三つのわだかまり
「全体が一つのホームになっているので、つながるというのが、難しいということで、そこで考えられたのが、フォローという考え方だ」
というものである。
他のSNSでは、
「チャンネル登録」
などが同じ意味なのだろうが、
交流のある相手とのつながりということで、
「フォローという機能」
があるのだった。
今までのホームページのトップと、ブログを合わせたようなページをホームとし、そのホームで投稿された記事が、フォローしている人を中心に流れてくるという、ページが存在する。
そのページを見て、反応するのは、いちいち、フォローしている人のホームにいかないでも見ることができるというのは利点ではある。
しかし、フォローというのは、結構頻繁に起こっていることなので、肝心の自分が見たいページが、フォローが増えれば増えるほど、見えなくなるということになるのだ。
それを考えれば、
「SNSというのは、昔の人間から見れば、理解できないと思えるものになるのではないだろうか?」
ただそれは、
「パソコンを知らない世代の人で、昔のマウスのないコンピュータを知っている人」
というのは、マウスができた時、
「なんて不便なんだ?」
ということであったが、それ以上に、
「なんだ、これは?」
と考えた人がほとんどだったはずだ。
そして次に、
「面倒くさい」
ということで、高齢になればなるほど、
「パソコンアレルギー」
というものが強くなってくる。
しかし、時代はそのうちに、
「パソコンを知らない」
ということでは、会社で仕事ができないということになり、
「仕方なく覚える」
という人が増えてきたので、
「パソコン教室」
なるものが増えてきて、通う人も、うなぎ上りだったという時代だったのだ。
今では、ほとんどパソコン教室など見かけない。
英会話教室よりも多かった時代があったのに、今では、ほとんど英会話教室だ。
つまりは、
「昔に戻った」
ということになるのだろう。
それを思えば、
「時代が繰り返す」
といってもいいのではないだろうか?
それが、時代の流れを早くしている証拠でもあるのだろう。
完全犯罪考
今の時代は、
「どんどん完全犯罪というのもなくなってきている」
と言われる。
完全犯罪というと、小説やドラマにおいて、
「犯罪が起こり、その際、警察が捜査に乗り出し、そこで犯人を逮捕できなかったり、昔でいえば、時効が成立してしまったり」
などというものをいうであろう。
中には、
「状況証拠は完璧に揃っているのに、
「アリバイがある」
などということで、事件が解決できないなどと言った時に、
「完全犯罪だ」
などということになるのであった。
もっとも、それが今の時代では、ある意味。2つの要素から、
「完全犯罪というものはなくなってきた」
といえるのだ。
一つとしては、
「科学の発展」
ということである。
これは、
「科学捜査が行き届いてきた」
ということもあれば、
「世の中どこにいっても、犯罪を起こすには、かなりのリスクが存在する」
ということである。
科学捜査というと、探偵小説黎明期と呼ばれた時期の小説の中で、
「トリックの分類」
なるものを書いた作家がいたが、それと同じ発想で、それぞれに、トリックを使うという理由があったのだが、その個々に、不可能ならしめる理由も出てきたというわけだ。
例えば、
「顔のない死体のトリック」
といわれる、
「死体損壊トリック」
というのは、
「顔や手首などの身元が分かる部分を切りつけたり、切断したりして、身元を分からなくする」
ということであるが、今では、
「DNA鑑定」
というものもあり、
「顔のない死体のトリック」
と言われる。
「加害者と被害者が入れ替わるという公式」
というものが、役に立たなくなるということである。
また、
「アリバイトリック」
などというものも、至るところに、防犯カメラであったり、ドライブレコーダ、あるいは、WEBカメラなどが、
「プライバシー保護」
というものに抵触しない程度に張り巡らされているので、アリバイトリックというのも、使えなくなったといってもいいだろう。
そういう意味で、
「科学が発達したことでの、カメラの小型化などというのも、その一つであろう」
といえるのだ。
犯罪を犯しにくくなったというのは、
「法律の改正というのが大きいかも知れない」
というのは、特に、一番顕著なのは、
「凶悪事件においての時効の撤廃」
というものであろう。
一見、
「時効をなくして、それにより、殺人事件の抑止になる」
と言えば聞こえはいいが、何か他に、理由があるのではないか?
と考えるが、どうであろう?
考えてみれば、
「時効がなくなって、警察に何もメリットはないような気がする」
というのだ。
いつまでも、未解決のままになり、未可決事件というものがどんどん増えるだけで、警察としても、
「いつまで経っても終わらない」
ということで、経費は掛からないかも知れないが、検挙率の分母になってしまうと、率がどんどん高くなっていくということになる。
そもそも、時効がないのだから、未解決はすべて、検挙率の分母になるのではないだろうか?
詳しいことは分からないが、もしそうであれば、警察には確かにメリットと呼べるものは何もないだろう。
それを考えると、
「やはり警察は、世間の声に押されて、時効というものを撤廃したということになるのかしら?」
という発想になるだろう。
詳しい事情や裏話は分からないが、
「確かに時効の撤廃で、犯罪の抑止力に繋がる」
ということになるのが、一番であろう。
ただ、完全犯罪というものを、
「犯罪者側」
から見るとすれば、
「完全犯罪というものは、警察がとの闘いではない」
といえるのかも知れない。
要するに、本当の完全犯罪というのは、
「犯人にとって、警察と対峙してしまった時点で本当の完全犯罪ではない」
という考え方であった。
つまりは、
「完全犯罪というものは、犯罪を犯したとしても、その犯罪が、警察に知られず、最後まで、警察が動かなかった時点で完了する」
ということになる。
ただ、もう一つの考え方であるが、ただ、これを完全犯罪といっていいのかどうか分からないし、
「これ以上困難なことはない」
ともいえることであるので、そういう意味では、
「それこそ完全犯罪だ」
ということになるかも知れない。
というのも、
「警察が動き出して、警察が捜査をし、犯人を探し当て、逮捕する」
ということから始まり、警察は自白をさせたり、いろいろな方法で物証を掴んできたりするだろうが、そこに何らかの細工を加えたりして、実際に、起訴され、裁判になったところで、何等かの方法を使って、裁判を
「無罪」
という風に持ち込んで、無罪が確定してしまうと、
「もうその件について再度審議されることはない」
つかり、これが、
「一事不再理の原則」
というものだ。
これこそが、完全犯罪というものではないだろうか?
確かに、