小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

蔓延と慢性

INDEX|15ページ/17ページ|

次のページ前のページ
 

「自分の居場所がどこにあるのか?」
 という孤独感にさいなまれることだろう。
 だが、そのうちに、
「子供など作るんじゃなかった」
 と思うようになるというのは、
「子供と血がつながっているという意識」
 はないからなのではないだろうか?
 その意識があれば、少なくとも
「子供がいなければ」
 などとは思わないだろう。
 それは、
「子供がいなければ、ずっと今までと同じで、相手の気持ちが分かるはずだ」
 と思うからだろう。
 だから、ここで夫婦の気持ちがすれ違う。
 しかも、子供というのは、
「大人の気持ちを分かってくれるわけではない」
 といえる。
「授乳は二時間おきで、それは、真夜中でも同じです」
 ということを、産婦人科で言われたが、旦那も奥さんも、話には聞いていたが、
「まさかそんな。うちの子に限って」
 ということを感じていたかも知れないが、実際にそうなってしまうと、奥さんは、旦那に気を遣って、子供が泣くのをなだめながら、授乳させなければいけない。
 旦那は、自分のことだけしか考えていないのか、それとも、
「子供は血がつながっている」
 という意識がないからなのか、
「うるさい。俺は仕事に行かなければいけないんだ」
 といって。布団をかぶって何とか眠ろうとするかも知れない。
 ただ、奥さんとすれば、
「何とかしないといけない」
 と思いながらも、
「私だって、昼間パートが」
 という人もいるだろう。
「保育園に預けるか」
 それとも、
「実家に預かってもらうか」
 というそのどちらかで、何とかパートに出ることができる奥さんは、まだいいかも知れない。
 特に保育園というと、昔から、
「待機児童問題」
 というのが慢性化していて、最初の頃は、それなりに問題になっていたということであろうが、今の時代では、マスゴミも騒がなくなった。
 マスゴミというのは、
「最初は騒ぎ立てるだけ騒いで、嵐を巻き起こしておいて、次の話題が生まれれば、まるで無視したように、そこから退去する」
 というものである。
 だから、
「まだまだ解決もしていない」
 というようなことを。
「すでに解決した」
 とでもいうようなことになり、問題は解決していないということを一番報道しないといけないことが、おろそかになってしまって、結局、
「慢性化してしまう」
 ということになるのだろう。
 そんな、
「慢性化」
 という発想が、
「夫婦間」
 というだけではなく、
「男女間」
 の間で巻き起これば、
「男女の別れ」
 であったり、
「離婚問題」
 というものは、この
「慢性化」
 という問題によって、引き起こされるということになるのではないだろうか?
 それを考えると、夫婦間の離婚の時、
「お互いに、どんな心境になる」
 ということなのかを
「検証する必要がある」
 ということになるのではないだろうか?
「離婚というのは、結婚の何倍も大変だ」
 ということは、よく言われることだ。
 離婚の理由というものが、どういうものなのかということを考えると、一目瞭然。
 結婚する時は、
「男女ともに目指すものは同じ」
 ということで、問題は、
「まわり」
 ということだ。
「結婚したい」
 ということで、家族に紹介することになるが、
「どっちの家に先にいくか?」
 ということで、微妙に変わってくることもある。
 それぞれの家庭によって。
「どっちを先にいくか」
 ということが決まってくる。
 だから、
「旦那の家から先」
 だとか、
「奥さんの方が先だ」
 ということは一概には言えないだろう。
 古いしきたりや、考えが昭和の旦那の家であったりすれば、
「まずは、こっち」
 と思うかも知れない。
 そこまでの旦那の家でないという場合は、まず奥さんの家で、
「お嬢さんを私に下さい」
 という
「儀式」
 を行う必要があるということだ。
 この時が、男にとっての一世一代の晴れ姿だといってもいいだろう。
 だからと言って、旦那の家に行った時に、奥さんが緊張しないというわけではない。旦那としては、
「自分の親が、奥さんになる人にちゃんと気を遣ってくれるように、最初から演出しておく必要がある」
 ということになるだろう。
「今度結婚しようと思うんだけど」
 と旦那が家に連れてきたとして、そこで、親が何か余計なことをいったり、何も言わなかったりすると、奥さんは完全に孤立してしまうことになる。
「ここが結婚する場合の一番最初の難関だ」
 といってもいいだろう。
 だから、それ以外というと、
「結婚式に向かっての、いろいろな手続きであったり、形式的なこと」
 ということになるだろう。
 結納であったり、式場の決定、それに際しての打ち合わせ。
 披露宴を開くとなると、
「出席者の選定」
「席順の決定」
 そして、招待状の作成と郵送。
 細かいことを言えばキリがないといってもいい。
 ただ、それらは、
「結構楽しい」
 といってもいいことだろう。
 確実に二人は、結婚に際して、気持ちの上で、一切のブレはないといってもいいだろう。
「もし、ここでブレているようであれば、まさに、成田離婚になってしまう」
 ということで、最初から亀裂の入りかけた夫婦であれば、
「新婚旅行というのは、最初の夫婦の危機だ」
 といえるかも知れない。
 本来なら、
「この時には分からなかったことが、新婚旅行でいきなり噴出する」
 というのが成田離婚の正体なのだろうが、実際には、
「最初からブレていた」
 という夫婦も一定数いるだろう。
 それを言わないのは、
「離婚する理由としては、薄いもので、理由にならない」
 と本人たちが思っているからなのかも知れない。
 お互いが離婚するということは、どういう心境なのかというと、
「最初からなかったことにしたい」
 ということで、本当になかったことにできればいいのだろうが、それは土台無理な話であった。
「結婚した」
 という履歴は残るわけで、
「戸籍が汚れた」
 ということになるのは必至である。
 さらに、
「子供ができた」
 ということになれば、
「子供に対しての責任」
 というのが明確に分かるわけで、それでも、
「離婚しないといけない」
 というのであれば、それは、お互いに絶対的な覚悟がなければいけないだろう。
 特に女性側は、相当な覚悟であろう。それをできるということは、やはり、
「男女で、別れるということに関しての感覚が違っているからなのかも知れない」
 ということである。
 つまりは、
「男女での違いというのは、いろいろ決定的なところがあるのだろうが、付き合っている人だったり、夫婦が別れるという場合が、一番大きいといってもいいのかも知れない」
 ということである。
 そういう意味で考えることとして、
「男は追加型で、女性は上書きだ」
 ということを聴いたことがあるが、それこそが、
「男女の別れの神髄」
 というものなのかも知れないと感じるのだ。
「お互いに普通に付き合っている時」
 あるいは、
「愛し合っている」
 という時は、お互いに、
「追加型」
 といえるのではないだろうか?
作品名:蔓延と慢性 作家名:森本晃次