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黒歴史

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「私がその時聞いたのが、昨日の事件を目撃したというような話が聞こえてきたんですよ。その中の一人に、いつも自分からお弁当を買ってくれる人がいて、それが、ちょうどその人だったんですよ。その人だけは知っているんですが、あとの二人は初めて見る人だったんですね」
「うんうん」
「それでですね。目撃したことによると、どうも、男の人と女の人がもめているように見えたんだけど、そのうちに、ただの痴話げんかにしか見えなくなったので、無視をしたといったんですね。でも、その後に彼が、さらに何か言ったようで、それが、何やら含みのある言い方をしているようで、その時言った言葉が、お前大丈夫か? ということだったんですよ。それが、額面通りなのかどうかわかりませんでしたけどね」
 という。
 もし、額面どおりではないと考えれば、桜井刑事は、
「その話が、突飛すぎて、常人の考え方ではないということから、精神異常のイメージを感じた」
 ということであった。
 確かに、
「お前大丈夫か?」
 と、言ったのが友達であれば、その人は少々突飛なことを言い出す相手だと分かっているからこそ、少々のことで驚かないということであろう。
 しかし、それなのに、驚いたということは、そういうイメージではなく、
「驚いてしまった」
 ということは、
「よほどのよほど」
 といってもいいのではないだろうか?
 それを考えると、
「一刻も早く、彼に事情を聴きたい」
 と感じたのだ。
「その友達の方は、毎日お弁当を買いに来るんですか?」
 と聞かれた弁当屋は、
「そうですね、ほとんど毎日といっていいと思います。彼はこの通りの突き当りにある予備校に通っていて、あの時歩いていた連中は、予備校仲間ではないかと思うんですよね」
 ということであった。
 なるほど、確かにこの通りは。オフィス街であるにも関わらず、スーツ姿の人は想像以上に少ない感じがする。
 それは、その中に、予備校生がいるからだと言われれば納得できる気がした。
 予備校生というのは、比較的分かりにくいもので、
「大学生ほど、派手ではないし、真面目ではあるが、本来なら大学生という年齢からか、中には、大学生顔負けという派手さをもって、ここを通っている人もいる」
 と思っていた。
 そんな連中は皆、
「背伸びをしたいのだろう」
 という程度の感覚であるが、それだけではない。
 真面目に見えるのは、
「自分が、入試に落ちたことで、1年という期間を無駄にしてしまっているのではないか?」
 ということへの、自責の念があるからではないだろうか。
「反省はするが、後悔はしない」
 という言葉を口にする人がいるが、
「ウソ偽りない」
 という感覚であり、大学生になれなかったことで、余計に、
「もっとまじめにやらなければいけない」
 と感じたのとは別に、
「真面目さが感じられない大学生たちを見ていて、憂慮に耐えないと思っている人も多いことだろう」
 しかし、それをいくら言っても、
「お前たちは入試に失敗したから浪人したんだ。何を言っても、言い訳にしかすぎないのだ」
 と言われてしまえば、それまでであった。
 その言葉に、傷つくはずなどない」
 と彼らは思っている。
 それは、
「反省をたくさんして、これからは真摯に勉強し、大学に入るという目的完遂のために、真面目にやる」
 と思って、
「毎日を充実して生きているからだ」
 と思うからだった。
 しかし、大学生からは、
「あいつらは、何を言ったって、俺たちと違って、試験に落ちたんだ」
 ということに変わりはないのだ。
 いくら一生懸命に勉強しても、
「一度失敗した」
 ということであれば、
「大学生と予備校生の間にある溝は絶対に塞がらない」
 ということになるのだ。
 何よりも、
「来年こそは」
 という思いが強いのは間違いないことなのだろうが、それよりも、
「遅れを取った」
 ということの方が意識としては強いだろう。
 だから、
「大学生になれなかった」
 ということよりも、
「遅れを取った」
 という方が強いので、
「うらやましい」
 という思いよりもむしろ、
「焦りに近い」
 という思いの方が強いのではないだろうか。
 それを考えると、実際に、浪人したことのない人間が、
「予備校生の気持ちは分かるはずがない」
 ということになるだろう。
 ということは、お互いに、
「交わることのない平行線」
 ということになる。
 その平行線というものを、
「いかに考えるか?」
 ということであり、もし、ここで何かの殺害に関して知っていたとして、最初は、
「警察に知らせなければいけない」
 と思うのは、
「人間として」
 ということであろうが、実際にその立場になってしまうと、
「俺たちは、そんなことに構っている暇なんかないんだ」
 という思いがどんどん強くなってくるだろう。
「現実に戻る」
 あるいは、
「我に返る」
 と言ったところであろうか。
 つまりは、
「早く彼らに遭って、事情を聴かないと、彼らも相手がいくら警察だからと言って、余計なことを言わないかも知れない」
 と思うのだった。
 証言ということになると、証言する人は、それなりの戸惑いというものがあるだろう。
「見たことをそのまま証言して、事実と違ったことであり。こっちは協力しているというつもりであっても、結局は、相手を欺くことになったとすれば、その自責の念というのも、無きにしも非ず」
 ということであろう。
 それは、犯人ではないかと思って、犯人だと思っている相手に、
「その人が犯人だ」
 という先入観を植え付けてしまうと、それが頭から離れなくなって、結局、どうすることもできなくなってしまうということもあるだろう。
 それが自責の念と重なると、
「自分が冤罪を生んだ」
 ということになり、どんどんネガティブ思考になってしまうというものだ。
 冤罪というものを考えると、
「痴漢の冤罪」
 というものを思い起こさせるのであった。
 電車の中で、
「この人が痴漢しました」
 と、ラッシュ時に声を上げれば、それを疑うという人がどれだけいるだろう。
 疑われた人は、一瞬にして、
「容疑者」
 ということだ。
 しかも、日本という国は、
「疑わしきは罰せず」
 ということになっている。
 つまりは、
「疑わしきは罰せず」
 という法則があるという。
 いわゆる、
「推定無罪」
 というものだ。
 しかし、
「痴漢やスリというものは現行犯でしか捕まえられない」
 スリであれば、
「盗んだものを持っていた」
 ということであれば、物証として、
「現行犯」
 ということになるが、痴漢の場合は、
「ただ、触れてしまった」
 というだけのことを、大げさに騒いだだけなのかも知れない。
 しかも、被害者が訴えるわけならまだしも、まわりで見ていた人が、痴漢認定をするというのは、どこまで信憑性があるというのだろうか。
 しかし、
「満員電車の中での出来事」
 というのは、
「痴漢がいて当たり前」
 というシチュエーションに対して、誰かが、
「この人痴漢です」
 といってしまえば、
「推定有罪」
 ということになってしまう。
 他の第三者は、
作品名:黒歴史 作家名:森本晃次