蔓延と慢性
その人との思い出というものは、ほぼ、時系列で積み重なっていくというもので、だからこそ、
「追加型」
というものだろう。
だから、アルバムを時系列でまとめたりするのが楽しいから、
「写真を残す」
という行動に出るわけで、
逆に、旦那が、
「結婚記念日というものを忘れていたとすれば、奥さんが怒ったりする」
ということだ。
新婚の間くらいだったら、
「もう、あなたったら」
と甘くいって、
「許してるよ」
と相手に思わせるが、奥さんとしては、相当なショックかも知れない。
それを新婚の時は、意識をせずに、
「自分の中での不満」
というのが、溜まっていっているのかも知れない。
だが、旦那はそれをスルーする。
「奥さんが許しているのだし」
ということで、下手をすると、
「忘れていたということをなかったことにしよう」
と自分勝手に思っているかも知れない。
そこで、すでに差が広がってくるのであった。
奥さんは、無意識にストレスをためていく。
その時、上書きされるということで、意識の最先端にあるのは、
「旦那が結婚記念日を忘れていた」
という旦那に対しての不満の引き出しである。
そう、男の場合は、
「思い出のスペースは追加型で、時系列になっているのだろう」
しかし、これは女性ということであれば、
「思い出のスペースには、思い出のほかに、旦那への不満であったり、自分のストレスなど、さまざまなシチュエーションで分かれているというもので、だから、そのスペースに限りがあるとすれば、上書きということでないと収まらない」
ということになるであろう。
それが、男女の間の問題に、
「ひずみ」
というのを生むわけで、
「男女の隔たりや、感覚の違い」
ということになるのであろう。
夫婦が別れる時、もう一つあることとして、
「すれ違い」
というものがある。
その一つに、
「女性というものは、まず最初に何かの異変やショックなことがあっても、耐え忍ぶということをする」
ということだ。
これは、ある意味、
「打算的」
と考える人もいるかも知れない。
というのは、
「我慢して耐えるのが女であり、それだけ、相手を信じようとしているからだ」
ということで、自分を納得させようと考えるからではないだろうか?
それを打算的といっていいのかどうか、難しいところであるが、特に、女性の方が男性よりも、夫婦間であったり、交際期間で相手に対して敏感になるということになるのではないだろうか?
だから、
「私は最後まであの人を信じようとした」
ということで、最後には信じられなくなったということで別れを決意するに至った時、
「すでに戻ることのできないところまで来てしまった」
と感じるということであろう。
それが、男性から見て女性の恐ろしいところである。
男性の場合はそうではない。
男の方は逆に、
「女性というのが我慢強い」
ということは分かっているのだ。
しかし、分かってはいるが、だからと言って、
「自分が奥さんのことをすべて理解しているか?」
というのは別のことなので、どうしても、
「自分に都合よく考えてしまう」
ということになるであろう。
だから、
「奥さんが、何も言わないのは、何も問題がないということであって、何かあれば、SOSを出すだろう」
と考える。
実は
「すでに、SOSを出している」
ということを分かっていない。
「SOSというのは、口でいうことだ」
という思い込みが、すべてのすれ違いを生んでしまうということになるのではないだろうか?
そのことを意識できていないと、
「すべてが、自分の都合よく考えている」
ということになるのだ。
しかし、それが分からないと、今度は、覚悟を決めた奥さんと話をしても、通じるわけはない。
かたくなに、会話を拒否するかも知れないし、そうなると旦那の方も、
「何をいきなり離婚だなんて、そんなの卑怯だ」
ということになるのだ。
しかし、奥さんとしては、
「そのことに気づかないあなたが悪い」
ということになり、お互いに、感じた時期がそもそも違っているのだから、すれ違っているのは当たり前というもので、
「旦那が気づいた時には、時すでに遅し」
ということになるのであった。
旦那は気づいたわけではなく、それも、
「奥さんが、初めて口にした時、離婚の話が出たことで分かった」
ということで、結局、旦那が自分から理解することもなく、いきなりの離婚の申し込みで、当然旦那はパニックに陥ることだろう。
その時に、
「子供がいると問題になる」
というわけで、最初は、
「子供がいなければ、こんなことにはならなかった」
と思うかも知れないが、次第に、子供がいとおしいという気持ちになり、
「奥さんよりも、子供と一緒にいたい」
と思うようになった旦那も中にはいるだろう。
「本当は、旦那がそのことにもっと早く気づいていれば、少しは違ったかも知れないが、結局、覆水盆に返らずということで、離婚は免れないだろう」
そのうちに、
「別れるということになるのであれば、憎しみあっての別れの方が、気が楽かも知れない」
と思うようになるかも知れない。
そうなると、結構すんなり別れられるが、旦那によっては、
「俺が犠牲になれば」
と思う人がいるだろう。
それは、
「子供が片親ではかわいそう」
ということで、
「子供のために」
といって、奥さんとの離婚を承諾しないとすれば、奥さんからすれば、
「旦那の言い訳」
としか思えないだろう。
そうなると、明らかに、
「すれ違いが露呈している」
ということになるだろう。
大団円
なかなか離婚に応じない旦那のために、
「調停」
に持ち込むこともある。
調停委員に説得されれば、身体中の力が抜けて、離婚に応じることになるだろう。
「子供のため」
ということを真剣に理由にしていたのであれば、
「子供の教育に両親の仲が悪いというのは、あってはならないこと」
と諭され、
「二人とも若いんだから、まだまだこれからがある」
ということで、旦那以外の、例えば双方の親も、そういって離婚を促したとすれば、旦那としても、もう従うしかないということになる。
それが、
「離婚する場合の男女のパターンだ」
と決めつけるわけにはいかないが、結構多いパターンであることは間違いない。
もっとも、これは、
「時代とともにパターンが若干変わってくるというのは、そもそもの生活習慣というものが変わってきたからだ」
というのは当たり前のことであり、だからこそ、
「離婚というものは、結婚の何倍も大変なことだ」
ということになるのだ。
だが、それでも、これらの離婚というのは、
「最近の傾向」
として、男女間で、
「慢性化している」
ということになる。
これは、前述においての、
「犯罪のパターンやトリック」
においての、時系列という意味でも考えられることの一つではないだろうか?
というのは、
これも前述においての、
「精神疾患が伝染するのではないか?」
ということから、