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いたちごっこの堂々巡り

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 日本が敗戦し、世界大戦が終了すると、今度は植民地となっていた国が一斉に、
「独立戦争」
 というものを起こし、世界地図は、相当変わった。
 アジア、アフリカの各国が次々に独立し。ベトナムを中心とした、
「インドシナ地方」
 は、そもそもの宗主国であったフランスが、
「ゲリラに負ける」
 という醜態をさらしたのも、独立機運に拍車をかけたといってもいいだろう。
 その結果が、それから、20年後に起こった、第二次インドシナ戦争、つまりは、
「ベトナム戦争」
 という悲劇だったのだ。
 朝鮮戦争も、相当な悲劇であった。
「日本に落とされた爆弾を超えるだけの弾薬が、あの朝鮮半島に落とされたのだから、相当なものだった」
 ということになるであろう。
 しかし、実際に朝鮮戦争に出撃していった、
「多国籍軍」
 というのは、ほとんどが、
「日本にある米軍基地からの出発」
 ということで、
「武器弾薬は、日本で調達する」
 ということになった。
 日本における出撃で、日本には、
「軍需景気」
 というものが巻き起こり、経済復興に、かなりの影響があり、
「一気に日本は、経済復興を果たした」
 ということで、
「奇跡」
 と言われたものだった。
 だから、戦後20年も経たないうちに、万博やオリンピックを開催できるまでになったのである。
 何といっても、日本のほとんどの都市という都市が焼け野原だった状態にである。
 それを思えば、
「日本という国が奇跡を起こせたのも、運がよかった」
 というだけのことであろうか。
 韓国も、朝鮮戦争からの復興に、
「ベトナム戦争」
 というものが一役買った。
 ということは、
「戦争で崩壊した経済を立て直すには、他の国が戦争を起こして、その特需に預かる」
 というのは、奇跡でも偶然でもなく、
「まるで自然界の摂理」
 といってもいいような、循環機能なのかも知れない・
 そんなことを考えてみると、
「朝鮮戦争がきっかけ」
 ということで、日本の国家は、
「よかったよかった」
 ということになるのだろうが、
「これから闇で暗躍しようと思っていた西園寺一族」
 にとっては、
「これほど計算外のことはない」
 ということであろう。
 ただ、それも、最初から、
「ダメだった時のことくらいは、計算している」
 ということで、無理な時は潔く引くという作戦はできていただろう。
 だから、慌てることもなく、何事もなかったように、時代をやり過ごすことで、逆に、
「俺たちは、表に出るのではなく、あくまでも、裏で暗躍するということの方が、似合っているのではないか」
 ということであった。
 だからこそ、彼らにとって、その時代をうまくやり過ごすことで、
「影のフィクサー」
 と言われ、
「日本の最高権力者」
 ということになるのだろう。
 それは、ソーリよりもえらい大統領ということであろうか、歴代のソーリも、すべて、
「西園寺一族の手のひらの上で転がされていた」
 ということになる。
 中には。西園寺一族に逆らうソーリもいただろう。そういう時は、裏から手をまわして、「閣僚を陥れ、任命者責任を負わせる」
 などして、じわじわ追い詰めて、
「ソーリを辞任に追い込む」
 ということもあっただろう。
 そもそも、ろくなソーリがいなかった国家なので、
「西園寺が動かなくてもよかった」
 といえるのであろうが、それだけ、
「自分ではどうすることもできないほどの無能なソーリが多い」
 ということになるのであろう。
 それが、この国であるが、それも、
「西園寺一族が裏に徹する」
 ということからこうなったのだった。
 本当に西園寺一族が表に出ればどうなったか? これは、永遠の謎だといってもいいだろう。
 西園寺一族が表に出なかったことで、実はその時に、
「彼らに対して、かなり恨みを抱えてしまった」
 という人が結構いたという。
 そもそも彼らは、
「西園寺一族とは深いつながりで、西園寺一族が表に出ることで自分たちも光を浴びることができる」
 ということで、躍起になって、先頭部隊を勤めていたのであった。
 しかし、実際には表舞台に出ないということで、結局、せっかく積み重ねてきたものがおじゃんとなってしまい、その場で見捨てられてしまったということになってしまったのであった。
 それだけ、準備もしてきたし、覚悟もしたし、金も使った。
 それは、あくまでも、
「西園寺が表に出ることで、何倍にもなって返ってくるはずのものだったのだ」
 それなのに、何も出てこないということは、
「俺たちには、何も浮かばれない」
 ということで、
「何倍にもなって戻ってくる」
 というどころか、
「首が回らなくなってしまった」
 という人はまだしも、
「手が後ろに回ってしまった」
 ということで、
「西園寺の後始末」
 ということでの、生贄のようになり、
「家族は犯罪者」
 ということになり、
「借金だけが残ってしまい、完全に離散してしまった」
 という家族や会社がたくさんあった。
 まさに、
「掛けられた梯子に登ると、そこで外されてしまった」
 ということであった。
「戻ることもできず、そこで孤立してしまい、攻撃にだけ遭い、すべての名誉もプライドもズタズタにされたまま、瀕死の重傷になってしまった」
 ということになるのだ。
 そんな人たちがいることを、西園寺の一族は認識しているのだろうか?
 仙台も先々代も、そんな昔のことは、もし知っていたとしても、
「俺たちに関係のないこと」
 ということで、どうしようもない状態になっていたことであろう。
 それを思うと、
「俺たちへの復讐を考えている人など心当たりがない」
 と思っているのであった。
 ただ。実際に、
「西園寺ほどの大きな組織」
 ということになると、知らないところで泣いている人がいたとしても、そんなことをいちいち気にすることもないといえるであろう。
 それが今の時代であり、
「俺たちが知らないところで暗躍していた」
 ということであっても、
「自分たちの組織に歯向かうというのは、自殺行為だ」
 とも思っているかも知れない。
 それだけ当主は、いくら誘拐であっても、最後には、自分たちの組織が何とかしてくれると思っていて、
「やつらも、人質を傷つけるとどうなるか?」
 ということは分かっているだろう。
 しかし、相手が誰にしても、西園寺に喧嘩を売るというのは確かに自殺行為だ。もし人質を無事に返しても、
「暗躍組織に消される」
 ということまで考えが及ばなかったということか?
 人質が返されたのは、それから少ししてのことだった。身代金の話が出たわけではなく、まるで、
「何もなかったかのごとく」
 人質が返ってきたのだ。
 その時、門倉刑事は、
「ひょっとすると、西園寺一族の裏組織が、警察に先んじて暗躍したのではないだろうか?」
 と感じたのだ。
 しかし、実際にはそんなことはなかった。
 探っていた中で、暗躍した雰囲気もない。そして何よりも、西園寺雄太郎自身が驚いているのだ。そして、それは、
「西園寺雄太郎が、犯人が誰だか分かっていたのかも知れないということではないか?」