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黒歴史

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「さすがにオフィスビル街への入り口」
 というところで、それほど、賑やかなところではない。
 だが、人通りが少ないというわけではなく、通勤ラッシュ時や、昼休みの時間帯ほど、
「通行人で、ごった返している」
 というようなことはないまでも、
「必ず、一人はいるだろう」
 というほど、不思議なほど、人通りが絶えることのないところであった。
 普通であれば、
「そんなところで、犯罪など起こるわけはない」
 と思う人も多いだろう。
 なぜかというと、
「何か起こせば、すぐに捕まる」
 ということは、誰の目にも明らかだということだからだ。
 何といっても、今の時代は、
「どこかしこに、防犯カメラが設置してある」
 ということである。
 防犯カメラに映る以上、どんな細工をしようとも、逃げおおせるということはない。
「カメラに顔を写されたくない」
 ということで、
「犯人が、マスクをかぶっていた」
 ということであったり、
「雨も降っていないのに、傘をさしていた」
 などというと、まわりが、おかしいと思うだろう。
 確かに。今の時代は、
「隣は何をする人ぞ」
 ということで、恐ろしいほど他人に無関心な時代だとはいえ、それはあくまでも、
「自分に関係ない」
 あるいは、
「危害が加わることはない」
 という確証があってこその無関心である。
 明らかに、
「獲物を求めて凶器を持って歩き回っているような狂気とも思えるような精神状態ではないか?」
 と思えるような男がそばにいたら、少なくとも、避けようとするだろうし、警察に通報するくらいはあっても不思議はない。
 それよりも、怪しい人物がどういうことで、怪しいのかが分からないと、下手に警察に通報でもすれば、間違いだった時、どう謝罪すればいいのか分からないだけに、何もできないというものである。
 さらに、
「本当は、そこまで殺意がない人間が、せっかく我に返っているところに、輪をかけるかのように、刺激するようなことを言えば、またおかしな精神状態になりかねない」
 それを思えば、
「一体、被害者と加害者において、いかに問題を大きくしないか?」
 ということが大切で、そのためには、
「余計なことをしない」
 というのが、今の人間の考え方である。
「喧嘩している人間の片方の肩を持つとどうなるか?」
 それは分かり切ったことであり、数年前に起こった、
「侵略戦争」
 と思えるような戦争において、世界のほとんどが、侵略されたと思えるような国に加担したことで、数年経っても、まだ戦争が終わらずに、お互いに意地になってしまい、エスカレートするばかりであった。
 そのせいもあって、
「物価上昇」
 という、世界的な問題が収まるわけではなく、要するに、
「物資の不足」
 がひどい状態になってきたのだ。
 そもそも、戦争が起これば、当事国というのは、お互いに、
「宣戦布告」
 というものを行い、世界の第三国は、それぞれに、自分たちの態度を鮮明にする必要があるということである。
 一つは、
「どちらかの国に加担することでもう一方の国を敵にする」
 ということである。
 これは、
「軍事的ではない同盟」
 に近いことだろう。
 だから、同盟国であれば、一緒に戦争をすることになるのが、
「軍事同盟」
 であり、
「第一次世界大戦」
 というものが、その代表例だったのだ。
 しかし、そのために、
「ヨーロッパを中心」
 とした、
「世界大戦に発展した」
 これは、軍事同盟というその当時は、
「戦争の抑止」
 と考えられていたことが、一か所で戦争が起こってしまうと、歯止めの利かないという、
「世界大戦」
 となってしまったのだ。
 だが、戦争がいざ起こってしまうと、最初こそ、
「戦争は数か月で終わる」
 と思っていたものが、世界最初の、
「大量虐殺」
 であったり、
「無差別攻撃」
 ということで、戦争に勝利しても、軍人は、その後遺症に、
「一生苦しめられる」
 ということになるのだろう。
 それを考えると、
「第一次世界大戦終結」
 となった時。
「二度と戦争を起こさないように、敗戦国に対しての大いなる賠償と、軍事力を強化できないようにする」
 という、あまりにも厳しい条約によって、却って混乱した敗戦国を、
「興国のための防衛手段」
 ということで、世界から孤立し、国民を、
「強い政府により、興国の実現へと洗脳する」
 ということになり、今度は、次なる世界大戦へと誘っているのであった。
 そこで出てきたのが、
「ナチス」
 であり、
「ファシズム主義」
 というものであった。
 国民のプライドと、これまでの屈辱的な自分たちをこのようにした勝者国に対しての反発」
 ということ巻き起こった、明らかな侵略戦争。
 少々のことで味わった屈辱が晴れるわけではない。
 ファシズムというのは、国家が強いだけに、それ以上の世論という強さに対して、
「抗いながらの洗脳」
 という、
「難しいかじ取り」
 というものが、生まれてくるのであった。
 そんな時代において、宣戦布告をしない戦争が、いかなることを引き起こすかということを、始めた方は分かっていないのかも知れない。
 しかも、日本政府もそうであるが、
「攻め込まれた方が悪い」
 と思い込むふしがある。
 もちろん、
「研究家であったり専門家がいうのだから」
 ということで、世論は、
「それが正しい」
 と思い込むのかも知れない。
 それが、洗脳というものを扇動してしまい、結果、事態の善悪が分からずに、扇動されるままに解釈してしまい、そのまま、
「多数決」
 というものに流されてしまう。
 本来であれば、
「少数派にだって、理論というものがあり、すべてとは言わないが、その中には特筆すべきところがある」
 といえるものがあるのに、それが見えずに、盲目にされてしまうということになってしまうのであろう。
 それを考えると、
「ここ数年の戦争は、片方に加担するという比重が大きすぎることで、おかしなバランスになってきている」
 といえるだろう。
 そっちが、終わる兆しが見えるわけではない時に、他の地区でも、戦争が起こった。
 こちらの場合は、お互いにせめぎ合っているので、
「どちらが善で、どちらが悪」
 ということにはならず、
「とにかく、一般市民のことを考えると、人道的に、戦争を辞めさせなければいけない」
 ということで、外交交渉を行うこともできるが、
 前述の最初の戦争に関しては。
「最初こそ、外交で何とかしよう」
 と世界の国が動いていたが、それでも、最後には、
「侵攻してしまった」
 ということで、結果、
「攻め込まれた方の肩を持つ国が大半である」
 ということになると、完全に、攻めた国は孤立してしまう。
 そちらの国にはそれなりの
「言い分」
 というものもあるのだろうが、それも、
「勝手な言い分と一蹴してしまえば、どうすることもできなくなり、孤立の道を歩むことになる」
 ということだ。
 それで、大日本帝国がどうなったか?
 つまり、
「満州国建国」
 というものが、
「自衛のためであったにも関わらず、世界が、自衛にあらず」
作品名:黒歴史 作家名:森本晃次