いたちごっこの堂々巡り
「誘拐事件がなくなるということはない」
とは思っているだろうが、
「限りなく不可能となってきている」
と思っていたのも事実だろう。
何といっても、今では連絡方法もしっかりしていて、スマホなどと持っていたりすれば、「GPSで居所が知られる」
というのも当たり前のことである。
もっとも、そんなスマホはどこかに捨ててくればいいのだろうが、犯人の中には、
「そこから足がつくかも知れない」
ということで、不安に感じる人間もいるだろう。
そもそも、
「そんな不安に感じる人間が、誘拐などという神経を遣う犯罪ができるわけはない」
ともいえるのだろうが、だからと言って、綿密な計画が必要な誘拐を、
「おおざっぱな人間にできるわけもない」
というものである。
誘拐は、
「いかにバレないようにするか?」
ということが大きな問題で、
「誘拐犯が誰であるか?」
あるいは、
「居場所を特定される」
などということは、その時点でアウトということである。
しかし、誘拐した相手は分かっているのだ。
もし、身代金の受け渡しに成功したとした時、
「犯人が、人質をどうするか?」
ということは大きな問題である。
「殺してしまうと、殺人犯になってしまう」
ということで、営利誘拐が目的で、金を手に入れたのであれば、そのまま逃走を考えると、そこで人質を殺してしまえば、
「捕まったとすれば、下手をすれば、無期懲役だ」
ということを考えながらの逃走など、果たしてできるというものだろうか?
だったら、
「人質は返すしかない」
ということになるだろう。
そうなると、
「果たして、自分たちのことがバレたりしないか?」
あるいは、
「人質の証言から、隠れ家が分かって、そこの捜索から、足がつくともいえないのではないか?」
ということを考えると、
「今までの自分たちの計画がだんだん不安に感じられる」
ということだ。
そうなると、今度は、
「こんなことしなければよかった」
という後悔の念に苛まれるかも知れない。
営利誘拐というのは、動機とすれば、大きく分けると二つになるだろう。
一つとしては、
「金に困って」
ということである。
そのものずばり、
「身代金が目的」
ということで、とりあえずは、借金があれば、借金の額と、さらに逃走費用も考えることだろう。
だから、そこまで大きな金額ではなく、ある程度、細かな金額になるかも知れない。
もっとも、
「お金はいくらあっても困らない」
ということであろうが、受けとりには、
「現金を使う」
ということになるだろう。
それを考えると、
「あまり多すぎると身動きができない」
ということになり、
「かなり切実でリアルな犯罪計画」
というものになるだろう。
そしてもう一つの動機とすれば、
「復讐」
というものが考えられる。
例えば、社長や会社に対しての個人的な恨みなどである。
例えば、
「誘拐した相手が、昔取引のあった会社の社長で、その社長から、ある時いきなり取引を停止されて、倒産してしまった」
などということになると、復讐したいと思う気持ちも分からなくもない。
いきなり取引を停止され、倒産に追い込まれると、雇っていた社員を、
「路頭に迷わせる」
ということになり、さらに、自分の家庭も、バラバラになってしまうということも、十分に考えられる。
犯人としても、
「こんな理不尽なこと」
ということで、さぞや恨みに思うことであろう。
自分は孤立無援となり、社員や家族に対しての、後ろめたさとが、
「自分を追い詰める」
ということになり、それが
「逆恨み」
となることも十分に考えられる。
ただ、
「これが本当に逆恨みなのかどうかは分からない」
被害者の社長とすれば、会社が危ないということで、その会社を切ったということで、
「うちも切羽詰まっているんだ」
ということであれば、救いはあるだろう。
しかし、
「向こうよりも、こっちの方が、原価が安い」
というだけの理由で、長年一緒にやってきた相手を袖にするということであったとすれば、そこに、
「復讐される覚えはない」
といってもいいわけにしか聞こえないかも知れない。
もちろん、資本主義の、
「自由経済」
の世の中なのだから、
「会社の方針」
ということで、利益の取れない会社と手を切るというのは、どこにでもあることだ。
しかし、やはり、倒産に追い込まれた相手のことを考えることをしないというのは、問題ではないだろうか?
特に、誘拐された時に、
「誘拐した」
ということで電話がかかってきた時、被害者の社長が、
「事件を本気にしなかった」
ということであったり、犯人が、
「俺が誰か分かるか?」
といったとして、社長が電話口から、
「いや、見当もつかない」
などといわれたとすれば、その気持ちは大きなものになることだろう。
それを考えると、かなり、犯人側も落胆することだろう。
「俺がここまでして復讐をしようと思っているのに、あいつは俺のことなんて、すっかり忘れていやがるんだ」
ということで、犯人によっては、
「もうバカバカしい」
ということで、警察に相手が言っていないのをいいことに、人質を解放するということになるかも知れない。
しかし、これは、
「まだ犯人が、相手を見くびっていた」
ということになるのかも知れない。
というのも、
「相手にとって、誘拐が未遂に終わったとしても、誘拐があったことは事実だ」
ということで、
「警察に通報する」
ということになるかも知れない。
いや、相手のことも考えず、倒産しようがどうしようが取引を停止するような、不義理な男が、そのまま黙っているわけがない。
警察に通報するかも知れないし、下手をして、その会社が裏で、
「反政府組織とつながっている」
とでもいうことになれば、そんな連中を使って、何か攻撃をしてくるかも知れない。
ということも考えられる。
ということは、
「誘拐というのは、一度着手してしまうと、どこまでも突っ走ってしまわないと、自分が危険だ」
という犯罪ではないだろうか?
そんなことを、犯人は分かっているのかどうなのか? 誰に分かるというのだろうか?
その誘拐事件が、少しおかしな様相を呈してきたのは、
「誘拐犯の様子が少しおかしい」
と刑事が感じたことだった。
誘拐してきてから、連絡がなかなかない。相手が警戒してきているのは分かるが、どこで見ているのか、それもよく分からなかった。
そのうちに、郵便ポストに、怪しい郵便が入っていた。
そこには、あて先はあったが、消印がなかったのだ。
そしてその郵便に対して刑事は、怪しいと思ったのだ。
この家は、さすがに社長の屋敷というだけあって、防犯設備もしっかりしている。
玄関前にも、防犯カメラが設置してあり、郵便が届けられて、家政婦が、ポストから取ってきた時には確かに、おかしな郵便はなかったのだ。
作品名:いたちごっこの堂々巡り 作家名:森本晃次