小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

時代背景の殺人事件

INDEX|8ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

 ということくらいは、分からなくもないが、
「母親が違うということは、赤ん坊の取り違いでもなければありえないだろう」
 ということであった。
「そんなバカなことはない」
 と思い返し、
「両親が違うなんて」
 と思ったことで、それ以上は、その時は感じないようになったが、それからことあるごとに、
「おやじって本当に実の父親なのだろうか?」
 という思いが強くなってきた。
 これは、
「そう思う方が気が楽だ」
 という思いがあるからで、自然と感じるようになったのだ。
 やはり、正月に、
「友達の家に泊まれなかった」
 というのが、決定的であり、そのせいか、
「親のどっちかが死んでも、涙を流す気がしない」
 と思うのだった。
「あの時に屈辱の涙を流しながら帰ったという事実が、この俺を少々のことでは涙を流さない」
 という人間に変えたのではないかと思うのだった。
 確かに、涙を流すような場面でも、悲しくなかった。
 たまに、ドラマなどで、葬式のシーンが出てくるが、
「家族はまだしも、参列者が皆、涙を流して、ハンカチで目をぬぐっているシーンを見るが、どうして、家族でもないのに、涙を流せるんだ」
 という率直な疑問を感じるのであった。
 康人の場合は、父親だけでなく、母親に対しても感じている。
 ということは、それだけ、
「もう、誰かのために涙を流すということは、ウソでしかない」
 と考えるようになったということであろう。
 康人はそんなことを考えていると、
「さすがに両親が違っているのではないか?」
 と思うようになったかと思えば、
「兄貴に対しても、嫌になってきた」
 というのは、
「いつもハッキリせずに、いじいじしているくせに、性格的に父親に似てきた」
 というところからであった。
 家族に対しての反発があるくせに、言っていることが、父親と似ているように思えたのだ。
 というのも、父親のいう言葉のワードで同じ言葉が出てきたからだ。
 その言葉は、康人が一番嫌いな言葉で、
「常識的」
 という言葉であったり、
「一般社会人」
 という言葉であった。
 しかも、二人の共通認識というのが、
「平均的になんでもこなす人が一番なんだ」
 という考え方である。
 だから、
「常識的」
 であったり、
「一般社会人」
 という言葉になるのだろうが、兄の場合は、
「口ではそういっているが、その心には、反対の意識が芽生えている」
 と感じたのだ。
「兄は父親に、反感を持っている」
 と思いながら、反発しているのを見ると、今度は、
「兄を見ていると、父親が見えてくる」
 という、それぞれに、
「反面教師」
 というものが浮かんでくる気がしたのだった。
 ただ、それを、
「兄貴も考えていた」
 ということを、その時の康人は考えていなかった。
 つまり、
「兄は弟を見て、弟は兄を見て、それおれ、父親を感じようとしていた」
 ということである。
 そういう意味では、
「家庭をほとんど見ていなかったのは、母親だっただろう」
 ということが頭に浮かんでくるのであった。
 それを母親も分かっているのかいないのか、とにかく、
「母親が何を考えているのか分からない」
 というのは、家の男子すべては感じていたことだろう。
 特に、父親は、その思いが強く、だからこそ、あまり母親に近づこうとはしなかったということで、
「父親は母親に、気を遣い、母親は父親に気を遣っている」
 かのように見えて、それが、なんとなくぎこちなさというものを醸しだしていたのであった。
 ただ、それは、
「表から見た」
 ということであり、本当は、
「変に触れれば、一触即発になる」
 ということを分かっていたからだ。
 お互いに、憎しみをあらわにしたいとは思っていない。
 できるなら、穏便に済ませたいと思っているだろう。
 父親は、いまだに、
「威厳というものに、しがみついている」
 ということであるし、母親は、
「もう、家族なんか、どうでもいい」
 と思っているのだろう。
 まったく見ている方向が違うので、
「二人が、交わることなどなかったのだ」
 と、康人は感じていた。
 そんな、
「谷口家」
 というのは、とんでもなくぎこちない家族であり、実際に、
「家族だと言えない」
 というほどに離散してしまっていた。
 それを一番認めたくないとすれば、父親であり、逆に、離散したことを、自覚したいと思っているのは、母親であろう。
 それを夫婦間で分かっているかどうかは分からないが、子供二人は分かっているようだ。
 それだけ、両親に対して、
「家族でいたくない」
 と思っているのだろう。
 父親や母親の考えていることが分からない」
 というのは、
「父親を見ようとすると、母親を意識して、母親を見ようとすると、父親を意識してしまうのだ」
 ということから、
「二人の性格がまったくの正反対なので、それは、お互いのマイナス同士を足すことで、限りなくゼロに近い状態に近づけている」
 ということであろう。
 しかも、それが、
「決してゼロになることはない」
 というのが分かっているので、厄介なのだ。
 これがゼロになるということであれば、つり合いが取れるので、結局、うまくいくと考えられるのだった。
 そんなことを考えていると、
「夫婦とうものがどういうものなのか?」
 と考えられるということであり、
「最近、勘というものが働くようになった」
 と思っている康人にとって、
「近い将来、何か嫌なことが起こるような気がするな」
 という懸念があったが、それが何なのか分からなかった。
 しかし、逆に。
「本当に嫌なことなのだろうか?」
 とも感じる、
「何か面倒くさいこと」
 という意識はあるのだが、それが、本当に嫌なことなのかどうか、自分でもよく分かっていないということになるのであった。
「おやじとおふくろ」
 この二人が、どれだけ嫌いな相手なのかということを考えると、またしても思い出すのが、
「正月のあの一件」
 ということであった。
「あの時の屈辱の涙、誰にお分かるわけはない」
 という思いがよみがえってきて、しかし、
「家族なんだから、分かりそうなものだが」
 と、父親と母親に対して感じるのであった。
 しかし、不思議と怒りは、それ以上湧いてこない。
「怒りにも、限界というのがあるのか?」
 と思ったが、
「あの時の怒りは、こんなものではなかったはず」
 ということで、
「成長するにつれて、怒りが次第に、薄れてくるものなのではないか?」
 と感じるようになってきたのだ。
 それを思えば、
「家族って何なのだろう?」
 といまさらながらに考えるのであった。

                 殺害されたる父親

 父親が殺害されているのが見つかったのは、兄貴が就職活動のために帰省してから、2日後のことだった。
「そうせ、数日しかいないさ」
 と、康人にそう言っていた兄だったが、昼間はほとんど表にいて、夜も遅く帰ってきて、ほとんど家族の誰にも顔を合わせなかった。
 そんな時、遅く帰ってきた兄が、父の死体を発見したのだ。
 そもそも、父親は、最近では、
「父親の権威」
作品名:時代背景の殺人事件 作家名:森本晃次