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黒歴史

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 ということにしてしまったので。日本は孤立したではないか。
 そもそも、資源が絶望的にない国は、
「領土を増やすか?」
 それとも、
「何もせずして、死を選ぶか?」
 ということになるわけであり、
「国家が国民を見捨てる」
 などということができるわけはない。
 そのための満州事変だったのだから、
「一度始めれば、興廃というものが決するまで、徹底的にやるしかない」
 ということになるのだ。
 それが、大日本帝国の運命であり、それが分かっている日本が、それをしないのは、
「政治家の自分たちの利益だけを欲することで、国民を滅亡に追い込んでいる過程だ」
 ということになるのか、それとも、
「政治家といえども、歴史の教訓が分かっていないバカばかり」
 ということになるのかということであろう。
 そんな、
「最初から動機はあったが、そこに殺意があったのかどうか分からない」
 という状態で、ナイフを持っていたというのは、
「それだけ、精神的に、どこか狂っていた」
 といってもいいだろう。
「そんな人間が、ストーカーであるかのような行動をとっていると、確かに普通なら、警察に通報するレベル」
 ということになるのだろうが、実際に、そんなことはない。
 ストーカーというものを、
「被害者側」
 あるいは、
「加害者側」
 というもので考えてみると、その温度差というものは、結構なものだといえるのではないだろうか?
 というのも、
「被害者側にとってみれば、相手が何を考えているか分からない」
 ということで、その気持ち悪さは、正体がつかめないだけに恐ろしさは倍増するというものであるが、逆にこれが、加害者側から見ると、
「自分がストーカー行為をしているとは思っていない」
 という感覚があるから、
「相手が怖がることは何もないはずだ」
 ということになるのだ。
 つまり、
「加害者側の行動と、精神状態にまず、大きな差がある」
 ということになるのだろう。
 加害者側の行動としては、
「誰が見ても明らかに、ストーカー行為をしている」
 ということなのに、それが精神状態となると、
「自分が相手を追い詰めているつもりはなく、むしろ、相手が望むから、助けようとしてあげているんだ」
 と思っているのかも知れない。
「精神面に行動が伴っていない」
 ということで、被害者側からすれば、恐ろしいのだろうが、加害者側からすれば、
「精神疾患なのに、それに気づいていない」
 ということなのではないだろうか。
 特に普段は、
「ただの、おとなしい青年」
 というだけで、
「別に人に危害を加えるわけでもなければ、仕事もちゃんとしていて、誰かに迷惑をかけることはない」
 ということであれば、
「加害者というのは、何も、相手を苦しめているという自覚はないのだとすれば、まわりから、ストーカー行為を指摘され、相手が、上から目線で注意などをしたものであれば、、自分としては、何も悪いことをしているという自覚がないのだから、完全に、自分が追い詰められたり、いじめられたりしている」
 と思い込んでしまうことだろう。
 すると、孤独はさらにあおられ、
「俺が何をしたんだ」
 ということで、孤立にさいなまれることであろう。
 確かに、
「世間の常識」
 というものは、そうなのかも知れない。
 しかし、それは、
「健常者というものに対してだけいわれていることであり、精神疾患を持った人間に押し付けてどうなるというのだろう」
 本当であれば、治療を受けさせるのが一番なのだろうが、健常者の中にはそこまで考える人がどれだけいるというのだろうか?
 健常者というものが、当たり前だった時代は、とっくに終わっている。今は、
「いつどこで誰が、精神疾患になったとしても、おかしくない」
 という時代である。

                 限りのない無限

 考えてもみれば、平成に入ってから、少ししてからというもの、
「苛め」
 というものがエスカレートしてきたではないか。
 昭和の時代の苛め」
 というのは、
「虐められる側にも理由があった」
 ということで、ある時期になると、虐められている側が、そのことに気づき、大人になるにつれて、当事者同士で、和解というものが成立し、それが、親友関係んいなっていくというのが当たり前の時代だったではないか。
 しかし、そんな時代は崩壊していき、
「虐める側」
 というのは、
「そこには理由もなく、ただ、むしゃくしゃするから、誰でもいいので虐めている」
 という理屈を言い出すことになる。
 これが、もし犯罪だとすればどういうことになるのだろうか?
「動機のない殺人で、むしゃくしゃするからといって、そのあたりにいた人を、無差別に殺していく」
 という、
「衝動的な無差別殺人」
 ということになる。
 すると、警察や世間は、まず何を考えるであろうか?
「頭がおかしい犯人が、理不尽に人を殺害している」
 ということになり、完全に、
「精神疾患」
 ということを信じて疑わないだろう。
 しかし、苛めということになれば、大人は、
「苛めの現状を分かっているのかどうか?」
 である。
 分かっているのかどうなのか、
「自分に飛び火されるとたまったものではない」
 ということで、クラスメイトは、見て見ぬふり。
 なんといっても、虐める方に、道理が通じるわけはないと思っているからである。
「虐められる方とすればたまったものではない」
 例えば、
「戦争をしていて、目の前にいる兵士が、捕虜になろうとしているのに、こっちは武器を持っているのに、助けようとしない」
 ということである。
 そうなるとどうなるか?
「軍隊の統制」
 というものは、戦争において、
「一番大切なものだ」
 といってもいいかも知れない。
 しかし、
「自分が危険に晒されているのに、まわりが誰も助けようとしない」
 ということになれば、
「俺が義理を通す必要もない」
 ということになる。
 つまり、
「拷問にかけられるまでもなく、機密事項で知っていることは、ペラペラと喋ってしまうだろう」
 こちらが、助けてほしいと思っているのに、見捨てられたのであれば、相手が今度は、
「しゃべられては困る」
 と思ったとしても、
「自分が、拷問を受ける」
 ということになるのに、そんな連中を助ける必要はない。
 簡単に裏切って、相手につけばいいんだと思うことだろう。
 ただ、実際には、そうもいかない。
 というのは、
「自分の家族や大切な人は、母国にいる」
 ということだ。
 もし、裏切って、自国を売るようなことをすれば、家族や大切な人がどんな目に遭うというのか?」
 と思えば、簡単に裏切ることもできないだろう。
 だが、精神的には、
「母国に与している仲間に裏切られた」
 という気持ちは大きいに違いない。
 そんなのをもし、他の若い将校たちが見せられると、
「本当に俺たちは、国のために戦って、死んでいくとすれば、それが正しいということになるのだろうか?」
 と考えるだろう。
 そうなると、軍隊として一番大切な、
「統制」
 というのが取れなくなる。
作品名:黒歴史 作家名:森本晃次