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黒歴史

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「鈴村という生徒のお話をお聞きしたいんですが?」
 ということを尋ねると、ちょうど、彼の担任ということっで、一人の中年の先生が出てきたのだ。
「鈴村君は、あまり目立たない生徒でしたね。成績は、可もなく不可もなくということで、そうですね、成績も態度の正直、どこにでもいるというような、平均的な生徒でした」
 という話をするのであった。
 そこで、桜井刑事は、
「石ころ」
 というものを意識した。
 これは、桜井刑事のくせのようで、
「平均的」
 という言葉の枕詞として、必ず思い浮かべてしまうことのようだ。
 下手をすると、平均的という言葉を聞いただけで、そう思い込んでしまうということによって、凝り固まった考えが余計に浮かんでくるということのようで、その感情は、深いもののようだが、それによって、
「刑事の勘が鈍る」
 ということはないようだった。
 逆にその思い込みと、事件で発見したことが一致すれば、
「思い込みというのも、真実になる」
 ということになるのではないだろうか。
 それを考えると、桜井刑事は、
「頭の中で、歯車がカチッと噛み合うのが分かるのだった」
 そういえば、子供の頃に見たアニメで、
「とんち坊主」
 の話があった。
 何かおまじないのようなことをすれば、頭が閃くということで、それを真似る子も多かったというものだ。
 まだ、小学生だった桜井も、実際にやってみた。
 最初の頃は、そのままマネをしていても、うまくいくはずがなかった。自分の中で、
「そんなことをしても、アニメの世界での出来事と思って、最初からできるはずなどあるわけない」
 と思っていたに違いない。
 だが、彼はあきらめなかった。諦めないというよりも、別の方法を模索するようになった。
 それは、頭の中で、
「虫の知らせ」
 のようなものが確かにあるので、
「やり方が違っているだけで、その方法をやれば、できるかも知れないと思うことが大切なのであって、できるようになれば、それが、真実なのかも知れない」
 と感じるようになったのだった。
 というのも、桜井少年は、
「なんでも否定することはいつだってできる」
 と考えていたからだ。
「いつでもできることなら、いまする必要はないのではないか?」
 ということで、どちらかというと、子供の頃から、
「天邪鬼だ」
 と言われていたが、まさにその通りだった。
 しかも、桜井刑事の子供の頃は、それこそ、
「平均的な少年」
 だった。
 親からも、
「なんでもできるような大人になりなさい。そういう人が求められる時代なのよ」
 ということであったが、子供心に、
「そんなのおかしいのではないか?」
 と、桜井少年は感じていた。
 子供の頃というのは、
「平均的になんでもこなす人が世間で喜ばれる」
 という親の理屈が信じられなかった。
 少年の頃から桜井刑事は、
「自分で信じられない」
 と思ったことは、信じる必要はないと考えていたのであった。
 だから、
「人にいわれるよりも、自分の勘を信じる:
 という気持ちが確立されていたのだ。
 そのことは、まわりの大人は分かっていたのだろう。
 桜井が、そう感じるようになってから、まわりが自分を見る目が明らかに変わったのだった。
 それは、
「まわりの見る目が変わったことで、自分が変わったと思い込みたい」
 ということなのか、
「まわりの見る目が変わったのは、気持ち悪いとこちらを感じたからで、それが自分の性格を形成したのだと感じたい」
 ということであった。
 後者の場合は、その頃から、
「自分は他の人と同じでは嫌だ」
 と感じるようになったことを示している。
「天邪鬼だ」
 と感じるようになったのは、そのことであり、学校で勉強する中で、
「過去の偉人さんというのは、一つのことにかけては、長けているが、他のことに関しては落第点だった」
 という人が多いと思えることであった。
 実際に、発明家なども、
「小学校の成績は落第点だった」
 という人もいたり、
 あまり褒められる業績を残したわけではなく、下手をすれば、
「悪の権化」
 と言われているような政治家が、子供の頃は、
「芸術家を目指したが成績が悪くてなれなかった」
 ということであったが、政治家を目指すと、あれよあれよという間に、
「独裁国家を築き、そのトップに君臨する」
 という男になったということである。
 その男は、
「演説や、プロパガンダに関しては、実に天才的だった」
 という。
 つまり、
「政治家としてはどうだったのか」
 ということではなく、それよりも、
「人の中心に立つ」
 という意味では、天才的だったということであろう。
 だから、そんな政治家になったことで、
「世界は大混乱」
 となったわけだが、
「少なくとも、彼は大々的な軍事クーデターを起こして、国家のトップに上り詰めた」
 というわけではなかった。
 合法的に選挙で選ばれたことで、自分が作った党が、第一党になったことで、そのまま、大統領、首相と上り詰め、独裁国家を作り上げたのだ。
 そもそも、
「それまでの政府が弱かった」
 ということと、かつての戦争によって、国が興廃し、大混乱の真っただ中だったということで、国民が、
「独裁でもいいから、強い指導者を求めた」
 ということだったのだ。
 確かに独裁政治というものが、どのようなものなのかというと、
「洗脳によって、国民をめくら似し、自分たちの考え方で自由に動く」
 ということになるのだが、当時の国家は、戦争に敗退したことで、多額の賠償金を諸外国から課せられ、
「パン一個が、札束で積み木遊びができる」
 というほど、価値が上がったというべきか、
「貨幣価値が致命的に下がった」
 というべきか、
「札束が紙切れ同然」
 というほどの、いわゆる
「ハイパーインフレ」
 というものであった。
 要するに、物資が致命的に不足しているのだ。そんな状態で、その日を生きていくだけで精一杯の国民にとって、
「何が正しいのか悪いことなのか?」
 という倫理的なことなど、考える暇もないということだ。
 ハイパーインフレというものや、
「その日が生きられれば、とりあえずはいい」
 という状態で、
「何が倫理や正義というものか?」
 ということで、
「その日の暮らしができるようになり、将来に夢を与えてくれるものが出てくれば、それが独裁政治家であったとしても、国民の多くは、
「それが正義だ」
 と思うのだ。
 しかも、民族心理に訴えて、かつての栄光を取り戻すということを訴えたとすれば、それは、
「自分たちを、神の国に導いてくれる」
 と言った、宗教的な発想になるというものだ。
 要するに、そんな立場にならない限り、独裁国家というのは、そう簡単にできるものではない。それを行ったとすれば、世界情勢の責任が、大きいということではないだろうか?
 そんな独裁国家が、
「宗教と結びついているような気がする」
 ということを考えるようになると、今回の目撃者である少年に、すんなり会えなかったということを考えると、何かの胸騒ぎを感じたのは、
「独裁」
 という発想というよりも、
作品名:黒歴史 作家名:森本晃次