三つのわだかまり
スーパーで買い物をしていると、そこに、西島に声を掛けてくるやつがいた、それは、中学時代の友達で、高校を卒業するくらいまで、交流があったが、大学に入ってからは、交流がなくなったのだ。
その理由は、
「俺は大学に現役で入学できたが、やつは、落ちてしまい、浪人してしまっや」
ということからであった。
さすがに、
「大学生と浪人生」
とでは、お互いに、気を遣ってしまい、今まで通りの付き合いというわけにはいかないだろう。
そんなことは、どちらも分かっていることであり、そういう気の遣い方が一番嫌だったのだ。
だから、お互いに避けるようになり、西島は大学の友達と一緒にいる時間が増えたことから、お互いに連絡をすることもなくなったのだ。
「西島じゃないか?」
といって気さくに声を掛けてくる。
あの時のお互いの気まずさというのは、すでになくなっているようで、お互いに、気を遣うこともないようだった。
というのも、西島にとって、その友達とは、
「まるで昨日も会っていたかのように思える」
と感じたからであった。
大学時代に、どれだけたくさん友達がいたとしても、比較できないほどの、なつかしさが、西島の中にあったのだった。
「久しぶりだから、話をしたいな」
と友達がいうので、近くのカフェによることにした。
普段であれば、
「こんな時間にカフェなんて、人が多いだけだ」
ということで避けていた。
「そもそも、一人で孤独に、コーヒーというのは飲むものだ」
と思っていた。
ここで敢えて、
「孤独という言葉」
を使ったが、今の西島にとって、
「孤独」
という言葉は嫌なものではなかった。
どちらかというと、
「一人でのんびり過ごせる優雅な時間」
ということで、暗いというイメージも、寂しいという気持ちも、そのどちらもないという気持ちが大きかったのだ。
そんな感覚になったのは、就職活動をしている時であろうか。
就活ともなると、友達もお互いに構っている暇はない。
情報交換などは行うが、それ以外は、会うという機会もめっきり減った。
そもそも、大学に行くということもほとんどなくなり、就活も佳境に入ると、
「一日に、数件の面接を受ける」
ということになるのだった。
同じ業種であれば、まだいいが、
「異業種の会社を一日に数件いく」
というのは、面接に対応するための準備が、それだけ大変だということだ。
当然。試験ということになれば、筆記もあるだろうが、面接が大切であり、
「何を聴かれるか分からない」
ということが恐怖だったりするのだ。
その会社の社長の名前まで、フルネームで覚える必要があったり、結構神経を遣うことであった。
そんな毎日を過ごしていて、最初の頃は。
「次第に慣れていく」
ということが当たり前のようになって、少しずつ気が楽にもなってきたが、何社を受けても、内定をもらえないということになると、次第に焦ってくる。
しかも、西島は、
「実家近くと、大学近くの都心部の両方をターゲットにしていただけに、それぞれでまったく違った社会に対応しなければいけないことで、さらに大変だった」
といってもいいだろう。
西島は、それでも、何とか都心部で一つ内定がもらえると、それまで数十件を受けてもすべてに不合格だったにも関わらず、そこから先は、次々と内定がもらえたのであった。
「これってただの偶然なのだろうか?」
とも思ったが、それとも、
「残り物には福がある」
ということだろうか?
とも考えたのだ。
実際には、本当の残り福だったのかも知れない。
ただ、就活をしてきて、
「就活に慣れてきた」
というのか、それとも、
「面接のコツをつかんだ」
というのか、そういう意味では、
「晩生なのかも知れないな」
と思った。
そういう意味で、自分は、急いで何かをしなければいけないという仕事よりも、
「コツコツこなす」
という方が性に合っていると自覚した。
そういう意味で、
「プログラマ」
という仕事はあっていると思ったのだ。
だから、入社した会社に、
「システム部」
というところへの配属を希望したのだった。
しかし、時期が悪かったのか、配属されたのが経理部。最初は、ショックで明らかな
「五月病」
に罹ってしまったが、次第にそれも落ち着いてきて、一年もすると、
「経理の仕事も悪くない」
と思った。
それが、就活の時に、行きついた心境としての、
「コツコツすることが自分に似合っている」
ということだったのだろう。
それを思うと、
「こんな人生も悪くないな」
と感じるようになった。
大学卒業の頃は、まだ未知の世界である社会が怖くて仕方がなかったが、二年目になって、
「慣れてきた」
と感じるようになると
「これが、社会人になっての最初の節目なんだな」
と感じたのだった。
だから、
「何を食べてもおいしくない」
という時期であったが、別に嫌な気もしなかった。
それよりも、仕事に慣れてきたという、
「最初の節目」
というものが、自分の中で、
「結構いい人生なのかも知れない」
と感じさせたことで、安心感と、毎日が、充実感に溢れているのを分かるようになると、
「楽しいものだな」
と思えてきた。
そんな時に出会った中学時代の友達があまり変わっていなかったのは、うれしいと思えることだったのだ。
その友達の名前は、
「清川」
という男だった。
清川と一緒に入ったカフェでは、彼が、
「なんでもいいから好きなものを頼みな、俺がおごってやるよ」
という。
それまでは、どちらかというと、ケチなところがあり、それが高校を卒業するころになると、完全に、
「ドケチ」
といってもいいくらいになっていたのだ。
それが何も風の吹き回しといっていいのか、こんなに大盤振る舞いになっているのだ。
「時は人間を変えるのか?」
と思ったが、何といっても、そのいでたちは明らかに派手で、服装にも金を使っているということが分かるというものだ。
だといっても、そんなにおかしなものではなかった。
ただ、
「明らかに、金回りがいい」
ということだけは分かった気がした。
「金回りがいいと、こんな性格になるのか?」
と思えるほど、彼は豹変していた。
といっても、別に悪いことではない。
変な気分になって、これまでの思い出話に花を咲かせていると、
「俺は大学に入ってから、いろいろな経営学を学んだんだ。その中で、金儲けというものに憑りつかれたかのようになってさ。嵌ってみると、これが、面白いように儲かるんだよ。お前にもそれを教えてやりたいと思ってな」
というではないか。
嫌な予感がして、
「いやいや、俺は地道にいくよ」
といって、その申し出を一蹴した。
今までの彼であれば、
「そうか、せっかくなんだけどな」
と残念がるくらいで終わりかと思ったが、話をしている態度が明らかに変わってきたのだった。
というのも、
「俺はいいんだけどな。せっかくお前にいい儲け話を持ってきてやったのに」
ということで、どんどん、イライラしてくるのを感じた。
「参ったな」
と思っていたが、