小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

犯罪という生き物

INDEX|6ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

 それだけ自分が、娘のことを見すぎたことで、直視できていなかったのではないかと思ったからだ。
 娘を真剣に見ているつもりで、どこか遠慮しているところがあった。
 それは、
「思春期の頃に、娘の態度は、完全に私を避けている」
 という意識があったからだ。
「まるで汚いものでも見ているようだ」
 と感じたのは、
 明らかに、その視線が、毛嫌いしていて、口元が、
「チェッ」
 といっているようにさえ見えたのだ。
 娘が思春期というデリケートな時期に差し掛かっているというのは、誰の目にも明らかなことだが、
「父親も、娘に最大限の気を遣う」
 ということで、
「デリケートになっている」
 ということを理解している人はほとんどいないだろう。 
 もっとも、そういう感覚は、他の人はどうでもいいことで、肝心の娘が分かっているかいないかということである。
 娘としても、
「自分のデリケートな精神状態をいかに保つことができるか?」
 ということに一生懸命で、父親に対して、気を遣うということはあるが、それはあくまでも、
「自分のため」
 ということで、それだけ、
「自分でも、どうすることもできない」
 という状態になっている。
 ということではないだろうか。
 だから、父親と娘の関係として、
「通らなければいけない道」
 ということである中で、一番の、
「いばらの道」
 なのかも知れない。
 そうこうしているうちに、父親も疲れてきた。
「どうやら、娘は母親を欲しているわけではない」
 ということも分かってきて、
「お母さんのことを父親が忘れたわけではない」
 ということも、娘の方でも分かってくると、父親は、
「婚活」
 というものをすっぱりと辞めた。
 お見合いパーティに参加することもなくなり、今までカップルになった人と、中には時々会ったりしていたが、
「どこかぎこちないな」
 と思いながらであったので、もう呼び出すということをやめると、相手からも連絡をしてくることもなくなった。
 連絡先はすべて消去しようかと思ったが、2,3人だけは残しておいた。
 その人たちは、
「異性の友達」
 として、十分にやっていける人たちだと思ったからだった。
 実際に、その後、連絡を取り合うことはあったが、会うということまではしなかったのだ。
 お見合いパーティにもいかなくなると、余計に、
「一人の時間」
 というものが楽しくなった。
「趣味の時間を楽しみたい」
 ということで、カルチャーサークルの、
「絵画教室」
 というものに通い始めた。
 娘も賛成してくれているのが分かると、それから逆に、父娘の会話が、前よりもかなり増えたことに、二人は満足していた。
 ただ、それは娘としては、
「高校時代以降で、父親とのわだかまりというような厄介な問題がなくなったことは、ありがたい」
 ということであった。
 高校時代は、特に大学受験というものを控えていて、その分精神的にきつい状態に追い込まれていたので、それも仕方のないことだった。
 高校の3年間、女子高だったというのは、
「一長一短だった」
 といってもいいだろう。
「彼氏がほしい」
 という感覚は間違いなくあるのだが、だからと言って、そっちに集中してしまうと、
「これから大学受験のために覚悟を決めなければいけない」
 と思うと、
「彼氏がほしい」
 という思いを、
「大学生になるまで持っていけばいい」
 と思ったのだが、その反面、
「高校時代の今でしかできない恋愛をしてみたい」
 という思いがあったのも事実だった。
 しかし、実質的に、女子高というのは、
「友達の紹介のようなものでもなければ、男子と知り合うことはできない」
 と思えたのだ。
 しかし、
「紹介してもらえそうな友達もいないしな」
 ということで、
「もし、紹介してもらえるとすれば、それは、顔の広い女の子で、下手をすれば、下僕として従わなければいけない」
 という相手なのではないかと思うのだった。
 かすみも、父親の遺伝なのか、あまりコミュ力は高くない。
 中には、無口でも、その分男性から見て、
「目立つ」
 というタイプの女の子もいて、そういう女の子は、女性から見ても、
「目立つタイプ」
 ということを感じさせる、一種の、
「オーラのようなもの」
 を感じさせるというものであった。
 しかし、かすみには、そんなオーラはなかった。
 その頃のかすみは、
「意外と、自分で自分のことを分かっているのではないか?」
 と思っていたが、それをあまり表に出さないようにした。
「まわりは、皆敏感になっている」
 ということで、本人がそこまで考えていないようなことを、まわりは敏感に感じているのではないか?
 と思うのは、思春期も終わって、
「いよいよ、大人になる階段の後半に差し掛かった」
 と思うからだった。
 それだけ、
「そんな大切な時期に、大学受験が控えている」
 というのは、もったいない気がした。
 しかし、逆に、
「そういう今だからこそ、大学受験に耐えられるのかも知れない」
 とも感じた。
 高校生というものが、大学生になった時、
「大学受験の難関を突破し、今までできなかったことを思い切りできるようになった」
 と感じるのは、
「皆が皆そうなのだろう」
 と思う。
 しかし、その感じ方には、千差万別があり、
「一人一人、感じ方も、その度合いも違う」
 といってもいいかも知れない。
 特に、
「これで、我慢していた遊びができるかも知れない」
 という思いと。
「新しいことができる」
 という勉強以外での楽しみとを感じる人であり、それは、
「それまでの呪縛から解き放たれた」
 と感じている人であろう。
 こちらが、一番、圧倒的に多い考え方を持っている人だといえるのではないだろうか?
 逆に、
「これから、大学での勉強に励みたい」
 と思っている人も若干いるはずだ。
 むしろ、
「大学受験というのは、そのためにするものだ」
 というのが、正論ではないだろうか。
 受験勉強はあくまでも、
「詰込み」
 というもので、何といっても、
「マークシート」
 というもので、答えるのだから、
「大量の知識を覚えさせられ、それを、マークシート方式で答えることができる」
 というように、
「訓練された」
 ということで、試験勉強が生きてくるという感じになってしまうのだろう。
 だが、大学の勉強というのはそうではない。
 確かに、1年生の間は、
「一般教養」
 というものが主であり、そこで一定の単にを取得しておかなければいけないのだが、それでも、
「高校までの勉強とはかなり違う」
 といえるだろう。
 同じ教科であっても、先生によって個性があり、教える内容も様々、しかも、
「その教科に対しては、専門的な知識」
 を持っていて、それがあることで、
「大学教授」
 という肩書が、皆に眩しい後光のようなものを与えるのであろう。
 そして、2年生からは、いよいよ専攻分野が主題になり、
「ここからが、大学に入学したことの神髄なのだ」
 ということになるだろう。
 かすみは、大学生になると、
「それまでの暗さが、眩しいくらいの大学生活で一変させてくれる」
作品名:犯罪という生き物 作家名:森本晃次