犯罪という生き物
という気分にさせられたと思うだろう。
そうなると、皆が実は。
「もう聞きたくない」
と思っているのだろうと勘違いしてしまう。
確かに聴きたくないと思ってはいるだろうが、興味がなくなったわけではない。
あまりにも話が露骨になってきたので、聞いていて恥ずかしくなってくるのだった。
それが、羞恥心というものであり、
「興味はあるが、まだ怖い」
という思いと、実際に聞いた話が、露骨であることで、その恐怖が猜疑心に変わっていくことになるということに気づいているのだろうか?
それを思うと、
「男女の関係というものが、いかに難しいものであって、まだ中学生の自分たちには理解できない」
と思うことだろう。
それでも、いずれは、
「避けて通ることのできない道」
それを思えば、
「私たちって、今を普通に楽しんでいていいのかしら?」
とも思えてくるのだ。
だから、
「付き合う男性もしっかりと見極めないと」
と思うようになる。
中学生くらいになると、マンガであったり、小説などを結構読むようになる。
最近の少女漫画であっても、結構露骨な描写があったり、ストーリー性も、
「青年漫画」
に匹敵するくらいのものだったりする。
そんなものを見せられると、
「恐怖を煽られる」
といってもよく、
「中学生に、男女のことを考えさせるのは、まだまだ早い」
と感じ、結局は、
「高校生になってから」
と思うようになる。
何といっても、高校生になるためには、
「高校入試」
という、こちらも、
「避けては通ることのできない」
というものが控えているのだ。
男女関係に比べれば、受験は、逃げることのできないもので、目の前に、
「待ったなし」
ということで控えているのだ。
しかも、これこそ、誰もが同じ時に通る道だということで、まるで、
「一大イベントだ」
といってもいいだろう。
祭りや学校行事とは違い、
「合格しなければいけない」
ということを伴うということで、
「受験生というのは、精神的に耐えられない人も出てくるかも知れない」
という意味で、
「恐怖を伴うものであり、しかも、近づいてくればくるほど、精神的に追い詰められるというものだ」
ということであった。
中学生までは、
「彼氏がいなくても、普通のことだ。むしろいる方が珍しい」
と思っていた。
だから、
「いれば、これほど楽しいことはない」
と思っていると、逆に、
「いなくても、別に問題はない」
と自分に言い聞かせることもできるので、どっちにしても、今は別に問題はない。
といえるであろう。
しかし、それはあくまでも中学時代までのことで、高校生になると、今度は焦りに変わってくる。
高校入学の喜びもつかの間、喜びに浸ってしまっていると、あっという間に夏休みが過ぎていた。
彼氏ができるわけでもない状態で、気が付けば、秋風が身に染みる季節になってきたのだ。
「夏は嫌いだ」
と思っているかすみには、秋風は本当であれば嬉しい季節を運んでくれるものなのだが、高校一年生の秋は、
「何かすきま風が通り過ぎる」
という意識の方が強く、いつになく冷たさを感じた気がしたのだった。
「今年の夏は、何もなかったことが、何かあった時よりも、印象深い」
と思える初めての年となったのだった。
それだけ、
「彼氏がほしい」
と感じるようになったからであろうか。
というよりも、焦りというものを初めて意識したのかも知れない。
といっても
「中学三年の時に、受験での焦りを感じたのではなかったか?」
ということであったが、それとは感覚が違っている。
受験というのは、最初から避けて通ることのできない
「決まったこと」
であった。
だから、受験が近づいてくると、切羽詰まってきて、切羽詰まると、
「実力が発揮できる」
と感じるようになった。
そして、
「彼氏が欲しい」
という感情と、
「受験が迫っている」
という感情の違いというのは、どこにあるのかというと、
「受験は時期も決まっていて、避けては通れない」
ということであった。
彼氏に関しては、
「いずれはできるだろう」
という程度で、
「絶対に彼氏ができないと、先に進めない」
というものでもない。
要するに、
「彼氏ができるできないか?」
というのは、
「その人の心の持ちようではないか?」
ということになると感じるのであった。
ただ、もう一つ言えることは、
「思春期というのは、二度と来ない」
というものであり、
「彼氏ができない」
ということであっても、別に焦る必要はない。
高校生でなくとも、大人になれば、いくらでも出会える機会はあるし、いい人にも出会えるだろう。
だが、
「高校一年生という時期は二度とこない」」
つまりは、
「高校一年生としての恋愛は、二年生になれば、二度とできない」
ということになる。
そのことを誰も意識していないということが、不思議な気がした。何といっても、その時感じることができたが、もし、その瞬間にひらめきのようなものがなければ、
「二度とそう感じることはないのではないか?」
と感じたのだった。
恋愛感情
中学と違って、高校は、
「女子高に行ってしまった」
というのも、仕方がないこととはいえ、
「間違いの元だった」
ともいえるだろう。
それは、自分の成績でいける学校で、
「合格したのが女子高しかなかった」
ということで、しょうがないといえばしょうがない。
高校生になってからでも、
「女子高でも、彼氏を作ることはできる」
と、たかをくくっていたが、それも、夏休みが終わって、二学期が始まると、いつの間にか、
「焦りのようなものが生まれていた」
ということであった。
高校生になると、中学時代と違って、
「何が楽しいのか?」
と考えるのである。
高校時代というのは、
「中学時代と何が違うか?」
ということは、いうまでもない。
つまりは、
「義務教育ではない」
ということだ。
「教育を受ける権利はあるが、教育を受けさせる方には、その義務はない」
ということで、
「成績が悪かったり、学校になじまなかったりすれば、別に学校を辞めようがどうしようが、自由だ」
ということである。
しかも、校則というものが厳しいところは、生徒を退学にだってすることができるわけで、それだけ、厳しい環境だとも言える。
特に、
「特待生扱い」
というものは特殊であり、スポーツ関係であれば、
「その競技ができなくなれば、簡単に切り捨てられる」
というものだ。
「学費免除」
ということで、スカウトしてきた生徒を特待生扱いにしたが、それはあくまでも、
「部活で成果を挙げている」
ということが条件である。
けがをしたりして、
「それが、自己責任であろうが、しょうがない事故のようなものであっても、結局は、何もできない」
ということになる。
普通に考えれば、
「高校生にはかわいそうだ」
ということであるが、厳しいようだが、
「学校は勉強をするところ」
ということで、
「スポーツ推薦」