いたちごっこの堂々巡り
「なるほど、君たちの言いたいことは分かった。しかし、狂言誘拐とだけ決めつけて事件に当たるのは危険すぎる。しかも。捜査員の中で皆この事件を狂言誘拐だと決めつけてしまうと、被害者家族がどう思うか? それを考えないといけない」
と、副本部長はいった。
「確かにそうですね。気が緩んでしまったり、最悪、こちらが狂言誘拐だと考えているなどということが相手の家族に分かると、警察が不真面目だと思われてしまいますからね」
と、上司が言った。
「それだけならいいのだが、彼らは、その気になれば、、警察だって動かせるだけの力がある組織なので、下手をすれば、自分たちで勝手な行動をするかも知れない。そうなると、警察の組織捜査も何もできなくなる」
と言われ、
「そうなると、犯人逮捕はおろか、肝心な人質がどうなるか分かりませんからね」
というと、
「そうなんだよ。彼らには、裏の組織もあるようなので、そちらが暗躍をすると何が起こるか分からない」
「じゃあ、なぜ、やつらは、最初から、自分たちで解決しようとしないんですかね?」
「そりゃあ、そうじゃないのかな? あくまでも、裏の組織は最後の手段と思っているだろうし、下手に使えば、自分たちが今度は犯罪者になってしまう。まずは警察を動かしてということかも知れない」
「じゃあ、被害者家族は、すでに、人質がどこにいるか、あるいは犯人が誰かということを分かっているかも知れないですね」
「これも、完全な憶測なので、何とも言えない。だから、我々は、ただの国家機関にすぎず、与えられた権力にも限界がある中での捜査にしかならないんだ。それをわきまえたうえで動くしかないぞ」
「分かりました。肝に銘じます」
という会話が繰り広げられた中で、副本部長が言った。
「本部長には私から報告しておくが、被害者宅に、皆が詰めていてもしょうがない。君たちは、それぞれ、犯人が誰なのかということを、今実働部隊に数人が動いているが、君たちは、裏の部分、狂言誘拐を含めて、少し広げたところを捜査してもらいたい」
ということで、
「分かりました。それと、私は内部に犯人への協力者がいると思っています」
「それは、どういうことかな?」
「防犯カメラに誰も映っていないのに、郵便物として配達されてきていない。つまり消印のない手紙が送られてきたわけですから、あの手紙は、郵便受けで見つかっているのだから、誰かが投函したことに変わりはない。だとすれば、家の誰かによるものだとしか思えません」
「誰だと思う?」
「一番怪しいのは家政婦ですが、まさか、母親がかかわっているということになると、かなり厄介なことになるかも知れないですね。それがバレると、母親も危険ですからね」
「確かにそうだ。そういう意味でも、早急な事実の確認が必要ということになる。事件を単純な狂言誘拐だなどと思っていると、痛い目に遭うことになるかも知れないな」
「そうですね。我々も、そのことを肝に銘じて行動します」
「分かった。じゃあ、捜査本部も、この話はごく一部だけで共有することにしよう。大切な命を守るのは、人質だけではないということになるので、そのあたりは気を付けるようにしよう」
ということで、話は終わった。
それで、実際に、三人の刑事が、
「狂言誘拐を元に捜査をする」
という部隊ができあがった。
そのトップを担うのが、門倉刑事だった。
門倉刑事は、まず、被害者に恨みを持っている人間を探した。それも、あくまでも、
「個人的な恨み」
である。
別動隊は、
「誘拐するに値する」
あるいは、
「殺意が十分に感じられる」
という人間を探しているようだった。
だから、そういう相手は、別動隊に任せる。しかも、それ以外にも、
「あの家に近しい人間に、金に困っている人がいないか?」
ということも調べられた。
ひょっとすると、
「ご主人に、金の無心に行ったが、冷たくあしらわられたことによって、お金に困っている」
という人もいるかも知れない。
「誘拐で、身代金をもらわないと、一家心中ということになりかねない」
ということであった。
別動隊がそこまで幅を広げているとは思えない」
そこまで幅を広げるには、人数的に無理がある。だから、
「まずは、復讐という動機から探ってみるというのが、最優先の捜査」
であるということだった。
だが、捜査本部としては、
「金に困っている」
という人間の捜査もしっかりやりたいという意図があったので、ある意味、門倉刑事たちが、話に来てくれたのは、
「渡りに船だった」
というわけで、副本部長も、
「頼みやすかった」
というべきであろう。
それを考えると、
「実にいいタイミングだった」
といってもいいのかも知れない。
ということで、門倉部隊三人は、まず、親戚縁者から、少しずつ幅を広げていくことにした。
誘拐された家族は、
「西園寺一族」
といって、政財界にも顔が利くと言われ、
「警察ですら、裏から手を回すことができる」
と言われた人たちであった。
そもそも、
「財閥系の生き残り」
といってもいい。
戦後の華族というものが廃止になり、財閥が解体されたが、そんな中で、ひそかに活動し、決して表に出ることなく、静かにその体制を維持してきた。
先々代の当主が、戦後の混乱を乗り越え、執事とともに、支えてきたことが、
「今日の西園寺家を支えている」
ということだ。
もちろん、西園寺グループという会社の社長として君臨してきたのが、今の当主である、
「西園寺雄太郎氏」
であった。
彼は、その力を十分に生かし、しかも、他社から、決して抜きん出ようとしないことによって、見事に生き残ってきた。
しかも、
「バブル崩壊」
をしっかりと見抜いていて、バブルの時代も、他の会社のように、必要以上に、
「事業拡大」
などはしなかった。
もっとも、
「バブル時代の到来と、それが長くはない」
ということを分かっていたからこそ、
「決して目立たない」
という経営方針だったのだ。
だから、ある意味、
「バブルの崩壊というのは、彼らにとっては、待ち望んでいた、千載一遇のチャンスだった」
といってもいいだろう。
企業がどんどん潰れていく中、他の会社は、
「吸収合併」
をすることで大きくなってきた。
しかし、彼らはそこまではしなかった。
「資金融資」
を行うことで、吸収することもなく、会社を持たせる形をとった。
だから、
「植民地」
であったり、
「国土併合」
のようなことをするわけではなく、資金提供をした分、返してもらいながら、権益であったり、利益分を少しかさましすることで、まるで、
「冊封政策」
のようなことをしているといってもいい。
これは、中国の王朝がよくやることで、ある意味、
「主従関係」
に似ているといってもいいだろう。
「封建制度」
というものに近いともいえるかも知れないが、少し違っていた。
あまり表に出ないことで、それらの関係は、裏でのつながりであった。
あくまでも表では、
「資金援助によって復活したことで、子会社になったかのように見せる」
ということであった。
作品名:いたちごっこの堂々巡り 作家名:森本晃次