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いたちごっこの堂々巡り

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 ということになるかも知れないが、それが言い訳になるというものであろうか。
 実際に国家としては、
「基準を設けていて、法律も作っている」
 ということなのだろうが、実際に悲惨な状態になったのだから、今度は復興には、
「さらに注意を払う」
 ということが当たり前なのに、その数年後に、小規模な地震でも、復興した部分が崩落し、
「さらに、基準に達していない」
 ということが判明した。
「実際に被害を見て、欠陥住宅がどのような問題を引き起こすか分かったはずなのに、たった数年で、まったく忘れてしまったかのような状況に、国民はどうすればいいというのだろうか?」
 それを考えると、
「国家も、企業も信用できない」
 ということになるだろう。
 その決定的になったのが、今から十数年前に発生した、
「東北の地震」
 である。
 この時は、確かに津波がひどかったが、あれだけ、
「絶対に安全だ」
 といって建設した原発が、人災によって、神話が崩れ去ったというのは、記憶に新しい。国はそれでも、原発を保持し、さらに、老朽化してもさらに使おうという暴挙に出ている。今は、賛成はと反対派で真っ二つに割れているが、
「果たして。それでいいのだろうか?」
 ということになる。
 それが日本という国家の政府だというのは、本当にそう言えるのだろうか?
 何といっても、政府として、被災地に出かけたソーリが、
「被災住民に喧嘩を売る」
 というような暴挙を起こしたことで、せっかく政権交代させたのに、
「たった数年で、また下野する」
 ということになったのであった。
 前述の、
「関西の大震災」
 という頃とほぼ、時を同じくして、かなり大きな事件が勃発した。
 こちらも前述のように、
「日本の大都市は、世界一治安が安定していて、安全なところだ」
 という神話が崩れた時でもあった。
 というのが、
「ある宗教団体による、組織的なテロ事件」
 というものがあったことだ。
 それは、毒ガスとしても、兵器としても、かなり危険な、
「サリンガス」
 というものを、
「自分たちの工場で生成し、それを散布する」
 というものであった。
 そのガスがばらまかれたのは、まずは、
「信州の松本」
 という街であり、どうやら、実験だったということと、何やら捜査のかく乱にあったということであったが、その時は、捜査がある程度、その団体に向けられるという時、今度は、それを、
「東京のメトロ」
 つまりは、地下鉄内で同時多発的に撒かれたということであった。
「日本の都市では起こりえない」
 というような事件に、世界は衝撃的となったことであろう。
「世界のどこにいっても、安全なところはない」
 とでもいうような感じで、その数か月前に起こった、
「関西の大震災」
 であっても、
「それは、あの宗教団体が引き起こしたことだ」
 といわんばかりだったのだ。
 何といっても、震災は、
「都市直下型だった」
 ということから、大正時代、つまり、
「今から100年前に発生した、関東大震災」
 に匹敵するくらいのものだということであった。
 関東大震災の時には、大きなデマが飛び交った。
「朝鮮人が地震を引き起こした」
 などというデマによって、横浜などで、虐殺事件が起こったというものだ。
 要するに、
「戦争であったり、自然災害のような有事になれば、デマというものは、いつ起こるか分からない」
 ということで、それこそ、
「戒厳令というものがなくて、本当にいいのか?」
 ということである。
 治安が最悪となり、誰にも抑えることができず、都市機能がマヒしてしまうと、それこそ、
「虐殺事件」
 であったり、
「強奪事件」
 などが蔓延ってしまうということになる。
 皆生きるために必死なのだから、それも当然のことであるが、被災民が被災民を襲撃するというものは、地獄絵図でしかなく、
「誰かが強力な力で抑えないと、収拾はいつまで経ってもつくことはない」
 ということになるであろう。
 それを思えば。
「あの宗教団体が出てきたから、天変地異が起こった」
 逆に。
「天変地異は、宗教団体の暴挙の前触れだった」
 ともいえるのではないだろうか?
 本当に、
「まったく関係ない」
 と言い切れるのだろうか?
 そんな大震災が起こってから、
「メンタル面」
 ということで、その凶悪犯罪の、
「低年齢化」
 というものがあった。
 これは、
「さかきばら云々」
 という名前を使った犯罪で、
「一人の子供が、首を斬られて、放置される」
 という事件が発生した。
 結局、犯人は、中学生で、その少年が、
「小説をテーマに事件を起こした」
 ということが評判になったりした。
 こういうのは、実は昭和の頃からあった。
 ある連続殺人で、犯人であった人物を家宅捜索すると、部屋の中から、
「幼児趣味」
 であったり、
「猟奇殺人を思わせるようなもの」
 が置いてあったりした。
 つまりは、
「何かの犯行に至るまでに、悪影響を与えるものが存在する」
 というのは、
「古今東西言われていることだ」
 ということで、今の時代は、確かに、
「表現の自由」
 というものが、保障されているので、簡単に規制はできないが、さすがに、
「凶悪犯に繋がる」
 というものは、
「そう簡単に出版できない」
 ということになるであろう。
 また逆に、
「事件が起こったことで、それまでは安全だと言われてきた神話が崩れたことで、事件を未然に防ぐ」
 ということで、いろいろな商品に細工が施されたりすることもあった。
 前述の。
「食品メーカーへの驚愕事件」
 ということで、
「青酸カリが食品に添付される」
 ということで、穴をあけたかどうかわかるように、
「箱に入っている商品などは、ラップをするようにしたりする」
 という細工が施されたり、
「サリン噴霧事件」
 においては、
「駅や公園、スーパーや百貨店などの公共施設などから、ごみ箱というものが撤去される」
 ということになった。
 これはあくまでも、
「テロ行為全般」
 ということで、
「サリン噴霧」
 だけでなく、
「爆弾を仕掛ける」
 などという場合に、備えるということから、ごみ箱が撤去されるということになったのだ。
 つまりは、
「事件が起こるごとに、世の中から便利さが少しずつ消えていく」
 ということになったのだ。
 これも、昭和から平成にかけてのことであるのだった。
 また、凶悪事件の中には、
「遺産目当てに、結婚し、保険を掛けておいて、少しずつヒ素などを服用させ、死に至らしめる」
 というような事件もあったりした。
 これも、一種の
「凶悪犯」
 といえるだろう。
 恨みや復讐であれば、
「殺し方がセンセーショナルなもの」
 ということで、
「耽美主義」
 というものだったりするという、
「猟奇殺人」
 というものもあるが、
 このように、陰湿で、さらに、目立たず静かに殺すというやり方は、動機に、
「わがままなところがある」
 ということで、ある意味、
「凶悪犯」
 といえるだろう。
 動機が自分本位であることから、裁判になっても、情状酌量というものは薄く、