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蔓延と慢性

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 ということになるだろう。
 そうなると、被害者は、相手に対して、
「これ以上黙って金を渡すことなどない」
 と思うだろう。
 もし、一度だけで相手も終わっておけば、
「ひどい目に遭わずに済むのに」
 ということである。
 というのは、
「芸能人であったりすれば、事務所というものがあるわけで、芸能事務所などで大きいところであれば、芸能人のスキャンダルというものを解決する、
「影の組織」
 というのが存在し、
「金さえ出せば、秘密裡に問題を解決してくれる」
 ということであれば、立場は完全に逆転する。
 美人局の連中は、完全に忘れてしまっているということになるのだが、それはどういうことなのかというと、
「被害者には、守るべきものがあり、そして、金もある」
 ということである。
 そうなると、必死になって、守ろうとすると金がいるというわけで、
「このままだと、死ぬまでしゃぶりつかれる」
 と考えると。
「金で解決するなら?」
 ということを、もう一度考えるだけだった。
 ひょっとすると、被害者も、最初から冷静になっていて、
「変な女に手を出してしまったのは俺が悪いんだから、最初に金を渡す額が少なければ、渡してみて、様子を見ようと思ったとしても、無理もない」
 ということである。
 しかし、相手が、どんどん金を要求してくると思うと、その時は、
「片付けてもらおう」
 ということで、その時に、また金を積めばいい」
 ということになるのだ。
 実際に被害者は、
「事務所を通してになるか、自分で頼むことになるのか」
 ということは別にして。実際に、闇の組織に委ねれば、
「まったく裏で動いてくれる」
 ということになり、やつらを、
「二度とこんなことができないようにする」
 というくらいのことになるだろう。
 結局、
「お互いに痛み分け」
 ということかも知れないが、美人局は、
「もうこれで終わり」
 ということになるだろう。
 元をただせば。自分が悪いのだが、最後には、組織の力ということで、美人局はできなくなる。
 そういう意味で、
「美人局」
 というのは、すでに時代遅れであり、この時のようなリスクがあることから、
「バックに組織を持った連中が、美人局のような、そんな特にならないようなことをすることはないだろう」
 といえるのではないだろうか?
 だが、これはあくまでも、
「最初に引っかかった方が悪い」
 ということであり、
「オンナという武器を使えば、いくらでも、金を脅し取れる」
 という甘い考えを美人局が持ったことで、起こった悲劇ともいえるだろう。
 今の時代に、実際に
「美人局」
 などというものが存在するかどうか?
 ということは分かるものではない。
 何といっても、美人局というのは、
「男女平等」
 という前の時代の方があり得ることなのか、それとも、
「今の時代の男女平等」
 という時代の方が、あり得るのか、何とも言えない発想だといえるのではないだろうか?
 それを考えると、
「男女平等というものが、本当に冤罪を生むか生まないか?」
 あるいは、
「美人局」
 というものをなくすことができるのかどうか。正直分からないのではないだろうか?
 男女の付き合いというのは、以前から言われていることとして、
「どのような恋愛感情を持つのか?」
 ということで変わる気がしてきた。
 こういう犯罪はまた別問題ということで、昭和の時代にまではなかったことだが、平成になって言われるようになったものとして、一つ衝撃的だったというのは、
「成田離婚」
 という言葉であった。
 さすがに、平成になった頃、
「新婚初夜」
 で、
「紳士淑女だった」
 などというのは、普通ではありえないだろう。
「童貞と処女」
 ということであるが、
「それこそ、どうしていいのか分からない」
 ということになる。
 昔であれば、
「新婚旅行などというものもない」
 という時代であれば、屋敷で、
「そういう行為を教える指南役が、男にも女にもついていた」
 ということであろう。
 もちろん、江戸時代以前のことであり、庶民であれば、そうもいかないのでどうしていたのかは分からないが、武家のそれなりの家では、そういうことになるだろう。
 明治になって新婚旅行というのができてきた。
 そもそも、最初の新婚旅行は、
「坂本龍馬とお龍だという話がある」
 というくらいだ。
 新婚初夜と言われるのは、時代的には、
「大日本帝国時代」
 くらいではないだろうか。
 高貴な家柄でもない限り、庶民であれば、
「もはや戦後ではない」
 と言われる時代くらいからであれば、
「婚前交渉くらいはあっても不思議ではない」
 ということになるであろう。
 だから、
「初体験でもないのに、新婚旅行でなぜ別れるということになるのか?」
 ということであるが、
「婚前旅行があればこその成田離婚」
 といえるのではないだろうか?
 というのは、
「結婚前には見えていなかったことが、結婚してしまうと、見えてくる」
 ということである。
 付き合っている間は、
「あばたもえくぼ」
 とでも言おうか、
「いい面しか見えていないから、実際に結婚してから一緒にいると、それまで信じていたことが、
「あれ? こんなはずでは?」
 と考えるようになるのだ。
 それが、新婚旅行から帰ってくると、完全に気持ちは冷めている。そんな状態で、
「これから、この人と一緒に暮らすのか?」
 と思うと、すでにうんざりするという気持ちにお互いがなっているのだ。
 それを、
「相手もそう思っている」
 と感じているのかも知れない。
 そうでもなければ、新婚旅行から帰ってすぐに、
「離婚しよう」
 などということにはならないだろう。
 普通であれば、結婚すると決まってからの日々であったり、結婚式の時のことが頭をよぎり、
「媒酌人に何といえばいいのか?」
 ということになるだろう。
 それよりも何よりも、
「戸籍が汚れる」
 と考えるのではないだろうか?
 今でこそ、
「離婚の数が半端ない」
 と言われる時期であったり、
「バツイチなんて、珍しくない」
 あるいは。
「バツイチの方がモテる」
 などと言われる時代であれば、まだ気になることもないかも知れないが、
「成田離婚」
 などと言われていた時代は、まだまだ離婚というものに抵抗があった時代だったといってもいいだろう。
 それを考えると、離婚に踏み切るには勇気がいるはずだ。
 しかし、逆に勇気というものは、一度覚悟を決めれば、何とかなるものだ。
 しかも、お互いに、
「一緒にいるのがいやだ」
 と考えれば、少なくとも、意見は一致したわけだ。
 このまま、新居に帰っても、それまで思っていた、
「甘い新婚気分」
 というものはすでに瓦解していて、
「それでも、まわりの手前、偽り続けなければいけないということがどういうことなのか?」
 ということを考えてと、
「実にたまったものではない」
 といえるだろう。
 これはあくまで、
「成田離婚」
 のような、
「早期離婚」
作品名:蔓延と慢性 作家名:森本晃次