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三つのわだかまり

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「ある程度までは、時間が過ぎても、値段は変わらず、一定の横に平行になっているグラフであるが、ある一点までくると、今度は縦方向に一気に伸びるのだ。そしてそこから、また横に平行して伸びる」
 という形である。
 タクシーメーターも、
「初乗りから、最初の1キロくらいは同じ値段で、そこから、数百メートルごとに、いくら上がる」
 という形になっているという。
 正比例のグラフとの一番の違いは、階段グラフでは、
「ところどころに段階があり、そこまでは、ずっと同じなのだが、そこから急にワンランクアップすうrということで、ハッキリと節目が存在している」
 ということである。
 だが、正比例のグラフは、一直線に右肩上がりになっていて、絶えず、時間とともに、成果も同じように上がっているので、そこに段階も節目のないということになる。
 ある意味、
「正比例は、面白くない」
 といってもいいだろう。
 ただ、階段グラフも、その段階が来るまでは、まったく変化のないもので、しかし、想像することは自由であり、ただなのだから、ある意味、
「学生時代や成長期というのは、階段グラフの存在意義もあるというものではないか?」
 と思うのだ。
 しかし、まわりは、階段グラフではなく、正比例のグラフを望んでくるのではないだろうか?
 なぜなら、
「成長期であり思春期は、日々成長してこそのものだ」
 という一般的な考えがあるからであろう。
 そういう意味で、思春期や成長期は、
「精神的に不安定だ」
 と言われるが、それは、
「階段グラフでいいものを、無理に正比例ではなければいけない」
 という風に自分で思い込んでしまうからではないだろうか?
 それを思えば、正比例のグラフであってほしいというのは確かにまわりの勝手な思いではあるが、決して無理強いはしていないだろう。
 しかし、
「本人が、正比例でないといけない」
 と感じるようになり、自分がそうではないと気づくと、とたんに不安になることで、
「精神的に不安定」
 ということになるのだ。
 それでも、高校入学、大学入学というそれぞれの節目にて、
「自分が、一皮むけた」
 と感じるのだ。
 肉体的にも精神的にも成長する。それがまるで、脱皮をしているかのように思うと、その節目で、それまでにまったく変わりなかった生活が、遠い過去に思えてきて、
「過去というのは、思い出としか感じることができない」
 ということで、いわゆる、
「記憶」
 というものを、一線を画しているものではないかと感じるようになるのであった。
 それを思うと、
「節目の春というのは、一気に暖かくなり、桜が咲く季節ということで、新しいものが始まる」
 と感じさせる。
 しかし、
「桜の命は短い」
 ということも感じさせられる。
 実際に、テレビでも、
「桜の見ごろは、四月中旬ですが、週末には雨が降り、そのほとんどは散ってしまうでしょう」
 ということで、誰もが我先にということで、花見に出かけるということになる。
 だから、
「新入社員の初仕事」
 ということで、昔などは、
「花見の場所取り」
 ということだったのだ。
 それが、会社によっては、
「公式な仕事」
 といってもいいくらいのものだった。
 それが、
「新人歓迎会」
 という一つの余興だったということだ。
 ただ、そんな時代から久しくなったことだろう。
 もちろん、企業によっては、そんなことをしているところもあるだろうが、実際には、今そんなことをすれば、
「パワハラ」
 と言われ、
「コンプライアンス違反」
 と言われるだろう。
「上司の強要」
 ということで、忘年会などを強制出席させるなどというのは、それこそ今の時代に合わないと言ってもいい。
 そういう意味だけではないだろうが、
「社内旅行」
 というのをしない会社がどんどん増えてきて、今では、
「社員旅行も、忘年会もやらない会社が当たり前になってきた」
 といってもいいだろう。
 もちろん、社員旅行など、昭和の時代のもので、一番の理由は。
「社員同士の親睦」
 ということであったが、バブル崩壊からこっち、
「無駄なことはしない」
 ということで、最大の理由として、
「経費節減」
 ということになるのだ。
 普通社員旅行というと、社員が給与天引きで、社員旅行の費用を積み立てるというものだったので、当然、
「社員旅行の天引き分の給料を払わなければいけない」
 ということになる。
 経費節減で一番大きいのは、
「人件費の節減」
 である。
 こんな無駄な金を出しているために、他の社員をリストラしないといけないというのであれば、これほど、本末転倒なことはないといってもいいだろう。
 そう考えると、
「福利厚生」
 というのは無駄なことで、個人個人が給料の中から自分で探してする方がいい。
 ということになる、
 だから、バブル崩壊後は、
「サブカルチャー」
 と呼ばれるような、
「英会話教室」
 だったり、
「パソコン教室」
 などの、実践的あ教室が流行ったりしたのである。
 駅前などや、大型商業施設などに結構あったのを覚えている人も多いだろう。それこそ、
「時代だった」
 といってもいいかも知れない。
 そんな、
「階段グラフ」
 のような学生時代だったことを思えば、平行線を描いていた中学時代、高校時代は、確かに暗い時代であり、
「時間の経過」
 というものを、さほど意識することはなかった。
 しかし、
「想像することは自由だ」
 ということもあり、学生時代において、何も考えていない時代だったが、頭を使っていなかったというわけではない。
「未来に対しての希望」
 というものがなかったわけではなく、逆にそれを、まるで妄想しているかのように感じてしまうことで、
「想像してはいけないのではないか?」
 と考えるようになり、結局、
「時間を無駄に過ごしているのではないか?」
 と思うようになっていたのだ。
 だが、この時代には、脈々と裏で育っている感覚があったことに気づいていない。しかも、それを無意識に過ごせるということは、何か精神的に微妙な影響を与えることがあっても、それをストレスとして感じることがないことから、実際に、
「流される時間」
 というものが、実は心地よいもので、暗いという意識さえなければ、案外過ごしやすいものなのかも知れない。
 しかし、それを
「暗くて前が見えない」
 と感じてしまったことで、
「たった一度の過ち」
 ということで万引きをしてしまったのだ。
 本人には自覚はなく。店長から、いくら説教をされても、
「何言ってるんだ?」
 という感覚しかなく、相手には、イライラさせるという結果になったのだろう。
 相手の店長は、きっと、
「こいつはふざけてるんだ」
 としか思っていなかったはずだ。
 態度というものが、完全に舐めているようにしか見えず、そのために、
「どうしようもないやつだ」
 という意識しか相手に与えていないことだろう。
 それを思えば、西島少年が、
「万引きは後にも先にもこの時だけだ」
 という理由も分かってくるというもので、要するに、
「その時だけ、彼の精神状態が究極に不安定だった」
作品名:三つのわだかまり 作家名:森本晃次