのも、
「その人たちを載せてしまうと、今乗っている人もろとも、全員が海に沈んでしまう」
 ということになる。
 それを避けるためには、一人として載せるわけにはいかない。
「乗っている人は、当然、乗り込もうとしている人を乗せないようにするだろう。しかし、泳ぎ着いた人も助かりたいと思う」
 どちらを優先するか?
 ということになるのだが、
「助かる可能性が高い人たちが優先」
 というのが、結果的ではあるが、
「緊急避難」
 という考え方だといえるだろう。
 この場合には、さすがに、
「過剰防衛」
 ということは考えられない。
 もし考えるとすれば、
「元々、海に投げ出された人は、運が悪かった」
 という発想になるのだろう。
 だから、助かりたいと思って人が助かるはずの命をその人たちに奪うことはできないという発想になるのだろうか?
 とにかく、緊急避難の考え方というのは、正当防衛の比ではないくらいに、解釈は難しいといえるのではないだろうか?
 だから、緊急避難というものには、
「正当防衛における。過剰防衛」
 というような考えはないのだ。
「答えは一つ」
 ということにしておかなければ、
「解釈のしようがない」
 ということになる。
 そもそも、緊急避難の正当性というものをまわりの人の証言から求めようとしても、証言ができるのは助かった人だけなのである。
 それを考えると、
「助かった人というのは、すべて、自分を助けてくれた被告の味方」
 ということになるだろう。
 だから、
「被害者側の証人」
 というのは、一人もいないといってもいいだろう。
 そうなると、
「最初から裁判というのは成立しない」
 といってもいいのだった。
 そんな形で、
「人を殺しても犯人にならない」
 というパターンもあるのだ。
 また、殺人トリックの話として、今の時代では、なかなか使えなくなったトリックというのも結構ある。
 特に、科学捜査の発達であったり、街が防犯に気を付けたりなど、結構ある。
 昔の探偵小説と呼ばれるものに、
「トリックとしての分類」
 がいくつかあったりする。
 その分類というものを、探偵小説の種類で大きく分けるとすると、
「最初から分かってしまっているトリック」
 と、
「トリックが分かってしまうと、その時点で、犯人側の負け」
 というものがある。
 最初から分かっているトリックの種類として、
「顔のない死体のトリック」
 つまりは、
「死体損壊トリック」
 そして、
「密室トリック」
 さらには、
「アリバイトリック」
 などであろう。
 これらは、トリックの中身が分かってしまえば、もちろん、犯人の負けということになるのだが、探偵小説として、
「読者に挑戦」
 ということで、それを最後まで分からなければ、
「作者の勝ち」
 つまり、
「犯人の勝ち」
 ということになるのだ。
 作家によっては、起承転結の、転のあたりで、読者に挑戦状をたたきつける人もいた。
 中には、
「自費で、懸賞のようにして、分かった人に賞金を出す」
作品名:蔓延と慢性 作家名:森本晃次