小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

犯罪という生き物

INDEX|11ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

「ハッキリとした事実関係を確かめずに、被害者が、困っているから」
 ということで、
「禁止命令」
 というものが出せるわけではない。
 最初はあくまでも、
「警告」
 というものから入るだろう。
 相手の言い分も聞いたうえで、それでも、
「女性が危険だ」
 ということになれば、警察は相手の男に対して、
「彼女が困っているので、彼女が嫌がる行為をしないでください」
 という警告をするだろう。
 それでも、まだ続くようであれば、さらに、警告以前、警告以後の事実確認を行い、事情聴取を行い、それでも、悪質な行為が止まらないと、
「接近禁止命令」
 であったり、それだけでは済まなくなると、
「逮捕状を申請し、逮捕する」
 ということになるだろう。
 逮捕してしまうと、
「起訴するかどうか」
 ということになるわけで、起訴されると、
「裁判で争う」
 ということになるだろう。
 ただ、なかなかそこまで行くことはないかも知れない。
 この時のように、禁止命令が出た時点で、犯行に及ぶということも考えられるからだ。
 しかし、これはあくまでも、
「最悪の事態」
 ということで、当然、警察がその批判のやり玉に挙げられるというのは当たり前のことであろう。
 そもそも、
「ストーカー」
 というものは、そんなに昔から言われていたものではない。
 確かに、
「異常な形で、異性に付きまとう」
 ということはあっただろう。
 中には、
「気になる女性がいて、その人がどこに住んでいるのか知りたくて、尾行をする」
 というくらいであれば、昭和の頃も普通にあっただろう。
 しかし、そこで収まっているくらいであれば、問題はなかったかも知れない。
 今のように、
「個人情報」
 というものに厳しくなかったので。
「家を知られる」
 ということも、何かの被害に遭わないということであれば、問題はなかったのかも知れないからだ。
 だが、
「個人情報に、やたらうるさくなったのは、このストーカー問題というのが、大いに影響しているのかも知れない」
 ということになるのかも知れない。
 だが、
「ストーカー問題」
 というものが出てくると、そのエスカレートぶりは、ひどいものだった。
 それまでは、
「ストーカー行為というものをする人が少なかったから、問題にならなかったのであって、ちょっと問題となるようになると、急にそういう人が増えるというのは、どういうことなのだろう?」
 と思うようになるというものだ。
 特に、
「ストーカー犯罪」
 という言葉が出てくるようになると、その数が激増する、
「これって模倣犯」
 ということなのか、それとも、以前であれば、
「こんなことを考えるのって、俺くらいじゃないのか?」
 ということで、行動をためらっていた人間が、
「なんだ、他にもいっぱいいるんじゃないか?」
 ということで、
「ストーカー行為をしてもいい」
 ということにはならないはずなのに、
「集団意識」
 というものの表れか、逆にいえば、それまで、
「自分だけなんだ」
 という悶々とした気持ちでいたものが、一気に解放されるということの方が、その人にとって安心感を与えるということになれば、自分勝手に、
「エスカレートしてもいいんだ」
 という、歪んだ考えに至るのではないだろうか。
 だから、
「ストーカー」
 という名前の犯罪ができてくる。
 それによって、本来なら、社会問題として、
「それは悪いことなんだ」
 という思いになればいいのだろうが、
「今までは、悪いことだとは思っていたが、他に誰もそんなことをする人はいないという感覚で、自分が異常なんだ」
 という意識から、解放されたと思うと、悪いことだと思っていても、してしまうというのが、集団意識であり、その意識が、異常な気持ちに火をつけてしまい、
「さらに社会問題を煽る結果になる」
 ということになるのであろう。
 だから、今でも、定期的に、
「ストーカーによる犯罪」
 というのは起こっていることだろう。
 ストーカー犯罪ではないが、
「ニュースになるのは、氷山の一角」
 と言われることも多いことだろう。
 特に、
「飲酒運転」
 というものも、その一つではないかと思えた。
 数年前に、飲酒運転をすることで、家族がひき殺された」
 という事件から、端を発し、
「道路交通法も、刑法も、かなり厳しい罰則に変わった」
 ということであったり、
「その事故が起こった地域では定期的に大規模な取り締まりをしていたり」
 ということになっている。
 そもそも、
「全国の警察で同じようにしないといけない」
 ということなのだろうが、しょせん警察というのは、
「管轄」
 という、
「縄張り意識」
 というものが強いということで、横のつながりは、全然だということになっているのであった。
 だが、そんな事件があった管轄で、定期的に取り締まりを行っているのに、毎回のように、実名を明かして、容疑者が逮捕されたということを報道している。
 しかも、それが、
「警察や市の職員」
 という、公務員の職についている連中だ。
 それは、
「公務員だから、名前を明かされて、社会問題になる」
 ということで、しかも、それが、
「毎回だ」
 ということになると、それこそ、
「氷山の一角だ」
 といえるだろう。
 毎回、数人が検挙され、逮捕され、名前が公表されるということは、
「実際には、一般市民がもっとたくさんいるだろう」
 ということで、それこそ、
「氷山の一角」
 ということになる。
 ただ、市民はそのことよりも、
「警戒して、飲酒運転撲滅を訴えている警察官が、率先して飲酒運転をしているというのは、どういうことなんだ?」
 ということに目を向ける。
 一般市民からすれば、
「飲酒運転は許せないが、一般市民であれば、まだ許せなくもない」
 と思えるのだ。
 それは、中には、
「そいつらは、運悪く捕まっただけなんだ」
 と思っているかも知れないということだ。
 問題はそこではなく、
「警察の呼びかけが、まったく聞いていない」
 ということである。
 そして、市民の中には、いまだに、
「ちょっとくらいなら、大丈夫だ」
 と真剣に思っている人が多いのではないかということだ。
 何といっても、
「公務員しか逮捕の報道がされるわけではなく、せっかく警戒態勢を引いているのであれば、その日に、どれだけの人数に職質や検査を仕掛け、そのうちのどれだけが検挙対象になったのか?」
 ということを公表すれば、それが、
「飲酒運転の抑止になる」
 ということではないだろうか。
 それを公表できないということは、
「取り締まりというのは名ばかりで、適当にやっている中で、それでも数件見つかる」
 ということになるのか、それとも、
「警戒はしっかりしていて、そのせいで、実際に取り締まりを受けた人数が、あまりにも多すぎる」
 ということで、警察としてのメンツが保てないということで、結局、
「公表ができない」
 ということではないかという邪推もできるということだ。
 どちらにしても、
「警察の権威というものが、地に落ちる」
 という結果にしかつながらず、
作品名:犯罪という生き物 作家名:森本晃次