三つのわだかまり
もし、そうであれば、彼はいおうとしないだろうと思ったからだ。それに、野球の時に、あれほど失念した顔をしたのだから、友達が絡んでいるとすれば、すぐに顔に出てしまうということは、容易に想像できることであろう。
そんなことを考えていると、
「彼の個人的な精神面によることではないだろうか?」
と考えた。
そこで、敢えて、彼の表情の信憑性を知りたくて、彼としては、
「尋問のようで嫌だ」
と感じるであろうことに触れたのだった。
「学校の成績は?」
と聞くと、
「そんなに悪いわけではないです。でも、決していいわけではないと思います」
という。
要するに、本人としては。
「可もなく不可もなく」
ということで、要するに、
「目立たない成績だ」
と言いたいのだろう。
他の子供であれば、敢えて謙虚に、普通の成績くらいなら、自分では、
「そんなによくはない」
というに違いない。
そぅではないということは、彼が、
「正直な性格」
ということなのだろうか?
それとも、本当は成績がいい方なのではないか?
と感じるのだろうが、声に正直覇気がないことから、
「本当に正直なんだろうな」
と思った。
もし、これで正直でなければ、
「まわりから嫌われるはずで、正直者だったら、友達はいる」
とは言わないだろう。
「正直者だからこそ、つけるウソ」
というのがあるようで、それは、彼の性格が十分に影響しているということになるのであろう。
それを考えると、
「この少年は、私と似たところがある」
と感じたのだ。
というのは、
「これだけ目立たないように、そして、無表情で話をしているのに、言いたいことが手に取るように分かる」
ということは、
「本当は知ってほしいのに、不器用だから、そんなに話ができているわけではない」
ということであり、
「だから、実際の気持ちとは裏腹に、本来なら知ってほしいのに、知られると困る」
というような感情が渦巻いているということは、自分というものをどこか、ごまかそうとするができないという、ジレンマのようなものがあるからなのかも知れないのである。
話を聞いていくと、
「この少年は、本当は喜怒哀楽がしっかりしているのかも知れない」
と感じたのだ。
ということは、
「この無表情に見える雰囲気は作っているのかも知れない。そして、それが、知らない人が見れば、本当のことのように思えることから、これが、最初から意識して作ろうとしているからではないか」
と、佐久間巡査部長は感じたのだ。
しかし、
「普通であれば、わざとやっていることであれば、余計にまわりに分かるのではないか?」
と考えるのであるが、佐久間巡査部長の考え方は違うのだった。
というのは、
「これが他の表情であれば、別に気にすることはないのだが、これが、無表情だ」「「
ということだから、余計にそう感じるのであった。
ということであった。
つまり、佐久間巡査部長は、結構勉強熱心で、特に、
「心理学」
であったり、
「相手の心理を読めるようになりたい」
ということから、人の表情から性格を読み取るというような本であったり、近くの大学の先生で、心理学を専攻している人がいて、一度、大学で盗難事件があったことで、事情聴取にいった時、偶然知り合った教授から、いろいろな話を聞かせてもらったりしたということから、心理学や、
「相手の心を読む」
ということを研究したいと思うようになった。
それは、別に。
「警官という仕事に生かしたい」
ということよりも、ただ、誰であっても、話をしている人の身になって聴いてあげられるようになりたいという気持ちからであった。
もちろん、
「警察官としての仕事に生かしたい」
という気持ちから、最初は勉強していた。
しかし、実際には、そんなに簡単に行くものでもないし、
「こんな中途半端な状態で、仕事に使ったとすれば、それこそ、勝手な思い込みから、余計なことを想像してしまったり、せっかく、今まで、出しゃばったことをしてこなかったのに。この力を得たということによって、おごった気持ちが出たりすると、これまで築き上げてきた、市民に対しての信頼が、一気に壊れてしまう」
と考えたからだ。
だから、この能力がついたとしても、相手が、
「何かを望んでいる」
という時、口にできないような気持ちになった時、こっちから話しかけてあげられるくらいになれば、それが一番いいことなんだろう。
実際に、警察でそんな力がいるとすれば、刑事のような、
「捜査のプロ」
の人くらいであろう。
もし事件が起こったとしても、制服警官であれば、捜査が始まれば、混乱がないように、野次馬整理をしたり、刑事が、現場検証の初動捜査をしている時、第一発見者の人に、軽く事情を聴くくらいのことしかないだろう。
つまりは、
「出しゃばったことはしてはいけない」
ということになるのだ。
何かのアドバイスをしてはいけないということでもないが、
「刑事というのは、プライドの塊のようなもので、警官から何かを言われるというだけで、プライドが許さない」
ということもあるだろう。
本庁の刑事ということになれば、ただでさえ、プライドの塊であり、
「同じ刑事でも、所轄の連中に対して、まるで同じ刑事だと思われては心外だ」
というほどに、差別的な考えを持っているのかも知れない。
そして、今度は所轄の刑事は所轄の刑事で、
「本庁の刑事にあしらわれた思いを、今度は、警官にぶつける」
という人もいるだろう。
そういう刑事が誰なのか、警官としては知っておかないと、
「ただ怒鳴られるだけ」
ということになりかねない。
警官としてもストレスがたまるし、ここで逆らってみても、
「誰も味方をしてくれる人はいない」
ということで。あとで、
「何を刑事を怒らせているんだ」
ということで、他の警官連中から、
「余計なことしやがって」
と思われるのがオチである。
だから、
「警官というのは、事件が起これば、刑事の指揮下に入るということで、決して目立ってはいけない」
ということになるだろう。
それだけ、
「警官と刑事の間には狭間がある」
ということになる。
しかし、警官には分からないが、
「本部と支店とで、ここまでの差が本当にあるのだろうか?」
と、本庁の刑事のあの態度には、さすがに閉口してしまうということになるのであろう。
「刑事というのが、どれほどえらいのか?」
と、最初の頃は感じさせられたが、
「いやいや、本部はもっとひどいではないか?」
ということで、逆に、所轄の刑事がかわいそうになり、結局、
「我々が支えてあげなければ」
という気分に、佐久間巡査部長は感じたのであった。
他の巡査がどう思っているか分からない。若い刑事などは、
「きっと、恨みに思っていることだろうな」
と感じた。
それは、佐久間巡査部長も同じことで、警察に入ってすぐの若かりし頃は、相当恨んだもので、それは、
「今の若い連中に匹敵するどころか、もっとひどかったかも知れないな」
と感じるのであった。