いたちごっこの堂々巡り
「執行猶予がつかない実刑判決」
というだけではなく、その陰湿さから、刑が重くなり、下手をすれば、
「無期懲役」
それどころか、
「死刑案件」
ということもあるだろう。
動機に一切の、正当性はなく、それよりも、
「犯行に、同情の余地がない」
とみなされることだろう。
それは当たり前のことであり、
「人間は、おのれの欲のために同胞を殺す」
という唯一の動物である。
といわれているではないか。
しかも、そういう犯人に限って。
「自分は、この事件から無関係なんだ」
ということを演出するかのように、自ら、
「善意の第三者」
を装って、
「マスゴミの前に、平気で出てくる」
ということを行う人が多い。
普通であれば、
「人を殺したりすると、早くその場から立ち去りたい」
と思うのは当たり前のことで、もちろん、
「ぼやぼやしていると、警察に捕まる」
ということもあるだろうが、どこか、人を殺したといううしろめたさなのか、それとも、
「犯行を犯したことで、霊に憑りつかれる」
ということなのか、それを考えると、
「殺人などの凶悪犯を、普通の人間が普通の神経ではなかなかできない」
ということになるのだろう。
戦争においての、殺戮もそうであり、それだけ、精神に異常をきたすという人が多いというのもうなずける。
凶悪犯というのは、
「本当に相手を許せないだけの、復讐心に燃えている」
ということなのか、
「最初から、精神に異常をきたしている」
という人物が行うことなのか、どちらにしても、
「本人だけの力ではない何かが働いている」
といってもいいのかも知れない。
それを考えると、
「凶悪犯罪というものに、普通の精神で捜査をするというのは、難しいことではないか?」
と思うと、
「刑事などの警察官は、よく、事件捜査ができるというものだ」
と考えたりする。
「相手は、凶悪犯なのだ」
ということで、
「いつ自分も被害者と同じ目に遭うか?」
ということで、いくら警察としての捜査権であったり、
「場合によっての拳銃所持」
というものが認められているとはいえ、殉職というのは、結構あったりする。
さらに、
「油断していると、犯人に拳銃を奪われるということになり、その拳銃が犯罪に使われたりする」
ということになると、
「警察にいられなくなる」
ということであり、それどころか、
「その拳銃が使われて、人が死ねば、その責任は自分にある」
という思いを一生抱えて生きていく。
ということになり、
「もし、判決でやむを得ない」
ということになり、
「無罪」
ということになっても、果たして。
「精神的に耐えられるだろうか?」
ということになるのだ。
そうなってしまうと、
「警察官だけではなく、人間としても、立ち直れない」
ということになるかも知れない。
果たして、
「耐えられるか?」
ということであるが、正直難しいということになるだろう。
今の時代において、
「すぐに精神が病んでしまう」
ということから、叫ばれるようになった、
「コンプライアンス」
という問題。
つまりは、
「ハラスメント違反」
などということで、
「立場を利用して、相手に優位に立ち、相手を故意に追い詰める」
ということは、
「精神疾患を呼ぶ」
ということで、大きな問題になっている。
「パワハラ」
「セクハラ」
「モラハラ」
などといわれるものがそうであり、会社で、
「精神疾患の人が増えた」
という理由に、この、
「ハラスメント問題」
というのが、浮上してきたということになるのであろう。
実際に、精神異常として、昔からの、
「うつ病」
であったり、昔は躁鬱といわれていた、
「双極性障害」
などという患者が、その症状として、、
「パニック障害」
などというものを引き起こす関係で、
「人込みの中にはいけない」
ということになるのであった。
そんな精神状態は、あの戦時中でも、そこまではならなかった・
「ではなぜ、今の時代には、精神疾患が起こるというのだろうか?」
ということであるが、それは、ある意味、
「分かり切っている」
といってもいいだろう。
戦時中というと、前述のように、
「いつ死んでもおかしくない」
そして、死ぬときには、
「潔く死ぬ」
ということで、
「死ぬという時の死に方まで決められている」
といってもいい。
確かに、
「そういう教育を受けてきた」
といえばいいのだろうが、実際には、そんな簡単なものではない。
実際に、
「カミカゼ特攻隊」
などでは、
「国家や天皇陛下のために死ぬ」
ということが決められているので、
「特攻であっても、怖くはない」
と思っていても、実際に遺書を書いて、それも、潔い内容で、家族に送り、いよいよ出撃ともなると、
「心が寂しくなる」
というのが人間というものであろう。
しかも、その遺書でも、
「自由に書く」
ということは許されない。
戦争に反対であったり、家族が不安に思うようなことであれば、検閲に引っかかってしまい、その遺書ですら、下手をすれば、闇に葬られるというくらいだ。
何といっても、大敗した。
「ミッドウェイ海戦」
において、生き残った将兵は、いわゆる、
「生き証人」
ということになる。
「大本営発表」
において、
「日本は大勝した」
ということで、宣伝してしまったので、そんな生き証人が家に帰って、実際のことを話したりすれば、
「戦争継続が難しい」
ということになるかも知れない。
ということで、生き残りは、
「無人島で隔離」
ということになるか、あるいは、
「戦争の第一線に行かされ、そこで、最初に死ぬように仕向けられ、本当に戦死するまで、同じことを繰り返される」
という状態だったのだ。
これも、一種の、
「カミカゼ特攻隊」
というもので、もし、それでも生き残ってしまえば、最後には、
「毒殺されるかも知れない」
という恐怖が待っている。
そういう意味では人間というのは、実に残酷だといってもいいだろう。
たとえば、戦国時代などでもそうであるが、
「城を作る時の逸話」
に二つほど恐ろしい話がある。
一つは、
「人柱」
の伝説である。
築城に困難を極めたところなどは、人柱として、
「若い女性を生き埋めにして、いけにえを支える」
というものである。
「殺してから埋めるのであれば、まだマシだ」
といえるのかも知れない。
何といっても、
「苦しみなから、動くこともできず。苦しんで死んでいくのを待っているだけ」
という地獄である。
想像を絶するものがあるといえるだろう。
もう一つは、
「築城にかかわった人たち」
という工夫を、
「最後には、毒殺する」
という話である。
もちろん、全員ではないだろうか、特に、
「城の抜け穴であったり、隠れ場所などの工事や設計を請け負った人は、殺されてしまう」
ということである。
これも当然のことながら、
「生かしておけば、せっかく、細工を施しているのが、いつ敵に漏れないとも限らない」
ということで、それこそ、
作品名:いたちごっこの堂々巡り 作家名:森本晃次