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犯罪という生き物

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 などというのは、あくまでも学校のメンツのようなものであり、一つの営業ではないだろうか。それに乗っかった生徒も、本当は覚悟の上で行かなければいけないものを、覚悟もなく行っている生徒であれば、
「バカを見た」
 というよりも、
「自業自得だ」
 といえるのではないか?
 かすみが、その頃、
「彼氏がいないことを悩んでいた:
 ということなど、父親の新藤には分かるわけはなかった。
 特に、まだ子供だったと思っている娘だったので、父親としては、普段の生活であれば、
「母親がいない」
 ということを意識していて、
「自分がしっかりしなければ」
 と思うのだが、こと、精神的なこととなると、どうしても手を出すのが怖いのだ。
 特に、
「思春期の娘」
 では、どうしていいものか分からない。
 まだ、娘が幼女の頃で、
「お父さん、お父さん」
 といって、寄ってきてくれた頃は、
「よしよし」
 といって、頭を撫でてやると、ニコニコ嬉しそうな顔をする娘を見ていて、
「これ以上、楽しい思いはない」
 と思っていたのだ。
 その頃から、
「娘が思春期になったら」
 という意識がなかったわけではない。
「先読みをする」
 というのは、新藤にとっては、いつものことであり、
「得意とすること」
 でもあったのだ。
 しかし、この時は、
「一番の難関」
 ということで、娘の節目を考えていたのだが、それは、
「母親がうまくやってくれるだろう」
 ということで、安堵していたのだ。
 しかし、母親が急に亡くなってしまったことで、悲しみに打ちひしがれている時だったので、
「母親に任せておけばいい」
 という意識だけが、別のところにあったのだ。
 だから、
「母親が亡くなった」
 ということと、
「娘の問題を母親に任せていた」
 ということが、同じ線上にあるわけではなく、まるで異次元のことのように感じてしまったので、
「娘が思春期になった」
 と感じていても、自分では、まったく気づいていなかったといってもいいだろう。
 それが、父親にとって、盲点であったし、我に返った時には、
「失念していたのは自分のせいだ」
 ということで、
「母親に任せた」
 ということすら忘れてしまっていたのであった。
 そんな父親だからこそ、娘が思春期を迎えると、今度は、
「自分ではどうしようもない」
 ということで、シャッポを脱ぐという感覚になったのだろう。
「なるべく、娘とかおを合わせない」
 という、本末転倒な方法に舵を切ってしまい、それが最悪ともいうべき、
「逃げ」
 という態度をとってしまったことで、娘から疑いの目を向けられるようになるとは思ってもいなかった。
 ただ、この時の態度が、父親である新藤の態度を決めたといってもいいだろう。
 娘は高校生の間、相変わらず彼氏ができない。
 それは、彼女の中で勘違いというものがあったからだ。
 ということになるのだが、それは、
「彼氏というのは、自分から行動しないとできない」
 ということを失念していたからだ。
「何もこちらから行かなくとも、男が来てくれる」
 と思い込んでいたのだ。
 それは、あくまでも、マンガやドラマを見ていて、
「オンナの立場から見ていて、そう感じた」
 というのが一番だったのだろう。
 自分にとって、青春というものを勝手に思い浮かべていると、
「こちらから行動するのは、ものほしそうに見られて、みすぼらしく思えて、却って男が寄ってこない」
 と思ったのだ。
 確かに、昔はそういうところがあっただろうが、今はそんなこともない。
「婚活というのは、男女それぞれに行うものだ」
 と言われるが、ただ、
「婚活での費用は、男は高いけど、女性は、ただだったり、安かったりするから」
 といっていた友達がいて、その言葉をそのまま信じたから、自分から行動しなかったのだろう。
 もっといえば、
「自分から行動するのは、貧乏くさい女のすることだ」
 ということで、
「オンナが動くというのは、はしたない」
 という、時代錯誤も甚だしいと覆える考えを持っていたのだろう。
 それは、かすみだけが悪いわけではない。
 実は、親が二人とも、似たような考えを持っていたのだ。
 両親は、そもそもが見合い結婚で、特に父親の方が、
「恋愛に関しては、別に気にしていない方だった」
 といってもいい。
 今でいうところの、
「草食系男子の走りだった」
 といってもいいかも知れない。
 というのも、
 父親が学生時代というと、
「結構離婚率が上がり始めた頃」
 といってもいいだろう。
 世間では、
「成田離婚」
 などという言葉が流行っていて、
「同棲などは普通にあった時代だが、逆に、同棲しているから、相手のことをすべて分かっているというような気持ちになっていたが、いざ結婚してみて、新婚旅行で、結婚してから初めての共同生活をしてみると、それまで見えてこなかったものが見えてくる」
 ということだ。
 それは、
「自分が見えていなかったのか?」
 それとも、
「相手が無意識にだろうが、隠そうとしていたのか?」
 ということは分からないが、結局、
「見えてしまったことで、完全に冷めてしまい、今だったら、やり直せると思うのか、お互いに離婚で考えが一致した」
 ということになるのだろう。
 当事者でなければ、この気持ちは分かるはずもない。
 だからこそ、
「信じられない」
 と思いながら、
「結婚するということは、そういうことになるということなのだろうか?」
 と、
「結婚というものに、夢を見るのがバカバカしくなった」
 と思うことだろう。
 父親の逃げに対して、娘の方は、
「別にお父さんを避けているわけじゃないんだけど、ただ、今は好きになれない」
 という感覚ではないかと思っていた。
 父親とすれば、
「逃げているわけではないのだが、やはり母親がいないと、父親だけではダメだ」
 と思っているのも事実で、違う方向を見るようになっていた。
 というのは、
「娘には母親が必要なのかも?」
 ということで、実際に、誰にも言わず、
「婚活に励もう」
 と考えてもいた。
 実際に、まだ、年齢は、当時40歳ちょっとだったので、婚活パーティなどでは、
「年齢的に、ちょうどいい」
 といってもいいだろう。
 もちろん、初婚ではなく、再婚という意味でであるが、実際に、婚活パーティなどでは、
「年齢別」
「再婚、未婚」
 それぞれのコースがあり、人数制限も、さらには値段体系も違っていて、それぞれに、当然、出席者も違っていることだろう。
 新藤は、数回申し込んで出席した。
 最初の頃は、まったく話もできなかったのだ。
 こういうパーティの定番コースというと、大体
「2時間」
 のコースがほとんどだろう。
 形式としては、お互いに対面形式で、男女が座るという、
「カフェのような雰囲気であるが、そこで、男女がまず対面で座り、3分から5分くらいの間で軽く、自己紹介などを行い、時間が来たら、
「男性が、時計回りに移動していく」
 という形を取り、最後に戻ってきたところで、その時間帯は終わりということになる。
作品名:犯罪という生き物 作家名:森本晃次