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いたちごっこの堂々巡り

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 実際に満州国というのは、傀儡国家ではあったが、植民地ではない。もちろん、実効支配をしていたわけなので、植民地に近い状態であったかも知れないが、欧米の国が、植民地ということで、日本のように、
「自衛のため」
 という理由ではなく、
「領土的野心」
 という植民地に比べれば、
「日本のいっていることに、正当性は十分にある」
 ということではないだろうか?
「日本という国がどこまでの国だったのか?」
 それは、その時代に生きているわけでもないし、戦後、占領軍による民主化によって、まったく違う国に生まれ変わったことで、国民性もまったく違うものに変わってしまった。
 それを思うと、
「大日本帝国」
 という国が、本当にひどい国だったのだろうか?
 戦争の末期には、物資の不足は決定的になり、さらに、毎日のように、主要都市への大空襲が始まった。
 国民は、
「毎日空襲に怯え、いつ、家を焼かれるか、爆弾で死んでしまうか」
 という恐怖におびえることになる。
 それを思うと、戦争が終わってから、物資の不足と国家の混乱はあったが、空から爆弾が降ってくることはないだけましだったといえるのだろうか?
 とにかく、食料はない。住む家もなくなり、バラック暮らしは変わりがない。
 本当であれば、
「戦争に勝利し、勝利すれば、それまで耐えた物資不足が解消される」
 ということで、勝利を信じ、国民は耐え忍んだことだった。
 だから、国民にとって、
「国家の存亡というのは、実に大変なことだ」
 といってもいいだろう。
 占領軍による統治の時代というのがあり、民主化に成功し、経済もある程度持ち直したところで、日本は独立国家となった。
 そういう意味では、狭い国家を北と南で分断され、
「北部を社会主義」
「南部を民主主義」
 という国家ができたことで、
「国家統一を目指し、片方が攻め込んできた」
 という事態となり、戦争にまで発展した朝鮮半島に比べれば、まだよかったのかも知れない。
 そういう意味で、日本が、
「韓国併合」
 という形で、
「日本の生命線」
 というものを築いたのは、
「ロシア(ソ連)の脅威」
 という意味で、間違っていなかったということになるだろう。
 しかも、満州鉄道の権益も、日露戦争で、甚大な犠牲のもとに築かれたものである。
 それを考えると、
「日本が、大東亜戦争に突入した」
 というのも、無理のないことだったに違いない。
 とはいっても、日本という国は、昭和の時代には、
「実に平和な国」
 ということで、大都市の治安は、
「世界一いい」
 といわれていた時代があった。
 そもそも、絶えず戦争を引き起こし、軍を常備させている国が世界のほとんどだということで、日本は、
「憲法に守られた国」
 であり、世界でいかなる時代が起ころうとも、
「憲法を盾に、軍を派遣しない国」
 といわれてきた。
 そもそも、憲法で、
「軍を保持しない」
 ということであったが、災害救助などの意味で、自衛隊が組織された。
 そして、専守防衛ということで、対外的に、軍としての行動は行わないということだったのだが、途中から、
「自衛隊派遣」
 ということを、
「憲法の範囲内」
 という理由でできるようにしたのだが、それがいいことなのか悪いことなのか、実に問題だといってもいいだろう。
 もっと言えば、
「平和ボケの国」
 になってしまったということであった。
 今でも、
「憲法改正論議」
 というものがある。
 何が正しいのか、国民の意見は割れているといってもいいだろう。
 政府は、武器を買わされるということで、憲法改正を考えることだろう。
「時代が変わった」
 ということで、いいのだろうか?
 戦後から今までに、世間を震撼させた事件というのも結構あった。
「あさま山荘事件」
 などと立てこもり事件の時代があったり、昭和の末期にあった、
「老人を狙った詐欺事件」
「食品業界を震撼させた、誘拐から始まった複数食費業界への脅迫事件」
 などがそれである。
「老人を狙った詐欺事件」
 などでは、
「マスゴミの前で、渦中の社長が襲撃され、殺される」
 などという、
「放送事故」
 までできていた。
 食品メーカー相手の脅迫事件では、
「青酸カリを混入する」
 という脅迫から、実際に、青酸入りが見つかったということおあったのだった。
 そういえば、それ以前に、不特定多数を狙った大量殺戮でも狙ったのか、一時期、
「青酸入りコーラ事件」
 というのもあったりした。
 青酸カリがどれほどの威力かということは、今の時代でも、ドラマを見ていれば分かるというものである。
 そもそも、戦時中などで、
「生きて虜囚の辱めを受けず」
 という
「戦陣訓」
 というものから、
「捕虜になるくらいなら、潔く死を選ぶ」
 ということを国が推奨したということで、
「国民に、いざという時のために、青酸カリが配られた」
 ということであった。
 つまり、
「致死に値する」
 というものが、青酸カリであり、それをばらまいたということは、
「無差別の大量殺戮が目的だ」
 といわれても、無理のないことである。
 それを考えると、
「昭和にも、凶悪な犯罪があった」
 ということになるのだろう。
 それから、時代は平成に移り、今度は、
「バブル崩壊」
 というものから始まった時代は、さらに、安寧というものから、どんどん離れていっているかのようであった。

                 続凶悪事件

 そして、平成の初期には、
「それまで神話といわれていたものが、次々に崩壊していった」
 ということであった。
 まずは、
「バブルの崩壊」
 ということにより、出てきたものは、それまで言われていた。
「銀行は倒産しない」
 ということが神話だったということである。
 銀行が潰れそうになると、
「経済対策から、国家が助ける」
 ということであるが、ほとんどの銀行が、あれよあれよという間に、破綻していく状態で、国家の対応が遅れるのも無理もない。
 そもそも、国家にそこまで力があるわけでもないし、対策が後手後手になるのだから、とても、崩壊する経済というものを支えるだけの行動力があるわけもないのであった。
 それだけ、
「甘く見ている」
 ということになるのだろう。
 そして、もう一つの神話というのは、
「耐震構造というものにかかわる神話」
 であった。
 昔から、
「日本は火山が多い、島国だ」
 ということである。
 つまり、火山活動によって、
「地震災害が多い」
 というのは、それこそ、
「歴史が証明している」
 ということだ。
 だから、建物を建てる時、特に鉄筋コンクリートになってからは、
「耐震構造はしっかりしている」
 といわれてきた。
 しかし、関西を襲った大地震では、いとも簡単に、高速道路やマンションが崩壊してしまった。
「まさか、そんな強い地震は想定していない」
 ということであるが、実際には、
「法律の基準にも達していない」
 という、
「欠陥住宅がたくさんあった」
 ということだ。
 あるいは、戦後すぐに建てられたものは、
「老朽化していた」