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黒歴史

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 実践では、統制が取れていて、士気揚々としていないと、
「戦いなどできるはずもない」
 ということになるだろう。
 それを考えると、
「軍というものを、いかに動かすか」
 ということを、大日本帝国のように、
「厳しい規律」
 だけでは、賄えるわけがないということだ。
 それも、大日本帝国と、今の日本とでは、
「教育からして違う」
 ということになる。
「天皇制の下、天皇は親と同等か、それ以上にえらい」
 ということを頭に叩き込まれ、
「天皇陛下や国家のために死ぬことは美しいことだ」
 と言われてきたのが、大日本帝国だ。
 もっとも、
「富国強兵」
 ということで、
「国防のために、軍隊が必要」
 ということであり、その軍隊に入ったことで、
「嫌でも、戦争というものを避けて通ることはできない」
 ということになる。
 その時、守ってくれるのは、自分しかいないということであろうが、軍の士気が乱れると、
「何が起こるか分からない戦場において、冷静な判断ができなくなる」
 ということで、そのための、
「統制が取れた軍規」
 というものが必要であり、その中に、
「気の毒だ」
「かわいそうだ」
 などという
「情」
 というものは、自分を守るという場合に、
「一番の罪悪」
 ということになるのではないだろうか?
 それを考えると、
「軍隊というものは、相手を倒すということよりも、身を守ることの方が難しい」
 ということになるのであろう。
 しかも、場合によっては、
「自分の命を投げ出してでも、作戦を成功させる必要がある」
 ということもあるだろう。
 その場合に備えても訓練であり、それは、作戦麺だけでなく、精神的なものというのが影響してくるということになるのだろう。
 そんな時代に生きていたわけではないので、
「その時代の善悪」
 というものは分からない。
 いや、その時代に生きていた人からすれば、
「自分たち当事者には判断できないので、この歴史を知っている後の時代の人たちが、その答えを出してくれている」
 と思っているかも知れない。
 かつて、
「史実の事件」
 として映画化された、
「226」
 というのがあった。
 これは、昭和9年に起こった、いわゆる軍事クーデター」
 と呼ばれるものである。
 特にこの時代の歴史は混とんとした時代なので、
「何が正しいのか?」
 ということはおろか、
「事実なのかどうか?」
 ということすら難しいといえるだろう。
 だから、映画の中で青年将校が、部下を前に話している訓示の中に、
「何が正しいのかは、歴史が答えを出してくれる」
 といっているが、冷静に考えると、
「何が答えなのか?」
 とも思えるのだ。
 そもそも、歴史というのは、普遍なものだとは言えない。
 時代が進めば進むほど、研究や発掘が進んで、分からなかったことが分かってくるようになるということである。
 その中で、今までは、
「悪党だ」
 と言われていた人が、汚名返上ということで、
「実は、名君だった」
 と言われるようになったのも、一つや二つではない。
 肖像画にしても、
「あの時代にはないものだ」
 ということで、伝わっている人物ではないともかなり言われるようになったのだ。
「源頼朝が、実は、足利直義ではないか?」
 というものであったり、
「足利尊氏が、高師直ではないか?」
 と言われていたりして、今では、肖像画として、昔の名前で呼ばれることはなくなったということである。
 さらに、
「成立年代」
 というものまで怪しいということになっていて、それは、史実の中での、
「歴史認識としての解釈が変わってきた」
 ということであった。
「いいくにつくろう」
 と言われた、
「鎌倉幕府の成立年を、今までの常識である、頼朝が征夷大将軍になった年月」
 ということになっているが、実は。
「守護地頭を全国に配置した」
 ということで、
「全国支配の起訴を築いた」
 という認識での解釈になっているのであった。
 前述の226においても、映画の見方としても、それまで従来言われていた一般論としては、
「君側の奸」
 と呼ばれる、天皇の側近が、天皇の目隠しとして君臨し、自分たちだけが甘い汁を吸っているのを懲らしめる」
 ということで、
「尊王倒奸」
「昭和維新」
 というスローガンのもとに立ち上がったということであったが、実際の史実としては、
「陸軍内部の派閥争いだ」
 ということであった。
 実際に、狙われて暗殺された人間は、すべて、自分たちに敵対する人ばかりということで、一番怒り狂ったのが、天皇だというのも、反乱軍とすれば、計算外だったということになるであろう。
 陸軍とすれば、どうしても、自分たちの部下が起こした反乱なので、温和に納めたいと思っていたことだろう。
 ただそれは同情だけではなく、彼らが処断されると、自分たちもその責を負うことになりかねない。
 一番とばっちりを食わないようにするには、
「反乱軍を、決起軍として認めてやることが一番の早道だ」
 ということであろう。
 一度、
「決起軍」
 と認められれば、その後、彼らがどうなろうと、決起軍と認められた時点で、上層部は責任がないということになるからだ。
 その後、事態が変わろうとも、それは、反乱軍だけの問題であり、軍本体には関係ないということになるからだ。
 ただ、天皇は最初から、
「派閥争いだ」
 ということは見抜いていた。
 実際に、
「反乱分子が不穏な動きを見せている」
 という情報は、天皇に入っていたのであった。
 それを考えると、
「映画でやっていた、歴史が答えを出してくれる」
 という言葉も怪しいものである。
 天皇がなぜ怒ったのかというと、
「もちろん、自分の側近を殺されたことに対して遺憾に感じたからだ」
 ということであろうが、それ以上に、天皇として、
「屈辱的だった」
 ということであろう。
 そもそも、
「陸海軍というのは、天皇直轄」
 ということで、天皇には、
「統帥権」
 というものがあるのだ。
 つまり、
「天皇の許可な軍を私用で動かした」
 ということは、これ以上の侮辱はないわけで、それこそ、
「憲法違反だ」
 ということである。
「天皇の統帥権」
 というのは、大日本帝国憲法に記載されていることで、最高法規の憲法に違反したということは、正直、
「死刑も免れない」
 ということになるのであろう。
 実際に死刑ということになった。
 しかも、
「弁護人なしの非公開」
 ということで、これこそ、
「法治国家」
 としてはあるまじき裁判なのであるが、それも、
「統帥権干犯」
 どころか、
「天皇の顔に泥を塗り、さらに、天皇を怒らせた」
 ということになれば、この処断も仕方がないのだろう。
 しかも中には、
「自害せず、裁判で自分たちの言い分をぶちまけよう」
 と考えていた人もいるので、そんなことをされれば、治安維持というものが、根底から覆るということになるかもであったのだ。
 答えを出してくれるはずの歴史など、存在するわけはない」
 といえるのではないだろうか?
 というのは、
「歴史というのは、絶えず動いている」
作品名:黒歴史 作家名:森本晃次