いたちごっこの堂々巡り
彼女は、そこにいるのが人間だったら、急いで通り過ぎていただろう。何しろ、彼女は、まだ20代と思しき乙女であり、男から性的な目で見られても不思議のない体系をしていて、服装も、下手をすれば、
「男の気を引いている」
とでも思わせるかも知れないと、自分でも感じるファッションをしていた。
とはいえ、
「同年代の女の子は、もっと奇抜で、きわどい服を着ている女の子は、たくさんいる」
と感じていた。
だから、
「私が狙われるのなら、もっと他の人を狙うでしょう」
と思っていたのだ。
日が暮れてからの、女性の一人歩きは、本当は気持ちの悪いもので、もっと明るいところを歩けばいいのだろうが、あいにくと、そういう通りはあまりなかった。
駅から歩いて、家まで20分、それが公園の遊歩道を通るから可能な時間だった。
他の道に入ると、
「5分はロスをする」
といってもいいだろう。
しかも、そっちは、住宅街を通るので、それこそ、人通りが少ない。公園を抜ける方が、まだ散歩やジョギングをする人、あるいは、
「帰宅を急ぐ、彼女のような人」
というのが結構いるので、却って安全だといってもいいだろう。
犬たちが何かをまさぐっていたのは分かっていたので、怖いのを承知でそこに覗き込もうとした。
すると、
「どうかしたんですか?」
ということで、後ろから、一人の男性が声を掛けてきた。
不意を突かれてびっくりした彼女が振り向くと、そこには一人の男性がキョトンとした表情で立っている。
その男性に見覚えがあった。
「いつも同じ電車に乗っている人だ」
と感じた。
電車というのは、ほとんどの人がくせになっているのか、それとも、便利のいいところというのを、意識的にか無意識にか、その場所を利用するものだ。
だから、同じ駅で降りるのであれば、
「一番改札口に近いところ」
ということで同じ車両に乗っているのが分かるというものだ。
しかし、彼女は女性で、そんなに歩くのが早いわけではないので、いつも、駅を降りると、その人は、自分に背中を見せて、足早に視界から消えていくのだった。
だから、駅からすぐに、どっちにいったのか分からなくなっていたので、そこまで気にする人ではなかった。
しかし、その日は、後ろからやってきたということは、
「次の電車で帰ってきた」
ということになるのだろう。
いつも彼女が帰ってくる電車は、普通列車であったが、その後ろの電車というと、ちょうど、彼女が降りた電車と、その駅で待ち合わせてやりすごすという急行電車があるので、それで帰ってきたということになるのだろう。
だとすれば、数分の違いしかないので、彼が今自分を見つけて声を掛けるというのも、別に不思議なことではなかった。
「ああ、ごめんなさい。何やら、そこで野良犬が二匹、何かをまさぐっているように見えたので、気になって少し覗いていたんです」
と彼女がいうと、
「ほう、野良犬が?」
といって、その男性は、若干興味を示したかのようだった。
「ちょっと覗いてみましょうかね?」
というので、彼女も、
「男性がいてくれるのであれば、安心だわ」
と思った。
他にも徒歩の人はいるが、こちらに人がいるのを分かっているのだろうが、ほとんどの人が無視していく。
それはそうだろう。
彼女としても、自分が他の人の立場なら、気にすることのない素振りで通り過ぎていくことだろう。
それを思うと、
「普段の私が、どれだけ人に関心がないか?」
ということが分かるというものであった。
そこには、男性も数人いた。
しかし、女性にこんなところで声を掛けるのは、よほどの勇気がいるだろう。もし相手に不審がられて、逃げられれば、下手をすれば警官を連れてきて、不審者呼ばわりされてしまう可能性があるからだ。
それにも関わらず、彼が声を掛けてきたというのは、やはり、彼女のことを彼も意識していて、彼女が自分を意識しているということが分かったからではないだろうか?
それとも、彼女の様子に、よほど不審なところがあり、気になって声を掛けたとも言えなくもない。
実際に、あとで警察の事情聴取では、
「そのどちらも」
ということだったのであった。
恐る恐る近づいている男性の背中に寄り添うように、
「これ以上近づいてはいけない」
という境界線というか、
「結界」
のようなものを感じながら、彼女も彼にしたがった。
男性は、腰よりも少し低い垣根のようなものをかき分けて中に入っていったが、
「なるほど、これくらい高い垣根だと、昼間であっても、中が見えることもなく、人の目があるので、森に侵入しようという気が起こらないようにしているのだ」
ということを、彼女はいまさらながらに感じたのであった。
「さぞかし、昼間だったらきれいなんだろうな」
と彼女は感じた。
ほとんど夜か、早朝の、
「通勤にしか使わない道なので、朝も、まわりをほとんど気にすることなく、駅に向かってまっしぐらなので、公園内を気にすることはなかった」
特に早朝というのは、
「これから仕事ということになるので、精神を集中させなければいけない」
という考えで、逆にいえば、
「行きたくない会社にいかなければいけないのだから、気持ちを集中させなければいけない」
ということになるのだった。
それを思えば、
「公園などに気を遣うことはしない」
といっても、無理もないことである。
森の中に入っていくと、垣根の向こうから、その大きな木までが、思ったよりも距離があることに気が付いた。
ということは、
「その木は、自分が感じていたよりも、もっと大きいということになるのではないか?」
ということを感じたのだ。
普段から、
「いつも何かを考えている」
と感じている彼女としては、それくらいの発想は、
「いつものことだ」
といえるのだろうが、その考えているということも、最近では、ほとんど無意識になってきたのであとになって、
「あの時、何かを考えていたな」
とは思うのだが、それが少しでも時間が経つと、時系列で意識することが苦手な彼女にとって、特に考えていたことというのは、まるで、シャボン玉のように、一度消えてしまうと、記憶からも消えるのだった。
いや、覚えているのかも知れないが、それが時系列に乗れないので、それがいつのことだったのかということが分からなくなり、
「分からないということは、思い出すことができないほど、昔のことだったんだ」
と感じたことで、却って分からなくなってしまうということになるのだろう。
それを考えると、
「時系列って大切なんだな」
と思うのだ。
しかし、最近の彼女は、
「記憶力というものに、時系列は関係ない」
と思うようになってきた。
それは、高校生の頃に感じたことの方が、大学時代に感じたことよりも、身近に、しかも、
「まるで昨日のこと」
のように思い出されるということもあるというものであった。
それを思うと、
「自分にとっての記憶というのは、実に曖昧なものだ」
というようなことを、知っている男性に声を掛けられてから、
「入ってみましょう」
作品名:いたちごっこの堂々巡り 作家名:森本晃次