いたちごっこの堂々巡り
「戦争中には、武器弾薬を使って、たくさんの人を殺すということを指名としている軍人。これは、職業軍人であっても、徴兵を受けて駆り出された兵隊であっても、同じことであるが、さらに、本土にいて、銃後を守っている人たちであっても、アリアナ諸島が攻略され、日本本土のほとんどが、爆撃機に航続距離にあたるということで、連日のように、無差別爆撃を受け、それが終わると、死体の山が築かれているというような地獄絵図を見てきている」
という状態だったにも関わらず、
「戦後など、殺人事件が起これば、大事件だということで、ニュースになる」
ということである。
「日本人に限らず、無差別爆撃を受けた経験があったり、兵役で戦争に駆り出された人であれば、そのむごさは分かっているはずなのに、なぜ、いちいち一人が殺されただけで、そんなに大げさになれるのか?」
と考えるのだ。
確かに、
「人が殺される、しかも大量殺戮」
ということには慣れているはずではないのだろうか?
そんなことを考えていると、
「あれは、あくまでも戦時中、つまり、有事ということで、それだけ世の中全体が違う」
ということであろう。
だから、平時になると、一人が死んだだけでも、大きな問題になるのは、
「今が同じ」
ということで、決して、人間は、その状況に慣れるということはないということになるのだろう。
つまり、
「いくら猟奇殺人というものを犯す人がいるとしても、結局は大量殺戮という発想は、よほどの精神異常者でもなければできることではない」
ということだ。
だから、今の時代のように、憲法で、
「戦争放棄」
というものを謳われているということで、
「日本には有事はない」
ということから、他の国にあるような、
「有事の際の法律」
というものがないのだ。
例えば、
「戒厳令」
というものは削除された。
その理由は、
「日本に有事はない」
ということで、戒厳令というものが、
「自然災害であったり、クーデター、あるいは、戦時において、パニックに陥り、その治安が保たれない場合に、政府が戒厳司令部を作り、そこで、治安を守るために、一部の保障されている権利を奪っても、司令部の命令に従わせる」
というものである、
これは、
「基本的人権の尊重」
という憲法に違反しているということから言われることであった。
それを思うと、
「本当にそれでいいのか?」
ということが騒がれることとなり、かつて起こった、
「世界的なパンデミック」
の時、完全なロックダウンという、
「都市封鎖」
というものができなかったということで、それがよかったのか悪かったのか、
「果たして政府は、その検証をしたのかどうかも分からない」
という状態だったのだ。
そんな状態の時代を何とか逃れてはきた。
というのは、
「日本人というのが、事態を真剣に考える国民性」
ということからではないだろうか?
そもそも、日本という国は、国民性として一番考えられるのは、
「戦後80年以上の間、戦争というものを知らない平和ボケの国」
ということで、
「危機管理」
としては、
「世界の中でも一番甘い国」
といわれるのではないか?
と思われた。
しかし、実際には逆で、さすがに最初の1年目くらいは、どの国もマスクをつけて、ロックダウンも乗り越えてきた外国であり、日本も、ロックダウンとまではいかないが、
「伝染病が流行った時のための特別法」
ということで、
「緊急事態宣言」
なるものがあった。
これは、
「戒厳令」
とは違い、国家としての拘束力がないものだった。
つまりは、諸外国のロックダウンのように、
「国家の指示を破れば、そこに罰金であったり、ひどい時には懲役刑」
というものが発生するということで、
「指示ではなく、命令」
であるから、完全に拘束力があるということになる。
しかし、日本の場合は、
「国家の指示」
というのは、あくまでも、
「お願い」
であり、罰金も懲役もない、いわゆる、
「要請」
にしかならないというわけで、明らかに海外の命令とは違うということであった。
だから、もちろん、中には守らない人であったり、
「それを守っていると、会社が倒産してしまう」
という場合に、仕方なく、国家の指示に逆らうところもあっただろう。
それでも、日本人は、国家の指示としての、
「お店に対しての休業要請」
「会社に対しての、リモート業務養成」
さらには、
「個人に対しての、外出自粛要請」
などが主なもので、
「どうしても外出する」
という時は、
「マスク着用」
であったり、
「どこかに立ち寄る時は、手のアルコール消毒と、人と距離を取る、ソーシャルディスタンス」
というものであった。
この時代になると、それまで言われなかったような、カタカナの聞きなれない言葉がたくさん聞かれるようになる。
「パンデミック」
「ソーシャルディスタンス」
「ロックダウン」
「クラスター感染」
などがそうである。
「そんな言葉どこから拾ってきたんだ?」
と考えるかも知れないが、今まで日本が、これほどのパンデミックを知らなかったということで、それだけ、
「平和だった」
といえるのか、それとも、
「世界では流行っていたが、日本人は、マスクや消毒などで、何とかなってきたということで、逆に、
「日本人の勤勉さが、功を奏した」
といってもいいだろう。
それが、日本人という国民性であり、
「日本という国を救ってきた」
といっても過言ではない。
大日本帝国というのも、最終的には、
「列強への無謀な宣戦布告」
ということで、戦争に大敗し、結局滅んでしまったということであるが、
「日本という国は、無謀だった」
というわけではなく、そもそも、開国してから、結ばされた不平等条約の撤廃ということを目指して、
「殖産興業」
「富国強兵」
というものをスローガンとして、多大な犠牲を払いながらも、
「明治における大戦争」
を勝ち抜き、やっと世界の大国の仲間入りができた。
しかし、途中、
「世界恐慌」
であったり、
「満蒙国境問題」
であったり、
「日本人の食糧問題」
というものが重なって、そのため、
「満州事変」
なるものを引き起こし、満州を実効支配することで、傀儡国家の、
「満州国建国」
に至るのであった。
これは、
「資源が致命的に少ない」
といわれる日本にとっては、死活問題として仕方のないことであり、それを国連が、
「自衛の範囲を超えている」
ということから、満州国を承認しなかったことで、日本が孤立してしまい、最後には、アメリカが、大戦に参戦するための口実として、
「日本にマレー上陸作戦や、真珠湾作戦」
というものを起こさせることになったのだ。
そのために、列強は日本に対して、経済制裁を行った。大戦後の経済制裁とはわけが違って、
「当時は世界が、一触即発の世界大戦機運が高まっている時代だったことが一番大きな理由だった」
といってもいいだろう。
作品名:いたちごっこの堂々巡り 作家名:森本晃次