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洗脳の果てに

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 という事実は、まわりが見るよりも、よほど奥さんが身をもって体験していることで、それを誰も何も言えない状況になったことで、まわりは、暖かい目で見ているようだった。
 今の時代は、
「ご近所づきあい」
 などというのは皆無である。
 家族のことであっても、少しでも離れてしまうと、
「お構いなし」
 ということになる。
「自分のことだけでも大変なのに、家族でもないのに」
 ということで、
「親せきであっても、家族ではない」
 という考えに至るのだ。
 そもそも、以前の映画でもよくあったではないか、
「親が事故か何かで死んでしまって、家族のなくなった子供をどうするか?」
 ということで、もめるということが。
 しかも、それを、親の葬儀の場でやったりしているのだから、そんな光景は、
「人間なんて、自分のことしか考えていない。血も涙もない」
 ということになるのである。
 それは当たり前のことであり、確かに、今の時代は、
「バブルの崩壊」
 から続く、数々の、
「神話の崩壊」
 であったり、さらには、
「家族制度の崩壊」
 を招いていた。
 それまでは、
「家族の長が働きに出て、年功序列、終身雇用という当時とすれば当たり前だったことが、すべて崩壊し、奥さんも共稼ぎをしないとやっていけない」
 という時代になったのだ。
 そうなると、昼間は、専業主婦として奥さんが家を守っていたのに、昼間は、皆どこかに出かけていて、家に誰もいないということになる。
 そうなると、
「家に誰もいないということで、それまで家庭にセールスに行っていたところが、ある意味、商売あがったり」
 ということになるだろう。
 家庭の訪問という営業は次第に減って行き、
「ポスティング」
 というものも増えてくる。
 さらに、それまでは、
「コンビニだけが、深夜まで開いている」
 という時代だったが、次第に、スーパーやドラッグストアも、深夜近くまで営業をするようになり、最後には、
「ファストフード」
 であったり、
「スーパー」
 などが、24時間営業というものを打ち出してくる。
 それが、今の時代となったのだ。
 ただ、その営業も、数年前に発生した、
「世界的なパンデミック」
 によって、


休業要請」
 や、
「時短営業」
 というものを余儀なくされたことで、そのパンデミックが、曲がりなりにも収まってくると、それまでであれば、元に戻っていたものが、戻らないという状況になってきたのである。
 それが、
「人手不足の深刻化」
 というものであった。
 なぜ、ここまで人手不足と言われるようになったのかというのは、諸説あるだろうが、一つ大きなこととしては。
「今の時代、物資が足りてきて、物資のない時代、つまり、インフレというものを知らないことから、楽をして稼ぐというバブル時代の意識だけが引きずられているのではないだろうか?」
 ということである。
 もちろん、それだけではない。経済というのは、そんな単純なものではないのだろうが、歴史を考えれば、そう思わずにいられない。
「何年、あるいは、何十年という周期で、歴史は繰り返してきた」
 ということで、歴史から学ぶこととというのは、かなりあるはずだといっても過言ではないだろう。
 今の時代は、
「失われた30年」
 ということで、
「いろいろな時代の集大成」
 といってもいいかも知れない。
 ただし、これは、時代を繰り返しているということで、まるで、
「循環する尺取虫」
 とでもいえばいいのか、
「過去数年の集大成が今なのだ」
 ということを、いつの時代でも言っているような気がする。
「しかし、その時代のうねりは、どこかで繰り返すことになる。ある意味、成長を遂げて、ある程度の結界にまで到達すれば、一瞬にして、しかも、誰も気づかない状態で、過去のどこかの時点に戻っている」
 といってもいいのではないだろうか。
 そのうねりというのは、繰り返された歴史が、まるで、
「モグラが掘った穴」
 のようではないか。
 つまり、
「前を掘り進んでいけば、後ろに掘った穴の土が残っていく」
 あるいは、
「トンネルなどを掘ると、そこから出た土を、埋め立てなどに使って。再利用する」
 ということで、一石二鳥を狙うのだが、果たしてそううまくいくのだろうか?
「結局、廃棄物は廃棄しかないのだ」
 ということを、今の人類も分かってきている。
 その証拠に、昔は、病院などで使った注射器というのは、
「煮沸することで、再利用する」
 というのが当たり前のことであった。
「確かに、煮沸さえすれば、十分だった」
 という時代があった。
 しかし、1980年代において、
「HIV」
 いわゆる
「エイズウイルス」
 などが、
「体液感染する」
 ということで、
「注射針が誤って刺さってしまったことで、伝染してしまった」
 という例が散見した。
 それはあくまでも、
「一つの例」
 ということであったが、当時は、致死率が群を抜いて高かったことで、
「注射器は、一度使用すれば廃棄」
 ということで、昔のような大きくて丈夫な注射器ではなく、プラスチックの軽くて、使い捨て用のものに変わっていったということである。
 伝染病への恐ろしさは、今の時代でも、
「世界的なパンデミック」
 によって身に染みている。
 というのも、パンデミックというものが、
「最初、どのようなものなのか?」
 ということが正直分からないということがあった。
 だからこそ、世の中の人間は、
「マスク着用」
 と徹底したのだ。
 しかし、その時、
「転売屋」
 と言われる連中が、暗躍し。
「人の命が掛かっている」
 というのに、買い占めに走り、
「マスクが世界的に不足する」
 という非常事態になった。
 要するに、
「これほど、人間というものの汚い部分はない」
 というもので、アニメなどで問題になるという状況から考えると、
「アニメなどで描かれる。非人道的な組織というのは、実在するんだ」
 ということになり、
「アニメに出てくる、正義のヒーローのようなものが待ち望まれているのではないか?」
 と考える人も出てくるかも知れない。
 時代はそういう意味で、どんどん変わってきた。
 しかし、結局、どこかでもとに戻ってくる。
「一周すると、元に戻ってくることはない」
 という伝説もあるが、だから、
「一直線につながっているように見えて、先が見えない」
 ということなのだろうが、実は、
「限りあるものとして、ずっと続いている」
 ということになるのだということなのだろう。
 そんな時代を超えてきた時に生まれた子供、その子供は今、二十歳になっていた。
 その子は、もちろん、知らないことであったが、母親も父親も、時代が進んでくることで、最近では思い出すことすらなくなってきた。
 というのは、
「その子が、まだ、幼児の頃に、誘拐された」
 という事実であった。
 その時は警察にも連絡し、
「誘拐事件」
 ということで、捜査が行われたのだが、実際には、身代金の要求もなく、少ししてから、子供は無事に戻ってきたのだった。
 一見、誘拐ではないかのように思われるが、手紙でたった一言、
作品名:洗脳の果てに 作家名:森本晃次