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三つのわだかまり

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「犯罪が露呈しない」
 ということが一番なのだろうが、しかし、犯罪が行われた以上、どんな形で明るみに出るか分からない。
 それを思えば、いつまで経っても、
「びくびくして生き続けなければならない」
 ということになるのであろう。
 それを思うと、
「逮捕され、起訴されてから、無罪を勝ち取る」
 という方が、警察は一度刑が確定すれば、何もできない。
 ということで、まるで、
「時効」
 と同じような効力を持つわけなので、その分、時効があった時期よりも、早く勝負がつくということである、
 しかし、これはあまりにも危険を伴うことだといってもいいだろう。
 相手が警察であるということで、
「警察に喧嘩を売っている」
 というようなものではないだろうか。
 それを考えると、
「黙って警察にバレないようにする方がいい」
 という考えにもなるのだろうが、その間、精神的に耐えられるかどうか?
 それが問題なのである。
 警察というものは、
「公務員」
 ということもあり、捜査上の困難などもあるのだろうが、実際に捜査に入れば、そんなに甘いものではない。
「日本の警察は優秀だ」
 と言われていただけに、最近は、刑罰もどんどん重くなり、さらに、時効の撤廃などと、
「犯人にとっては、犯罪を犯すだけのリスクが、どんどん高まっている」
 ということになるのだ。
 その犯罪というのも、いろいろ種類があり、その動機によって、その顔の種類がどんどん変わってくるというものだ。
「お金に困っている」
 という切羽詰まったものであれば、
「計画がずさん」
 ということであったり、
「一人でできないことが多い」
 ということで、複数犯によるものが大きく。共犯者が多くなるということである。
 犯罪でよく言われることは、
「共犯者が多ければ多いほど、発覚する可能性が高くなる」
 というものだ。
 なぜなら、主犯のように、何か切羽詰まった状態で、自分から犯罪計画を立てたのと違い、他の人たちは、そこまで切羽詰まっているわけではない。
「お金で雇われた」
 ということであれば、
「そのお金の分と、これから背負うリスクや、もし捕まった時に、自分がこうむる損害を天秤に架けると。割に合わないということになれば、人によっては、自首した方がいいに決まっている」
 と考える人もいるだろう。
 そうなると、
「仲間割れ」
 であった、
「内部分裂」
 ということになり。主犯とすれば、
「こんなはずではなかった」
 と考えるに違いない。
 それを思えば、
「共犯者は多くても一人」
 というのが望ましい。
 何といっても、人数が多ければ、そのうちに一人にその白羽の矢があたり、その人間の逮捕から、共犯者や主犯が芋ずる式に逮捕されるなどということは、日常茶飯事ということであろう。
 そんなことは、犯人にも分かっている。
 しかも、今のように、どこかかしこに防犯カメラがあったり、証拠も簡単に押さえることができる新兵器があったりすると、
「動かぬ証拠」
 ということになり、犯人側は、
「万事休す」
 ということになるであろう。
 それを考えると、
「なるべく、共犯には何も知らせない形」
 というのはいいに決まっている。
 しかし、共犯として犯罪に加担する方も、主犯が信じられないというのは当たり前のことであろう。
 そうなると、最初からすべてが秘密主義であれば、いくら金を積んだとしても、
「協力しよう」
 とは言わないだろう。
 ある程度犯罪計画に隙の無い状態だということを分かっていないと、危険すぎると思うことだろう。
「犯罪は人間がやるもので、機械がするものではない」
 ということだ。
 つまりは、
「人間の心理が働いて、ちょっとしたへまをしてしまうと、それが取り返しのつかないことであれば、本当であれば、そこで計画を中止するという判断も必要になる。その判断を主犯ができる人なのか?」
 ということも、犯人としての資質があるわけなので、それがないと判断する人間にかせいじゃできないということになる。
 かといって。
「もし、主犯がすべてを喋ると、今度は嫌がうえにも、犯罪に加担しなければいけなくなる」
 というわけだ。
 主犯としては、すべてを話したうえで、
「だったら、嫌だ」
 などというと、
「警察に駆け込まれてはすべてが水の泡」
 ということで、ゼロどころか、警察に追われるというマイナスになってしまうのだ。
 だから、相手も、
「絶対に共犯になってくれるだろう」
 という確信がなければ、絶対に犯行に加担するわけはないというものだ。
 それは、どちらにも分かっていることだ。
 主犯としても、共犯としても、そこが駆け引きというもので、
「主犯は、事件の全貌を話したくはない」
 ということであり、
「共犯としても、知ってしまうと、自分が危なくなる」
 ということになるのである。
 それを考えると、
「共犯になってもらう」
 あるいは、
「仲間に引き入れる」
 というだけでも大変なのに、もし事件を起こし、計画通りにすべてが終わったとしても、また主犯としては、
「共犯の連中をどうするか?」
 ということになり、
「口封じ」
 ということを考えたとすれば、それは本末転倒であろう。
「犯罪を何とかうまく運ぶために共犯を作ったわけで、その共犯殺しで、さらに罪を深めるというのは、それこそ、
「堂々巡りの計画だ」
 ということになってしまうだろう。
 それを思えば。
「警察というものを、どのように考えるか?」
 ということの前に、そもそもの自分たち内部の計画の時点で、頓挫してしまうということだって十分にあり得ることなのだ。
「こんな段階で、完全犯罪などありえない」
 ということになる。
 もしできたとしても、時効までの間、捕まることは許されないということになる。
 それこそ、無罪に持ち込むということを最初から考えていての逮捕であり、裏でその計画が着々と進んでいるのであれば、それはそれでいいということなのだが、実際には、そうはうまくいかないということになるのだ。
 そういう完全犯罪であったり、共犯が必要な事件は、それこそ、双璧というくらいに難しいものであろう。
 これが、復讐ということになればどうだろう?
「自分の大切な人が最後には死を迎えた」
 ということであれば、
「死に至らしめた人」
 というのを恨んでむ恨み切れないということで、
「復讐が動機の殺人事件」
 として、動機としては十分であろう。
「だから、復讐というものは、焦ってするものではない。なるべく綿密な計画を立てて、決して無理をしない」
 ということが大切だからである。
 復讐の目的は、
「相手に自分と同じ思いを味遭わせてやりたい」
 ということが、大きな目的であり、
「残された家族がどんな思いをするか?」
 ということで、
「じわじわ苦しめて、精神的に追い詰め、さらに、苦しみながら死んでいく」
 というそんな姿を見るのが、本当の復讐というものである。
 だから、復讐の場合は、完全犯罪の中でも、
「犯罪が行われたということを分からないようにする」
 という完全犯罪は成立しない。
 世間が、
「こいつらが人を殺した」
作品名:三つのわだかまり 作家名:森本晃次