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犯罪という生き物

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 ということが、桜井刑事は得意だった。
 それは、初めて推理を披露する前からそうであり、その頃から一緒に捜査をしていた人は、
「そういえば、桜井刑事というのは、そういう意味で、捜査を自分なりの目で見ることが得意であり、警察内部に対して、何か警鐘を鳴らしているという時があったような気がするな」
 ということであった。
 それもあって、桜井刑事が、
「推理を披露する」
 ということにしたのは、
「自分で捜査した部分はもちろんのこと、それだけではなく、他人が捜査したことと、自分の推理を組み合わせて、そこで、寸分の違いがないということになれば、それが真実ということになる」
 という考え方だったのだ。
 そういう意味では、
「理論に基づいた捜査」
 というのが、桜井刑事の推理ということになる。
 だから、
「捜査や聞き込みは、何度も行う」
 ということにしている。
 相手からすれば、
「刑事さん。前も同じことを聴いたじゃないですか?」
 ということで、相手から、
「この刑事大丈夫か?」
 ということをいわれたりするのだが、聞き込みが終わると、事情聴取を受けた相手が、
「うーん」
 と唸ることになるというものであった。
 というのも、桜井刑事は、
「相手の矛盾を探す」
 ということが、推理の核心だと思っていた。
「時間が経てば、記憶というのは曖昧なものになり、自分で絶対だと思っていることも、実は違っていたり、勘違いだったりするものなんですよ。それをズバッとつけば、相手もびっくりして、焦り出す。そんな時に、犯人であったらボロが出たり、普通の証言であれば、そこに確信を見出すことができるようになるんですよ。つまりは、忘れてしまっていた肝心なことを思い出すということになるわけです」
 というのだった。
 これには、本部長もいつも感心しているのだった。
 実際に、
「そう、そうなんだよね。私もそうなんだよ」
 というのであった。
 もちろん、このやり取りは、
「本部長と桜井刑事の間だけで繰り広げられるもの」
 ということで、他の捜査員は、
「なんで急に本部長は、桜井刑事んおやり方に、文句を言わないどころか、絶対的な信頼を置くようになったんだろうか?」
 と思っていることだろう。
「二人には二人にしか分からないことがある」
 ということを分かっていないのだ。
「以心伝心」
 ということになるのだろうか、
「事件というものが、どういう解釈で出来上がっているのかということは、その時々の事件で違っている」
 ということで、
「事件は生き物だ」
 というのが、本部長がよく口にすることであったが、その理屈を分かっているのも、桜井だけだということになる。
 だから、桜井刑事とすれば、
「最初の頃は、まったく信用されていなかったな」
 と思っていたが、
「それも、最初のうちだけ」
 ということを感じたのは、
「実は、かなり最初の頃だった」
 と思っていた。
「ああ、部長は憎まれ口をたたいているけど、それは、俺の何かを探っているからではあないだろうか?」
 と思っていたのだ。
 まわりが、桜井刑事に同情的で、本部長を
「あそこまで言わなくても」
 と思っていたが、すぐに、
「皆が理解するということになるさ」
 ということは分かっているといってもいいだろう。
 それを考えると、
「俺たちは、事件というものをまったく違った形で見ているんだ」
 と感じ、
「一人でも理解者がいることが嬉しくて、やはり、この本部長についていって間違いはないんだな」
 と感じたのだった。
 そんんあ桜井刑事であったが、今回の事件も、
「何か、普通の目線で見ていては、違ったものしか見えてきないかも知れない」
 と感じるのだった。
 桜井刑事が受け持った事件で、もちろん、未解決になっているものもたくさんあり。
 だが、逆にいえば、
「未可決になりそうだ」
 ということで、自分たちで手に負えない事件を、途中から、桜井刑事が、
「それまで受け持っていた事件が一段落する」
 という条件の元、こちらの事件にも参加してもらえるように途中から話もしていた。
 とはいっても、一つの事件が解決して、すぐに飛び込むというのは、さすがの桜井刑事としても、簡単なことではない。
 しかも、桜井刑事の推理は、
「冷静な精神状態によって、パズルを組み立てるかのように、作り上げる」
 ということから、
「飛び込みのような状態で捜査に加われば、本末転倒になる」
 というものだ。
 何といっても、桜井刑事の捜査というのは、
「事件を裏付ける物的証拠から、状況証拠を作りあげる」
 ということから成り立っていた。
 普通の捜査であれば、
「まずは、状況から判断した推理から、それに見合う物的証拠」
 というものを探すことで、起訴に持ち込むということで、
「起訴に持ち込むというのは、物的証拠が揃ったところで、検事が判断する」
 ということは、事件に対しての起訴というものは、
「推理ではなく、証拠がすべてだ」
 といってもいいだろう。
 しかし、桜井刑事の場合は、
「証拠が先にあって、そこから、状況証拠を判断し、その二つを融合させることで、事件の真相に近づく」
 というものである。
 だから、物的証拠であったり、証人による証言という、
「物証」
 と言われるものが、
「事件にいかに役立てるか」
 ということになり、
「真実は一つだ」
 ということになるだろう。
 しかし、桜井刑事は、その言葉に少なからずの疑問を抱いている。
 というのは、
「一つだといえるものは、真実ではなく。事実ではないか?」
 ということである。
 同じ状況で同じ人間に、複数の事実が存在するというのは、普通はありえない。それこそ、
「パラレルワールド」
 でもなければありえないといえるのではないだろうか?
 真実は、その事実に基づいて作られるものであり、事実が、ハッキリしていなければ、真実もブレてしまい、真実というものを見誤る」
 ということになるのだ。
 そういう意味で、
「物証というのは、事実」
 であり、
「状況証拠」
 であったり、
「推理」
 なるものは、真実の一つとして組み立てられるもの。
 ということで、そう考えると、
「必ずしも一つとはいえない」
 ということかも知れない。
 ただし、事実関係がすべて分かったうえで、そこから組み立てられる推理に間違いなければ、それが真実ということになるだろう。
 事件において、推理の許される中で、
「真実」
 といえるものとしては、
「動機」
 というものなのかも知れない。
「もちろん、動機なき殺人というのもあるだろう」
 というのは、
「事故に近い」
 というもので、
「殺意がない殺人」
 と呼ばれるものがそれかも知れない。
「ちょっとした言い争いで、もみ合いになったとして、運悪く、相手が倒れたところに、机の角のようなものがあり、そこに当たって、それが致命傷になった」
 ということもあるだろう。
「頭をぶつけたことでそれが死に至った」
 などというのは、よくあることだ。
 あるいは、
作品名:犯罪という生き物 作家名:森本晃次