黒歴史
「満州事変まで起こして、満州を独立させ、そこを日本の傀儡国家ということにしたのではないか」
ということであった。
実際に、
「韓国も併合し、それを、アメリカやイギリスをはじめとする諸外国に、承認させたではないか」
「だから満州も」
という考えは、無理があったのかも知れない。
だが、満州国に関しては。
「自衛の範囲を超えている」
と判断され、結局、
「国際連盟を脱退」
ということになり、日本は、孤立することになったのだ。
ここから先、日本は、ドイツ、イタリアなどの、
「ファシズム国家」
と結びついた。
主義主張が似たところがあるということであろう。
日本の場合は、独伊のように、
「独裁国家」
というわけではない。
独伊の場合は、
「政府に、力を集中させ、独裁であっても、強い政府に国の命運を託し、自分たちの民族が世界に君臨する」
ということで、
「侵略行為」
を勧めてきた。
日本にも、
「大義名分」
というものがあった。
それが、
「大東亜共栄圏」
というもので、
「大航海時代からこっち、欧米列強に、食い物にされ、ほとんどの国が植民地化された状態である、東アジアというものを、日本が主導し、東アジアから、アングロサクソンを駆逐し、日本中心の、新しい秩序を作り出す」
というものであった。
ここでいう、
「日本が中心になって」
ということが、
「ファシズムにおける、自分たちの民族が、一番優秀だ」
という考えだ。
そのための侵略というのは、ある程度やむを得ない。そもそも、それが、欧米列強に浸食されているところだからだ。
だが、これは、
「欧米列強に対しての挑戦」
ということであり、一種の、
「宣戦布告」
に近いものであろう。
「日本という国が、そうなったのは、致命的に、資源というもののない土地に住んでいるということが大きな原因だったのだろう。
かつての日本軍の中にも、
「特務機関」
と呼ばれるものがあった。
これは、軍に中でも結構重要な機関であり、相手が、共産主義であったり、反乱分子として認定したり、あぶりだしたりしたことで、いわゆる、
「反政府組織」
の撲滅に繋がるのだ。
世界各国で、スパイ合戦というものを行っていた時代である。それだけ時代が混沌としていて、
「民主主義」
と、
「社会主義」
という二つが、大きな影響を与える時代だったのだ。
その傾向は、世界大戦後も大きく、特に、
「二大超大国」
というものによる、
「東西冷戦」
という構図は、
「核開発競争」
という側面を持っていて、もっとも、危険でデリケートな時代だったのだ。
そんな時代において、いかに治安を維持するか?
これは大きな問題だった。
特に、国内でも、
「外国から、日本の情報を得ようと、スパイがかなり入り込んでいる」
ということもあった。
ただ、日本も、この諜報機関について、かなりその力を発揮していた。
特に、大陸では満州、朝鮮、そして中国の主要都市に、
「特務機関」
というものを置いていたのだ。
そんな特務機関が諜報活動を行っているというような映画がいくつか公開された。桜井刑事も、そういう映画を学生時代に何本か見た。かなり、
「特務機関」
という映画であったり、
「諜報活動」
というものに、興味のようなものがあったのは事実だ。
そんな映画を見ていると、
「警察官になりたい」
という気持ちになってきた。
これは、志望動機としては、普通ならありえないことなので、誰にも言っていなかったが、これは、桜井刑事にとっても、一種の、
「黒歴史」
といってもいいだろう。
桜井刑事は、これまでの
「事件解決」
というものに、どれだけの注力を重ね、力を尽くしてきたかということを考えると、この黒歴史は、
「封印しなければいけない」
と考えるようになった。
だが、実際に、この意識があることで、今までいろいろな事件を解決できたという意識は間違いなくあるのだ。
それを考えると、
「諜報活動」
というものへの興味を、ここで捨てるわけにはいかないと思う。
しかも、最近あまり意識しないようになっていた諜報活動という意識を、この事件で取り戻したということは、今回の事件が、そういう発想から見ることが大切なのではないかと感じたのだ。
諜報活動について、忘れていたというのは、意識して忘れたわけではなく、無意識に忘れていたのだ。
それがどういうことなのかというと、
「きっと、自分の推理というものが、諜報活動というものにいかに影響しているかということを示しているのではないか?」
と考えるのであった。
実際に諜報活動がいかに行われていたのか?
というのは、ネットのない時代には、なかなか分からない部分もあっただろうが、最近の値っとでは、かなりのところが分かってきている。
それは、
「東西冷戦」
というものが終わった時代と、ほとんど変わっていないということもあるからだろう。
東西冷戦というのは、
「ソ連の崩壊」
あるいは、
「ベルリンの壁の崩壊」
という二つの崩壊によって出てきたものだ。
そんな諜報活動というものに、一つの考え方として、
「行方不明」
ということが結構絡んできたりする。
これは、行方不明になった人間が、
「どういう人間なのか?」
ということも大きかったりする。
というのは、
「実際に、スパイだった人が、情報収集を終えて、自分の国へ帰った場合」
である。
これは、非常に国家にとって危険な状態が、末期になっているといってもいいだろう。
また、他のパターンとして、諜報活動としてやってきた人間から、洗脳のようなものを受けて、すっかり相手国に洗脳される形で、スパイにされてしまった。
ということである。
この場合は、末期とまではいかないが、これから、危険度が一気に増すということになるであろう。
すでに、わが国において、行動を開始できるレベルになっていれば、
「同じ国民」
あるいは
「同一民族」
ということで、他の人たちは、
「まさか、隣にスパイがいる」
などということを考えたりはしないだろう。
しかし、実際には、潜んでいることがあるわけで、それだけ国民は、
「なるべく、同胞を疑うなどということはしない」
と思っているに違いない。
なぜなら、国家が有事を想定しているのだから、まわりの人間をいちいち疑っていては、国難を乗り切れないということになるだろう。
特に、
「挙国一致」
ということを政治も軍も行っているのだから、国民も、
「一致団結しないと、戦争に勝てない」
ということになる。
その考えを、スパイは利用することになるだろう。
「自分たちよりも、国家の方針を生かす形になるのだから、政府や国民を欺くなんて、簡単なことだ」
と、洗脳されたスパイにそう思い込ませれば、作戦もやりやすいといえる。
しかし、
「油断は禁物であり、そのあたりは、気を付ける」
という教育をしている。
もちろん、その国家もやられているだけではないだろう。だから、
「スパイ撲滅」
ということを考えるのだ。
もう一つは、